小説家になめろう
お昼になめろうを食べていて思いつきました。
思いつきの短編で恐縮ですが、よろしくお願い致します。
「ですからね、次の作品は泣ける作品で、新規読者を広く獲得した方が良いと思うんですよ」
と、担当編集のD氏は言った。
「先生、同人作家時代は結構泣ける作品書いていたじゃないですか。そういうのをぱーっと書いてですね、ここらで新規の読者を集めましょうよ、ね?」
「はぁ……」
自室の応接用テーブル——といっても普段食卓にしているそれを片付けただけのもの——のコーヒーカップに口にをつけながら、俺は気の抜けた返事を返す。
D氏の言うとおり、なのだろう。
だがどうも気が乗らない。
「ほら、いつものようにイメージを挙げてみてくださいよ、なんだったら既存作品のタイトルを組み合わせてもいいです」
「それでいいなら——」
いま、思いついたものがある。
「『100日後に死ぬ◯鈴』」
「先生に人の心は無いんですか」
酷い言われようだった。
■ ■ ■
高齢化が進んで人口が減った高層団地の一室に住み、小説を書いて暮らしている。
もともとコミュニティタウンという都市計画の元に造営されたここは、車道と歩道が完全に分離しており、非常に静かな環境を作り出している。
昔はそれでも行き交う人々で賑わっていたそうだが、今となっては閑静すぎる団地といったところだろうか。
最上階のここは、ベランダ越しの外を見ると空しか見えない。
周辺の棟よりもこちらの方が高い場所に建っているためであった。
——そこで、鍵の開く音がする。
「ただいま戻りました。——あら? Dさんはもうお帰りに?」
「俺だけが担当では無いからね。ここは最寄りの駅でもバスで20分はかかるしそう長くもいられないよ——おかえり、思文さん」
彼女の名前は、祭思文という。
——十年ほど前に相変わらず続く不景気と人材育成を兼ねて、国がはじめた国選メイドのひとりだ。
「そうでしたか……」
おそらく、D氏にお茶を淹れてあげたかったのだろう。
コートを脱ぎながら、思文さんはそう呟く。
その下は国選メイドの名に恥じないメイド服だ。
つい最近まではそれ系の喫茶店かイベントでもないと見かけないものであったが、いまは割と普通に見ることが多くなっている。
「あ、そうだ先生。今晩の夕飯なんですけど、いいアジが手に入ったんですよ」
そういって彼女は、新聞紙に包まれた新鮮そうな青魚を見せてくれた。
「いいね。フライか、焼き魚かい?」
「いえ、すごく鮮度がいいのでお刺身か、海鮮丼にしようと思います」
「——あ、済まない。言い忘れていたんだが生魚はダメなんだ」
「えっ」
「昔、鯖に当たってね」
ご存じアニサキスである。
あの小さななりで内臓に激痛をもたらすかの寄生虫のお陰で、俺は以来生魚が駄目になっていた。
「どんなに鮮度がよくても、あの生の魚の匂いで拒否反応を示してしまうんだ。魚として観る分には平気なんだが」
食材としてみると、途端受け付けなくなる。
おそらく、トラウマになってしまっているのだろう。
「なるほど。では今晩のおかずはアレで行きましょう」
「アレとは?」
「みてのお楽しみですよ」
そう言って、思文さんは支度をはじめた。
■ ■ ■
鮮やかな手つきで、思文さんがアジをさばいていく。
この家はリビングからカウンター越しにキッチンを眺められるため、先ほどの食卓にいながら料理をする様子を見ることができるのだ。
綺麗に身だけになったアジを、思文さんは丁寧にまた板の上に並べる。
そして、包丁を二本両手で持つと、それをリズミカルに刻みはじめた。
これは——たしか。
俺が料理名に至る前に、思文さんはあらかじめ刻んだネギを加え、ショウガを加え、ミョウガを加え、ネギ、醤油、ごく微量のごま油を混ぜ、さらにリズムよく包丁で叩く。
そしてそれらを、紫蘇を敷いた器に盛り——。
「できました。今日の夕飯は玄米とほうれん草のおひたし、茄子の素揚げ、そして——なめろうです」
「やはりなめろうか」
どこかで聞いたことがある。
魚を叩いて香味野菜と調味料で和えた料理だ。
「一口だけでも食べてみてください。駄目だったら、焼いて朴葉焼きにしてしまいますので」
なるほど、リカバリーできるようにしてあるのか。
それならば、試してみる価値はありそうだ。
器に盛られたなめろうは、独特な光沢を放っており、その香りは香味野菜によってまったく生臭くない。
箸の先で少しだけつまんで、口の中に入れてみる。
……まず漂うのは、味噌の風味。そして香味野菜のさわやかさが口の中に広がり——最後に、アジの旨味が追いかけてくる。
端的に言って——。
「うん、美味い」
「よかった。これなら生魚が苦手な先生でも食べられると思ったんです」
俺の向かいで、白いエプロンを脱いだ思文さんが、そう微笑む。
「なるほど、調理の仕方によっては生魚も美味く感じることができるのか——」
「これくらいしか、レシピが思い浮かびませんでしたけどね」
そう言って笑う思文さんをみて、俺はある考えが浮かんだのであった。
□ □ □
「なるほどなるほど」
数日後、再び訪れたD氏は俺のアイデアに深く頷いていた。
「耐用年数が切れかかった少女型のロボットが、最後の仕事を探す物語——まぁ、こちらのオーダーに乗りながらも先生っぽい作風ではありますね。それで行きましょうか」
「ありがとうございます」
「二週間くらいでプロットを送ってください。それを編集会議に出してみます」
「わかりました」
「それじゃ、僕はこれで。……あぁ、このアイデアどこから出てきたんです?」
D氏の疑問に、俺は肩をすくめて答える。
「なに、なめろうを食べたときに——ちょっとね」
お読みいただき、ありがとうございました。
舞台は、故郷をイメージしました。
最近訪れていませんが、いまも静かな街並を湛えているのでは無いかと思います。
久々の短編でしたが、いかがでしたか?
もしよろしければ、感想をお伝えいただけると幸いです。