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失声の異世界転生 ~コミュ障無口な俺が声の大切さに気付くまで~  作者: 将輔 樹
第四章 ~少年と魔法学園~
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第五十話 ~学生生活~

《第五十話 ~学生生活~》


 翌朝。

 制服姿では無い何時もの格好で運動から帰ると、宿の女将とばったり出会す。


「あ、ゼロさん。随分とお早いんですね」


 そう言って微笑む姿は黒い鼬そのものであり、獣王国で見慣れていたとはいえ二足歩行する姿がどうしても球団マスコットを彷彿とさせる。


(ああ……騒がしかったなら済まない。暫くしたら朝食を頼む)


 その要請に「はい!」と元気な返事を貰い、何時も通りの日課を進める。


 折角の浴槽も今はまだ日の目を浴びず、シャワーだけで手早く済ませると何時もの装備へと着替える。


 酒場を兼ねた食堂へ向かう前に龍一とカルーアの部屋に向かい、扉の外から朝食へ向かうとだけ言い残し一階へ降りた。


 冒険者用の宿もギルドと同じ思想なのか、造りに関して通常はそれほど大きな変化は無い。


 一階は受付けと食堂。二階から上は客室と分かりやすくて助かるのだが―――


(死屍累々だな)

 と、周囲を見渡しては呆れたように呟いた。


 ワンニャン姉妹店との事らしいが一階の構造は少しだけ風変わりで、中央にぽつりと置かれた受付けは客室への階段を脇に備えており、それ以外はぐるりと客席用のテーブルで取り囲まれている。


 食堂の奥にはバーカウンターが据え付けられ、早朝だと言うのに獣人の店員がグラスを磨いていた。


 床やテーブルで寝ている客を起こさないように気を付け辿り着くと、昨夜とは違い朝食を頼む。


「お早う御座います。昨日は凄かったみたいですね」


 それも既に周知の事実なのか、薄く笑みを浮かべると厨房へ注文を通す。


 昨夜、夕食を摂りに今と同じように一階へ降りるとそこに待ち受けていたのは獣人達からの熱烈な歓迎だった。


 この街に居る全ての獣人が集まっているのでは無いかと思うほど人集りが出来ており、従業員や冒険者、商人など様々な職種で客席は溢れ返っていた。


 その目当てが自分だと言われれば変に意識してしまい、口々に繰り返される称賛の言葉は武闘祭の優勝と水薬の製作に関してだった。


(大丈夫だとは思うが……)


 調子に乗って悪目立ちしてしまった者の末路として、せめてこの街に居る間だけでもとその事はなるべく内緒にしてくれと頼めば、皆何かを察したように真剣な面持ちで頷いてくれた。


 そこから先は奢り奢られの応酬で、気付けば所持金が底を突くほど酒を飲みまくっていた。


 止める筈のカルーアも昨日はかなり飲んでいたし、何かを吹っ切るような乱暴な飲み方は初めて見るものだった。


 それにつられて龍一もしこたま飲ませられれば、朝食の時に一人なのは推して知るべきだろう。


「ゼロさんはお酒がお強いのですね」


 皆と同じくらいの酒量だった筈なのだが二日酔いにはなっておらず、終わり際に無理やり飲まされた物が効いているのかもと思い出す。


「ああ、結構高いんですよね……アレ」


 女性の獣人に突然口を塞がれたかと思えば、次の瞬間には舌の柔らかさは消え固い小さな飴玉らしき物が残っていた。


 それを見ていたカルーアがへべれけになりながら呂律の回らない口調でからかって来たりもしたが、願わくば全ての記憶が消えている事を祈っていた。


 昨夜の回想を一通り終えれば朝食が出され、ワンニャンの姉妹店という事で味の方も抜群に美味かった。


 香辛料の類はそれほど利いておらず、お国柄なのか味噌汁のような汁物が身体に染み渡る。


「おはよー……」

「おはようでござるぅ……」


 覇気の無い声に振り返ればそこには屍人のような顔の龍一とカルーア……どうやら見事に二日酔いのようで、朝食は食べられないと伝えに来たらしい。


 その言葉に丁寧に頷けば、バーテンダー風の女性獣人は酔い覚ましにとグラスを二つ用意した。


 中には透明の液体が注がれ、氷の近くで微かな破裂音を立てて弾けている。


「助かるわ……」


 かろうじてそれだけ言うと飲み干した二人の顔が見る見る内に回復し、そう言えば似たような物をリアモで口にしていたなと思い出す。


 復活はしても食欲までは戻らなかったようで、早々に退散する二人へ少し出て来ると伝えれば朝食を掻っ込み外へ……目指すは冒険者ギルドだ。


「おはようございます」


 入るなりこちらの姿を認めた受付嬢が挨拶をしてくれるので、目を合わせて頭を下げる。


 その顔をきちんと確認すれば昨日対応してくれた人物だったので、こちらの事情も把握済みか……色々と魔法鞄から取り出し換金を頼む。


「かしこまりました」

 再び丁寧に頭を下げられれば吊られて同様の所作をしてしまう。


「うふふ……そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」


 やはり滑稽に見えてしまっただろうか、受付嬢は優しく微笑むと手際良く品物を確認して行く。


 取り出したのは道中で討伐した獣や魔獣の肉と皮、それに体内で生成されていた魔石等だ。


 文字通り金が底を突いてしまったのでまずいと思い、提示される金額をそわそわしながら待つ。


「そう言えばゼロさん、魔法学園に入学したんですか?」


 ほんの世間話程度のつもりだろうが情報の早さに驚いてしまう。


「そんなに警戒しないで下さい。知り合いが居るんですよ」


 そういう事かと合点が行けば、就職先の一つとなっている冒険者ギルドなら不思議も無いかと思えた。


「お勉強はどうですか? 楽しいですか?」


 との質問には肯定とも否定とも取れない何とも微妙な顔をしてしまい、受付嬢の笑いを誘う結果となった。


「うふふ……大変ですよね。ですが、絶対に無駄にはなりません。頑張って下さい!」


 話の合間にもペンが止まる事は無く、淀み無く聞こえていた筆記音が消えると金貨五枚と慎ましい金額が記入されていた。


(ま、三等分だしな……)


 魔法鞄へニ枚。冒険者証へ三枚入金すると、礼を言って離れようとした瞬間


「ゼロさん―――」


 何かを言い掛けては直ぐに口をつむぐ受付嬢。赤みがかった茶色い髪がふわりと揺れていた。


「……いえ、何でもありません。失礼致しました」


 一礼した後の顔は凛としており、言及するのも野暮なのでそのままギルドを後にした。



 観光がてらぶらついて南から東へ……街の入り口に差し掛かると衛兵が立っており、様々な誘惑を振り切って外へ出る手続きを済ませる。


(金がなぁ……)


 宿や食事の心配が無いとは言え、それでも無駄遣いは控えようと決心する……のだが心惹かれる物が多く、自分はこんなにも食道楽だったかと不思議に思ってしまう。


 前世ではそこまで食に貪欲な方でも無かった筈だし、龍一の言っていた一食何十万の御馳走も自分にとってはコンビニ弁当と変わらないだろう。


 食事は毎日を生きる為の物であり、そこに幸福や安寧を感じた事は無い。


(そう思ってたんだけどな……)


 それでもルピナやキビ、カルーアに龍一と誰かに作って貰えば美味しくも感じ、何より共に囲む食事の楽しさや賑やかさが嫌いでは無かった。


 加えてこの世界には見た事の無い料理も多く、これまで各国で食べ歩きをして来た身としては魔法帝国は群を抜いている。


 途中の宿場町では綿飴に似た雲飴や、金平糖に似た星飴。不思議な弾力のスライムマシュマロや一角獣のチョコ菓子など挙げれば切りが無い。


 甘味が多いようにも思うのだが、うちの料理人とどちらが上かは甲乙つけ難かった。


(いざとなったら手持ちの数本を売るか……)


 そんな事を考えていれば街からは大分離れてしまっており、城壁が微かに見える所まで来れば辺りに有るのは獣の気配くらいとなっていた。


 人目を忍んで郊外に来たのは理由が有り、それと言うのも今の自分が何を出来るのか……その確認の為だ。


 治してもらった身体とやらの変化には未だ気付けず、朝の運動でも取り留めて変わった箇所は見受けられない。


 だとすればこうして自分で確認をする他無く、バルムンクを引き抜いて一通りの魔法を使用してみる。


 指先に火を灯してから水を出し、額から光を発して風弾を放つ……全ての魔法はこれまでと同じだった。


 威力や大きさにも変化は見られず、消費した魔力も誤差程度だ。


(うーん……)


 腕を組んで唸り、地面に突き刺しておいたバルムンクへ上空への魔法を命じる。


 反発する耳鳴りは相変わらず何を伝えたいのか分からず、良いから頼むよと下手に出てお願いしてみる。


 一瞬だけ威勢の良い声が聞こえたかと思えばそれなりに大きい火球を生み出し、上空へ放たれれば花火のように弾けて消えた。


 魔力の消費は全く感じられず、これも何時も通りだ。


 日頃勝手に吸っては貯めているバルムンク自身の魔力を使用しているのだろうと推測され、ここにも変化は見られない。


 ならば仕方が無いと内に留めた魔力を全身に力を入れるように外へ押し出してみれば魔力の膜のような物が形成され、普段から努めて抑えている魔力を溢れさせる。


 無論そんな気持ち一つで熟練者には直ぐに看破されるであろう、拙い隠蔽はあの少年神の書いた隠遁……その技能が役に立っているのかも知れない。


 思えばこれまでにもそうした節は幾度と無く有り、そうでなければ何の力も持たなかった子供が夜の森を無事に歩ける事など有り得ないのだ。


(あんま変わらないな……)


 これまで要していた溜めのような硬直時間や、多少力強く纏える魔力に使いやすさの向上は見られるもののそれであの化け物に勝てる見込みは微塵も無い。


 上空へ飛び上がりトレムを見下ろせる位置で立ち止まれば、足場を固定してその街並みを眺める。


 開発当初は直ぐに消えていた足場はエルフェリアでの処置を受けてから固定も可能となり、そこから先の進化は実現していない。


 だからこそこうして魔力を集め、片手に握ったバルムンクへそれを流し込む。


(おらあああ!!)


 無駄に叫んで強制的に高揚感を出し、頭の中で詠唱をするものの―――昨日と同じ砕月の再現はなされない。


(なんでなんだろう……)


 これまでにも何度かそういう場面は有り、バルムンクの気分によるものなのかそれとも自身の未熟さ故なのか……発動条件の曖昧さに困惑する。


 しかし最初の一発目を思い出してみればバルムンクは居なかった筈なので、何かそもそもの勘違いをしているのでは無いか……そんな事を考えて地上に降り立つ。


(やっぱり地道が一番か……)


 昨日の失態を思い返し、そういえばまだ一つだけ試していない方法が有ったなと思い至る。


「イム・アンロー。闇球:ダークボール」


 イムは作成、アンローは闇と詠唱を重ね、呪文名にてそれを形作る。


 エリーゼから借りた本の内容を思い出しながらそう唱えれば、辺り一面が闇に染まった。


 これが闇球の効果か……そんな呑気な事を考えていると、その考えが直ぐに間違いだった事に気付かされる。


 ふと頭上を見上げると、そこには巨大な黒い球が浮かんでいた。


 それはかつてビオラが見せた水球とは似ても似つかない大きさで、小さな一軒家なら丸々呑み込むのでは無いかと思うほど大きな物だった。


(どどど、どうしよう……)


 成功すると思っていなかっただけにどこにどうやって放つかは決めておらず、出現した闇球はゆっくりと地上へ迫っていた。


『ピィィイイイイ!!』


 バルムンクの声にハッとさせられ意識を強く持てば、導かれるように空へ押し出す。


 今までの緩慢とした動きが嘘のように闇球は上空へ移動し、バルムンクが再び嘶けば複数の光球がそれを破壊した。


 激しい破裂音と共に眩しい閃光が放たれると、数瞬の後に襲い来る衝撃と熱波に思わず顔を背ける。


(こりゃすっげえな……)


 苦笑いを浮かべて呟けば絶対に学園内では使えないなと思うと同時に、どうやら魔法の発動はこれで良さそうだと安堵した。


 そして色々と試行錯誤をする度、逃げるように場所を移動しながらどうにか安全に使えないかと試していると、それは声の大きさによって威力が高まるのだと突き止める。


 細く囁くように、注意していなければ口だけ動かしているのかと錯覚されるような小声で詠唱をすれば、常識的な大きさの物が生み出されると知ってからは全ての属性を使用してみる。


 火球、水球、風球は元々か……土球に光球、闇球とその全てを行使して安堵する。


 そして三節、四節と参考書に書かれていた内容を習得し満足する。


 魔法を乱発した反動か、一度使えば発声する必要が無いと分かってからは矢鱈と使いまくり、地面に寝転んで心地良い疲労感を楽しんでいた。


(でも……)


 そうした感情も束の間の物で、がばりと起き上がるとこれじゃ駄目だと己を戒める。


 仮に全ての魔法が思い通りに使えたとしてもウェル……いや、砕月にすら到底届かない。


 自分に出された課題はその一歩先……魔法そのものの制御なのだろう。


「……炎閃:ファイアレイ」


 かつて魔剣が見せたその魔法は大空へ向かって放たれ、極太の炎は子供の頃に見たアニメの必殺技と良く似ていた。


 自身の心がそうさせるのか、はたまた幼少期の羨望が具現化したのかは分からない……断言できるのはグラムの使っていた魔法とは、熟練度が段違いだと言う事だ。


 自分が見ても無駄が多く、あの時に感じた力強さも無い。


 仮にグラムが同じ魔力だったとして、あそこまで極めるのには一体どれほどの年月が必要なのか……それを思えばカルーアの言っていた修行期間が冗談では無い事も納得出来る気がした。


 それでも悠長にのんびりとしている暇は無い。今の自分に出来ることを愚直に、泥臭くても必死にやるしか無いのだ。


 英雄レイジが月を壊すと豪語して生み出したとされる砕月……バルムンクの力を借りればそんなお伽噺のような事も可能になるのだろうか。


 それでもそんな事を試す訳にも行かず、ましてや借り物、紛い物ではそもそもの気概すら違うのだ……徒労に終わる事この上無い。


(自分だったら……)


 ふとそんな考えが頭を過ぎり、自分だったら目の前の敵を確実に倒せる力……贅沢を言えば圧倒するのでは無く、互いに納得が出来、ぎりぎりの勝利を収める……そんな矛盾する魔法が欲しい物だと思った。



 そうして訓練を終えてワイルドパラダイス……略してワイパラに戻れば食堂には龍一とカルーアが座っており、遅めの朝食を摂っているのを見掛ける。


「あ、ゼロ殿!」


 元気に手を振っている所を見れば食欲も戻ったようで一安心だった。


 着替えて来ると言い残して自室へ戻り、装備を外して魔法鞄の中へ。


 バルムンクだけは相変わらずそれを頑なに拒否し、宿で待つかどうするかを尋ねてみるが一向に要領を得ない。


(……教室か?)


 試しにそう聞いてみると一際良い声で鳴かれ、どうしようかと悩んでしまう。


 何か問題は無いだろうか。そもそもバルムンクが起こしたりしないだろうか。変な目で見られるのは確実だし、そもそもイザベルの許可は下りるのだろうか……。


 様々な不安が交錯するなか、考えても仕方が無いと思い外套でバルムンクを覆い隠すと棺桶っぽい形に収まるが柄は飛び出ていた。


 小脇に抱えて食堂へ戻るとカルーアは呆れたような表情で


「あんた、それ本気で言ってるの?」

 と、どこか冷めた視線が痛かった。


(俺のせいじゃない。こいつがそうしろって……)

「ふーん……」


 暫く見つめ合うカルーアとバルムンク。


 無言のジト目が全てを見通すようにバルムンクへ向けられ、何かを探られるような状態に焦っているようにさえ見えてしまう。


「ま、いいわ。問題が有るようだったら昨日と同じ、ウェル様の部屋に置いとくのね」


 どうやらカルーアも一緒に学園へ行くらしく、空いた皿を片付けると学園へ向けて出発した。


 大通りには出ずに少し入った場所に有る定宿からの路地を北上し、流石に今日は無いだろうと甘く見ていたのだが―――


「きゃあああ!!」


 昨日と同様の声が響き、まさか毎日やっているのかと不安になる。


「助けてー!!」

「まてまてー!」

「お嬢様ー!!」


 進行方向の先からアリーゼが抱えられ、昨日と同様の光景が迫って来る。


 流石に同じ轍を踏む訳にも行かず、道の脇に避ければこちらに気付いたのか


「ご機嫌よう! また後でですわー!!」


 と、ドップラー効果を残し遠ざかって行く挨拶と笑い声が少し怖かった。


「これは……無理もござらんな……」


 呆然と呟く龍一にそうだろうと返せば気を取り直し、再び学園への道を歩く。


 石橋を渡り切れば警備の職員に怪訝な顔を浮かべられ、誰かに聞いてくれたのかバルムンクの持ち込みを許可される。


「昨日と同じように、刀身の部分を出さない事。授業中は邪魔にならない場所に置いておくこと……良いですね?」


 その言葉に頷き返し、漸く入場を許可されると中庭にはちらほらと生徒の数が増えて行った。


「そろそろ授業が始まるでござるからな。拙者達も急ぐでござるよ」

「ん。頑張ってくんのよ」


 カルーアからの見送りでやる気が出たのか、鼻息荒く返事をすると教室目指して駆け足を始める龍一。


(道は分かるのか?)


 正直昨日の今日では覚えていられる訳も無く、話に集中していたため全然頭に入っていない。


「勿論でござる!」


 その声に安心して後を付いて行き、廊下を小走りに……時に全力に駆け抜け幾つかの階段を上がればそこはB組の教室だった。


(危なかった……)


 他生徒や職員の人に見つかりそうになった時は焦ったが、怒られないで辿り着けたという事は小走りが利いたのだろう。


 うんうんと頷きながら昨日と同じ席に向かえば、人もまばらな内からエリーゼが静かに佇み本を読んでいた。


「おはようでござる」

(おはよう)


 龍一に続いて挨拶をすればこちらを向いたエリーゼの表情は無愛想に眉を寄せており、視線は専ら抱えられたバルムンクへ注がれている。


「……それは何?」


 まあそうなるかと思い、気にしないでくれと口だけ動かし窓際へ放り投げる。


 例え全力で投げたとしてもグラム同様に自身を操作し、自らの意志で着地するのだろう……ことりと静かな音を立てバルムンクは大人しく立て掛けられた。


 それを見れば興味も無くなったか、エリーゼは再び視線を落とし今日も難しそうな内容の本を読み始めた。


「物好きな事ね。それとも、何か別の狙いでも有るのかしら?」


 一瞬朗読でも始めたのかと馬鹿な事を思ってしまうが、それは自分に向けられた言葉なのだろう。


 他にも席は有る。そう続けた彼女の横顔が少し淋し気に見えた。


(本をありがとう。助かった)


 そう言って頭を下げて借りた物を返却すると


「もう良いの? ……昨日みたいな事になったら嫌なんだけど?」


 と、心配されるがそれについては問題無いと返す。


 筆談用の紙に目を落としたかと思えば、無言のまま本をしまい再び黙読へと戻るエリーゼ。


 初等部で使用していた物との事だが基本的な理論しか書かれておらず、リアモで読んだ入門書やビオラの教えと大差無い。


 忘我状態では成功する物も成功せず、大事なのは精神面……心なのだと気付かされた。


「でござるな。ゼロ殿は今まで俄に信じられないでござるが、魔術では無く魔法に近い何かを使用していたのでござる」


 そう解説する龍一だったが何の事かはさっぱりだ。


 自分が嘗ての大賢者様と同じだったとは到底思えず、それならば好きなように好きな魔法を使わせてくれとも思った。


 その事に追求をしようとした矢先に鐘の音が響き、授業開始前の予鈴が鳴ると教室にはそぞろに生徒が揃い始める。


 見れば亜人獣の生徒も居たようで、兄妹だろうか兄らしき獣人の後を辿るように席へ着くのを見守る。


 今朝見掛けたアリーゼは開始ギリギリに滑り込んでいた。


「それでは授業を始めます」


 二度目の鐘が鳴り、昨日と同様にイザベルが宣言する。


 今の自分は盤石な体制であり、地水火風光闇と全ての属性魔法に備えが有る。昨日のように造形や変形は未検証だが、発現させれば良いだけなら不足は無い。


 そうして挑んだ最初の授業。結果は―――やはり惨敗だった。


 同級生達からの揶揄や嘲笑をその身に浴びながらとぼとぼと、力ない足取りのまま俯いて席へと戻る。


 教卓に置かれた補助用魔法陣を見ると途端に意識が失敗へとつられてしまい、もしもここで先程のような巨大な魔法が飛び出したら全員死ぬのでは無いか……そんな不安が頭をもたげれば声も出せず、意図しない火魔法は極小の出力で形成されて掻き消えた。


(もう駄目だぁ……)


 隣を見ればエリーゼは刺すような侮蔑の目を向けており、何を言うでも無く無言のまま前を向く。


 何も言われなかったらそれはそれで込み上げるものが有り、こういう場合は兎角有効なのだと思い知らされた格好となる。


「き、気を取り直すでござるよ」


 励ます龍一の言葉もどこか震えている気がした。


 数多有る単語を覚えるのも一苦労だが、それに加えて魔法のイメージや完成形、適切な魔力量にそれを制御するという一連の流れがとても苦手だった。


 これを淀み無くやっている龍一は本当に凄いなと思ったのだが、異世界勇者は皆そういった補助機構を持っているのだと言う。


(ズルじゃん……)


 そう言うと龍一は困ったように後頭部を掻いて言い訳をしていたが、それでも楽な事には変わらないと悪びれもせず言葉を結んだ。


「ただ、この方法では発動までに時間が掛かり過ぎるのでござる。拙者独自の方法も使用しているとは言え、ここまで出来る御仁はそうそう居ないでござるよ」


 つい先日そういった御仁に叩きのめされたばかりなのだが、魔法だけの勝負になったらウェルはおろか龍一にさえ勝てはしないだろう。


「次の授業は運動場にて行います。着替えが済み次第、各自速やかに移動するように」


 鐘の音が響いたかと思えば静かな声でそう告げられ、イザベルが言うと同時に机へ袋が舞い降りる。


 中を見ればそれは運動着で、デザインは自分の知ってるそれと良く似ていた。


 袖口やズボンはこの学年の色なのか橙色にあしらわれており、着替えはどうするのかと辺りを見渡せばエリーゼはローブを身に纏って居た。


「こうやって着替えるのよ」


 視線に気付いたのかローブの前を留め、中からするすると衣擦れの音が聞こえて来る。


 一瞬で着替える変身のような魔法は無いようで、色々と雑だなと思うのだが時短だと思えば納得も出来た。


 そんな着替えの最中にエリーゼの足元から一陣の風が巻き起こり、あわや大惨事という場面で瞬く間に弾けて消えた。


 悪戯の出所が何処なのかエリーゼは把握しているらしく、厳しい目を向けると犯人の女生徒は知らぬ存ぜぬと言った態度で口笛を吹いて顔を背けた。


(分かりやすいな……)


 それも含めての嫌がらせなのか、エリーゼが同級生に快く思われていないのは明らかだった。


「今のは……君がやったの?」


 魔法を打ち消した方には心当たりが無いようで、龍一と共に首を振ると


「そう……」

 とだけ呟き、着替えを完了させるエリーゼ。


 魔法を相殺するには同種同様の物をぶつけるのが一番だ。


 属性によって優劣はあれど、あのように消失させるには繊細な技術が必要となる。


(……まさかな)


 バルムンクに目を向けて一瞬だけその可能性を感じたが、こいつが他人の為に何かをするとは思えなかった。


 そう思えば反論の一つでも飛んで来るかと思いきや、相変わらずだんまりを決め込んでいるので放っておいた。


 長机の間に出て教えてもらった方法で着替えていると、自分の方にもクワガタの生徒達から風魔法が飛んで来る。


 それは非常に見え難い物だったがふよふよと足元へ落ち、着地点から天井へ向けて強風が吹き荒れた。


 自分の時もエリーゼと同様にバルムンクが何とかしてくれるのかと思ったが全然そんな事は無く、ローブが捲れ上がるとパンツ一丁の裸体があらわとなる。


 風は尚も止む事なく吹き荒び、恥ずかしがったら負けだと言わんばかりに腕を組んで仁王立ちの構えを取った。


「ゼロ殿、少しは隠すでござるよ……」


 先に着替え終わっていた龍一が呆れて言うので足元の魔法を踏み抜き、風魔法を強制的に終わらせる。


 最初の頃こそ嘲笑が起きていたもののどういう訳か途中から笑う者は一人も無く、声を潜めて何やら耳打ちをし合っている。


 そうして静まり返った教室でいそいそと着替えを済ませれば、龍一の後を追って運動場へと移動した。


次話は来週6月30日(日)0時頃に投稿予定です。

よろしくお願いします。

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