日本人という民族と宗教
日本人は無宗教の民族だと言われます。
NHKが2018年に実施したアンケート結果によると、日本人で何らかの宗教を信じている人は36パーセント、無宗教は62パーセントとのこと(残り2パーセントは無回答または無効回答?)。
ただし冠婚葬祭のとき以外に特定の宗教を信じている人が36パーセントという意味で、特定の宗教は信仰ないが、葬式は仏教、結婚式はキリスト教または神道といった、日本人の一般的なライフスタイルの人はこのアンケートでは無宗教に分類されます。
このアンケート結果では、信仰する宗教は多い順に仏教系、神道系、キリスト教系、その他でした。アンケートによっては仏教系と神道系の順位が入れ替わるようですが、キリスト教系は不動の第3位のようです。この他、イスラム教徒も日本にいるようですが、その他で一緒にされるほど少数派のようです。
クリスマスにはケーキを食べ、正月に初詣に行き、お盆には先祖の墓参りをする...。こうした日本人のライフスタイルは無宗教というより、複数宗教の信仰と言うべきかもしれません。
いずれにせよ、複数の宗教のライフスタイルを吸収してしまう、日本民族の文化は海外からは奇妙に見えるのではないでしょうか。
世界史を紐解くと宗教の違いで多くの戦争が起きています。他民族の宗教は戦争当時国にとってそれだけで危険思想だったのです。
無宗教というと私は共産主義国家を連想します。「宗教はアヘンだ」は共産主義の本家本元、カール・マルクスの言葉です。
こう考えると日本は無宗教国家というよりマルチ宗教文化国家というべきでしょう。
1.日本民族の宗教史外観
ではなぜ日本はマルチ宗教文化国家なのでしょうか。まずは日本人の宗教の歴史的推移を見てみましょう。
6世紀に仏教が伝来する以前は日本民族の宗教はおそらく神道、仏教伝来後は神仏習合という、神道と仏教の二つの異なる宗教を融合させたものが、日本民族の国教的な宗教になります。
神仏習合時代には神社と寺院を隣接させて建立する、ということがよく行われました。また本地垂迹説という奇妙なドグマが神仏習合を正当化させました。これは神道の神々と仏教の仏を一対一対応で関連づけ、二つの宗教は同じものだとする奇妙なドグマです。
ところが明治維新後、新たに制定された大日本帝国憲法では信仰の自由を謳う一方、ほぼ同時に国家神道という概念が出来上がります。つまり異教徒の国民を容認した国教として神道が位置づけられます。
そして第二次大戦後、無条件降伏した日本はGHQの監督の下、新に日本国憲法を制定します。この新憲法では信仰の自由は旧憲法から継続しますが、国家神道の概念はなくなりました。
キリスト教が日本に伝来したのは、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549年とされています。
この後、キリシタン大名などキリスト教もある程度広まりますが、概して日本の時の権力者たちはキリスト教布教に否定的態度をとります。江戸時代の”隠れキリシタン”、”踏み絵”といったキーワードがそれを示しています。鎖国政策もまたキリスト教の布教を防ぐ目的もあったのかもしれません。
キリスト教を信仰しても違法でなくなったのが明治以降でしょうか。
2.神仏習合はなぜか
ところで6世紀に仏教が伝来して以降、なぜ大和朝廷は最終的に神仏習合という”国教”を定めたのでしょうか。
直接的には仏教を押す豪族、蘇我氏が神道を押す物部氏を丁未の乱で破ったことが考えられます、もし物部氏側が勝っていたら仏教は日本から締め出されていたかもしれません。
それにせよ、蘇我氏が勝ったのに神道を完全に排除しなかったのはなぜでしょうか。
実は天皇制を維持するために神道は必要だと大和朝廷は考えたのでしょう。
古事記の神話を読むとわかる通り、天皇は神道の最高神、天照大神の子孫です。よって神道を信仰するかぎり、天皇が日本の元首として君臨する正当性が説明できるのです。
神道が日本からなくなってしまっては天皇制を維持するのが困難になる、と大和朝廷は考えたのでしょう。
では一方で、大和朝廷はなぜ仏教を日本から締め出さなかったのでしょうか。
宇宙とは何か。物質はなにからできているか。地平の端に行くとなにがあるのか。われわれはどこから来てどこへ行くのか。
こうした問いに答えるのに、今のように科学がない時代、仏教哲学がそれを解き明かす唯一の思想体系だったのではないかと思うのです。
自然科学が登場したのは西洋のルネサンス以降です。それ以前には科学はありませんでした。ルネサンスは14世紀から16世紀ですが、日本に西洋の科学技術が本格的に入ってくるのは明治以降でしょう。
当時、中国や朝鮮など大陸の方が日本より文化が進んでいました。
こうした先進国の文化を吸収するためには、仏教哲学が必要だったのでしょう。
宗教というと冠婚葬祭のためにあると考えるのは現代人だけであって、科学がなかった昔の人々にとって、宗教哲学がそれにかわる宇宙の理を説明する思想だったのです。
同じ宗教でも哲学という部分で当時の神道は仏教にくらべ劣っていました。
そこで神道、仏教という異なる二つの宗教を無理やり合成させるという、奇妙な政策を大和朝廷は採用したのです。これが神仏習合の実態でしょう。
3.廃仏毀釈運動とは
ところで明治になると廃仏毀釈運動が起こりました。これは政府が仏教を完全に禁止したわけではありませんが、従来よりも仏教勢力を縮小する運動でした。
西洋から科学が輸入されると政府にとり、仏教哲学の必要性は低くなります。一方、幕藩体制を否定する意味でも明治政府は天皇制を強調しなければならず、このため神道を国家神道として国教化しました。そして日本民族にとっての仏教の役割を相対的に小さくしたのです。
4.キリスト教とのかかわり
江戸時代以前、キリスト教は概して危険思想とされました。西洋の宗教が普及すると日本は西洋の植民地にされてしまう。こうした懸念を徳川幕府は抱いていたのではないでしょうか。
ところが明治になると、科学技術をはじめ、西洋の優れた文化を積極的に吸収する国策(富国強兵、殖産興業)を政府は打ち出しました。
ところで欧米の文化を正しく理解するにはキリスト教文化の知識が必要です。芸術、文学、音楽など西洋文化はキリスト教と密接に関係しています。
そこで日本では明治以降、文化としてのキリスト教を貪欲に吸収していったのではないでしょうか。
5.敗戦と国家神道の解体
第二次大戦敗戦後、国家神道は解体されました。
国家神道が天皇万歳の軍国主義の日本を作ったと考えられ、GHQの指導で解体されたと思われます。
これにより今日の無宗教国家、日本が出来上がったのです。
一方、戦勝国である英米で広く信仰されているキリスト教ですが、敗戦を機にさらに日本に普及してきたのではないでしょうか。
また国家神道の解体で仏教も勢力を盛り返したのではないでしょうか。
6.まとめとして
日本民族の宗教は時間的に”神仏習合教”時代が一番長かったようです。
複数の宗教をミックスさせるのが得意な日本民族。キリスト教に対しても、日本では他宗教を否定せず文化として取り入れてしまった感があります。
文化として様々な宗教のいいとこどりをする、というのが日本人の宗教なのかもしれません。
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番外編
①カレーライスと仏教
カレーライスと仏教は似ていると思うのです。
どちらもインドが発祥の地です。ところが日本へは直接伝搬したのでなく、第三国経由で入って来ました。しかもどちらも和風にアレンジされ、インドのオリジナルとも、第三国のそれとも違うものに変形しました。
カレーライスはイギリス経由で日本に入ってきました。イギリスカレーはオリジナルのインドカレーと少し違います。
また70年代の福神漬けのついた日本のカレーライス、つまりそば屋のカレーライスは、イギリスカレーともインドカレーとも異なる日本独自の料理です。
仏教は中国や朝鮮など大陸経由で入って来ました。大陸の仏教はインドのオリジナルと少し異なります。
そして日本で広まった仏教も、インドとも大陸とも少し違う、ある意味オリジナルの宗教だと思うのです。
②記紀以前の神道
古事記や日本書紀が編纂される以前、この国にあった神道は、記紀以降と少し違う神話だったのではないかと思うのです。
古史古伝書をご存じでしょうか。
竹内文書、宮下文書、九鬼文書、ウエツフミ、東日流外三郡史などが古史古伝書と呼ばれ、古事記と似て非なる神話が書かれています。古史古伝書は明治以降の神道系新興宗教の聖典とされながらも、多くはアカデミズムから偽書扱いさてれいます。
しかしながら太安万侶による古事記の序文を読むと、おそらく古代においては地方ごとに複数の似て非なる日本の神話が乱立していたのではないかと推測されます。
つまり古史古伝書のような複数の神話のバリエーションが共存していたのです。
そしてこれを整理して正しい神話および歴史の政府公認版を書き記すべく、天武天皇が太安万侶に古事記の編纂を命じたようです。
これを陰謀論的に推理すれば天武天皇の政権を正当化するため、微妙に事実を歪曲した歴史書が記紀なのかもしれませんが。
いすれにせよ、記紀以前、日本の神話および神道は今日の神道とは少し違っていたのかもしれません。
(了)