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レフュージア  作者: 一森 奥
8/9

アジア編8

ミラ達との会談を終えるとヒロは1人でスクールエリアに戻り、エリア最奥にある裏山に登った。大して高くもないが木々が鬱蒼と茂っている山だ。その小山を少し登ったところに大きな岩がある。それによじ登るとヒロの眼前に広大な中央アジアの平原が広がる。ヒロはバッグからバーボンの瓶を取り出すと栓を開けて岩の上に2度3度と零してから、自分も一口飲んだ。


「こんなのが美味いのか、ルーカス?やっぱり俺はあんまり好きじゃないな」


この場所はヒロたちがスクールに通っている頃から時折訪れては、青春の悩みを語り合ったり、バカを言い合ったり、主に成人してからは酒を飲んではしゃいだり、将来の夢や愚痴を溢したりする為のお気に入りの場所だった。年上のルーカスはいつも輪の中心にいて、その明るいキャラクターでみんなを和ませたりしながら、それぞれ出身も家庭環境も違う面々を緩やかに、それでいて確かな絆でまとめていた。


ヒロは遠く大地の上に広がる雲の奥に日が沈んでいく様子を眺めながら、しばらくの間、ただただ風に吹かれていた。

あの頃ここに集まったことのあるメンバーの中で、今でもアルディオンに残っているのはキムとディエゴくらいのもので、他はみんな散り散りになってしまった。もっともここは基本的に男同士の溜まり場だったからキムは滅多に来たことはなかったのだが。

ぼんやりと過ぎ去りし日々のあれこれを思い出すにつれ、ヒロの心は冷たい風にさらされて凍え始める。あの忙しなくも暖かな日々はもう2度と戻らない。

彼は立ち上がると岩を降り、再び市街地へと向かった。



スクールエリアを出て20分ほど歩くと周りは住宅地ばかりになる。あたりは暗くなり始め、家々には明かりが点き始めていた。

目的の家にも既に明かりが点いていた。ヒロが家のそばでまごついていると突然ドアが開いた。

ドアを開けた人物はヒロを見つけたようで、中に向かって何か言うと大きな身振りで手招きをした。彼は心を決めてその家に向かった。


「ヒロ、やっと帰って来てくれたんだね!」


長身の黒人青年が大きく腕を広げてヒロを出迎えると、ギュッとハグをした。体格差があるのでハグというよりも抱え込まれていると言ったほうが適切だろう。


「ウィリー、またでかくなりやがって。もうガキじゃないんだから、いつまでも抱きつくなよ」

「はは、ヒロは相変わらずシャイなんだな。いいじゃないか、僕にとってはいつまでたってもお兄ちゃんなんだから」

「ちっ。でかくなっても相変わらず末っ子体質は変わらないな。ますます顔はルーカスに似てきてるのに、中身は全然違うのな」


それよく言われる、ウィリーは笑いながら返事をして、ようやくハグしていた腕を解いてくれた。

よく帰ってきたわねぇ、奥の方から声がすると50代くらいの女性が出てきて、ヒロはまたきつくハグされる。最後にすらりとした若い女の子が出てくると、優しくおかえりと言って軽めのハグをされた。


「トリーおばさんもリタも元気そうで良かった。ごめんね、中々帰ってこれなくて」

「ヒロ、あんた、それはハル達に真っ先に言わなきゃいけないんじゃないの」


ルーカスの母トリーがヒロの謝罪に対してそう返すと、ヒロは決まり悪そうに人差し指で頰を掻いた。


「全くいつもこうなのよ、この子ったら」


奥からヒロの母親 雨木 春子が料理を盛った大皿を持ちながら、わざとむくれた表情をして現れた。


「お兄ちゃん、さっさと上着脱いで手を洗ってきなさいよ」

「なんだよ、母さんだけじゃなくてカヤもいたのか。驚かすなよな」

「お兄ちゃんのことだから家で待ってたら、いつ帰ってくるかなんて分からないでしょ。だからトリーおばさんに頼んで、今日はみんなで夕食を食べることにしたの」


ヒロは苦笑いするとウィリーに上着を預けて洗面所に行った。

それから暖炉に飾ってあるルーカスの写真の前まで行き、バーボンの瓶とさっきの岩山の下で摘んだ花を一輪置いた。

その後しばらくトリーとウィリーの話好き親子に質問責めにされていると、キムとディエゴがやって来た。ヒロの妹のカヤはディエゴとハグだけでなく頰に軽くキスし合うという、およそ日本人らしからぬ挨拶をした。付き合っているとは聞いていたが、いざ親密な姿を目の当たりにするとなんだか微妙な気分になる。

ヒロの視線にカヤが気付くと彼女はディエゴを連れて彼の前までやって来て言った。


「知ってると思うけど、私ディエゴと付き合ってるから。まぁ、何て言うか。そういうことだから、よろしく」

「ヒロ、あらためてよろしく」


つっけんどんなカヤをフォローする意味もあってかディエゴがおどけた調子で言った。ヒロは無性に腹が立ったので、こちらこそよろしくと言いながら肩をバシバシと強めに何度も叩いた。

ゲストが全員揃ったところで、夕食が始まった。大きなテーブルを囲んでトリーと春子が作った料理をみんなで話しをしながら食べた。

昔は月に数度はこうして集まって食事をしたものだった。ルーカスはここでも中心にいた。スクールの同期や部隊の仲間がその時々にやって来ては、家庭料理を楽しみながら和気藹々と話をした。そこは殺伐としがちな日常を離れて、普通の人間の生活に戻ることのできる大切な場所だった。


春子とカヤは、照れ臭いのかヒロにほとんど質問をしなかった。その代わりにトリーとウィリーが、最近はどこにいたのか、何か面白いことはあったか、珍しいものは見たのか、次から次へと質問責めにした。お陰でなかなか食事が進まなかった。


食事が終わると皆で後片付けをする。誰が何をやるか決まっているわけではないが、自然と手分けをして片付けをするので、先ほどまで雑然としていた部屋はすぐに元のようにスッキリとしてしまう。それから少しくつろぐと、ディエゴがもう少し飲み直そうとキムとヒロを誘い出した。ディエゴが予めカヤに話しを通していたこともあり、みんな気を遣ってすぐに3人を自由にしてくれた。




久々の再開だったからか、3人ともどこかはしゃいでいた。途中、無意味に走ったりしながら人通りの少ないアルディオンの街中をスクールエリアまで戻った。

ディエゴとキムは一度部屋に立ち寄って追加の酒やつまみを持ってきてくれる。こういう時に自然と足が向くのは飼育棟だった。

スクールエリアの一番奥、ヒロが夕方登った裏山の麓に飼育棟はある。捕獲した魔獣を研究したり調教したりというところから始まった施設だが、現在ではそれのみならず飼育し繁殖にも挑戦している。

飼育棟に着くとヒロは守衛のセルゲイ爺さんに挨拶し、土産のインドビールを数本渡した。セルゲイ爺さんはヒロを久しぶりに見てとても喜んでいたのだが、いつも目を細めて眠そうなんだかニコニコしているんだか分からない表情をしているので、ヒロには酒呑みの彼がビールで満足してくれたものかどうかあまり分からなかった。


両側に部屋のある飼育棟の薄暗い廊下を奥の方まで進むと天井が急に高くなり、巨大スタジアムのようなだだっ広い空間が現れた。壁面の低い位置に設置された照明の薄明かりに照らされて、左手奥側に幅5mくらいの間隔で仕切られた小部屋が数十部屋並んでいるのが見える。

3人は別々の小部屋の前まで行くと自分のワイバーンを連れ出した。それからスタジアムのように広いその空間の中程で丸くなって座った。ワイバーンたちはそれぞれの主人の後ろに大人しくうずくまる。



「じゃ、あらためて。おかえり、ヒロ」


ディエゴが3人の真ん中にランタンを据えると、その周りにつまみが広げられる。それぞれがカップに酒を注ぎ終わったのを見てから、ディエゴがカップを掲げる。それに続いて2人もカップを掲げ、それらを軽く打合せた。

ヒロが昼間に会った同期のクリストファー・ビーチャムや親衛隊長バルナバスの悪口を言うと、ディエゴはそれに輪をかけた悪口雑言をまくし立てる。キムは苦笑いしながら、あまり人の悪口を言うものじゃないと2人を窘めるが、ヒロはいつまでも優等生っぽく振舞わなくても良いんだよと逆にキムをからかう。


「それにしても、良くやってるよ」


ヒロは急に真面目な口調でキムに声をかけた。


「なに、突然。気持ち悪い」

「いやだってさ、本当にそうだよ。だって、分隊のメンバーは誰も残ってないし、世話になった人たちだって結構出て行っちゃっただろ。そんな中でミラさんの片腕として、いろんな部署仕切ってるんだろ。ミラさんなんて、言っちゃえば国の中枢だろ。ミラさんはともかく嫌な奴らだって多いのに、ちゃんとやってて偉いよ」

「偉いってなによ、その上から目線」


キムは照れ隠しにキツいことを言っておきながらもヒロから目を逸らした。ディエゴはニヤケながらつまみを次々に口に運んでいるが、ワイバーンにちょこちょこ横取りされている。

しばらく沈黙が流れた後、キムは咳払いをする。それから珍しくボソボソと話し始める。


「どうしてもすぐには戻って来ないの?」

「あぁ、しばらく戻る気はないよ」

「なんでよ」

「だって、良く分からないんだよ。この国がこれから何をしようとしているのか見えない。もう神様ってのがいるのかどうかすらも分からない。神が与え給うたこの奇跡の力、はじめはそう思っていたけど魔法なんて俺たちだけのものじゃなかった。というより、今じゃむしろ俺たちの方が偽物なんじゃないかとすら思ってる」


ランタンの炎に合わせて影が揺れる。ヒロが続ける。


「一体俺たちは何と戦っているんだ。そもそも魔人、て言うかエルフってのはなんなのさ。おとぎ話のエルフも人間に対して残忍なことはあるけど、あそこまでじゃないだろ。それが向こうから突然やってきて、地球を滅茶苦茶にしやがった。文字通り人を人とも思ってないのは痛い程分かったけど、だけど何が目的なんだ?世界征服?何の為に?領土か資源か、なんなんだ本当に」


じっと黙っている2人にヒロはなおも話し続ける。


「そんなことすら知らない状況をまだ先延ばしにするのか?神の名の下の栄光ある孤立、だなんて言いながらいつまでも没交渉を貫いてるこの国にいたんじゃ外の国が何を考えているのかも分からない。ブルードレスみたいな想定外の味方っぽい奴が他にいるとも考えにくいけど、ここでお告げを待ってるだけじゃ座して死を待つのと一緒だろ」

「そんなこと言ったって、崩壊した国家はあちこちにあるのよ。その再建や行き場を失くした人たちの支援をしないわけにいかないじゃない。次の戦いがあるからって、今助けを求めている人たちを見捨てることなんてできるわけないでしょ。人的リソースの少ないこの国じゃできることなんて限られてるんだから」


言ってからキムは悔しそうに唇を噛み締めた。


「だからキムは偉いって言ってるじゃないか。俺がいたところでどれだけ役に立てるかどうか」

「役に立てる立てないじゃない。やるしかないのよ。いくらルーカスのことがあるからって、目の前のことから逃げて。あなたは結局のところ自分勝手なのよ」


答えもなく語り尽くされることもないまま、会話は途切れ途切れになる。時折、ワイバーンがもぞもぞと動く音が響く。

ヒロは再び思い切って口を開いた。


「エスペランサに会ってみたいんだ。今、あの人が何を考えていてどこを見ているか知りたいんだ」

「エスペランサね。あなた、気に入られてたものね」

「なんだよ、随分棘がある言い方だな。妬いてるのか?」

「いちいちうるさいわね、なんでわたしが妬くのよ。出て行った人にいい気がしないだけよ」

「キムだって分かってるだろ、エスペランサが出て行った理由は。そんな言い方するなよ」

「分かってるわよ、そんなこと」


その後も2人は喋っては衝突するというのを繰り返す。とうとうディエゴがたまらず口を挟んだ。


「まぁ、2人ともそんなにイライラしないでよ。で、ヒロはエスペランサの所に行ったらすぐに帰ってきてくれるんだろ?」

「いや、そしたらヨーロッパに渡ろうと思うよ。ヨーロッパは向こうの奴らに占領されたアフリカと通商してるんだろ。アフリカは新世界共和国だっけ?俺たちはオーストラリアの帝国の連中とは違うとか言ってご大層な名前付けてるらしいけど、うまくしたらそっちに渡れるかもしれないし。それからアメリカに行ってアレックスに会ってくる」

「そんなに回ったらいつ帰ってこれるのか分からないじゃないか。時間はそんなにないんだ。どうするのさ」

「それを考えるのはこの国のお偉方の仕事で俺ごときの仕事じゃない」


ヒロは珍しくディエゴに対して突っぱねるような物言いをしてから、少し済まなそうな顔をした。

キムは酒を一口含んでから、ヒロに聞く。


「今のところウチの国としてはインド・アジア圏の復興で手一杯だけど、私がミラ様の代理として他国との連携交渉も始めてるところよ。ビザを用意できたのも、その成果。それの手伝いって形ではダメなの?」

「肩書きはなるべく無しで行きたいんだ」

「そんなこと言ったって、結局はうちの国のビザ使って行くんじゃないの。格好付けないでよ」

「それでも、使節として行くのと個人で行くのじゃ大違いじゃないか。俺は1人の人間としていきたいんだ」


意固地になるヒロに対してディエゴが冗談めかして言う。


「そしたら、むしろスパイに間違えられるんじゃないの?」

「まぁ内情を知りたいんだから実際スパイみたいなものだし。いっそ堂々とやらせてもらうよ、個人として」


ヒロの決意は固いようだった。意思を曲げられないと悟って、ディエゴがキムに取り成すように言う。


「俺も今以上に手伝うからさ。ヒロを行かせてやってよ」

「ディエゴが今以上にって言ったって、1が1.2になるくらいじゃない」

「20%増しだったら十分凄いじゃない」

「私は絶対量が少な過ぎて、大して違いがないってことを言ってるの。その異常な前向き思考やめてくれない」


ディエゴは両腕を上げて、大袈裟に首を振る。そんな2人を見て、ヒロはくすりと笑う。


「ディエゴ、これ以上は傷つくだけだから静かにしてた方が良いぞ」

「あぁ、そうする」

「魔法の研究が遅れたら、ヒロ、あなたのせいだからね」

「天才魔術師キム・マッケンジー様がいらっしゃれば安泰だって、俺は若い頃に聞いたことがありますけどね」

「まだそれを言うわけ?いい加減からかうのやめなさいよ」

「からかってないよ。キムは実際ずば抜けて才能があるんだから、魔法の研究は頼んだよ」


からかわれたかと思うと急に真面目に褒められたので、キムは何も言えなくなる。


「実はさっき見せなかった魔法がもう少しあるんだ。見てくれよ」


ヒロはそう言うと、6つの魔法を展開した。


「もちろん発動はできないし、俺もまだ研究どころか分解すらできてないから効果は分からない」

「まだ、こんなに有ったの?しかも第6位階が3つも!そういうものはさっさと出しなさいよ。ブルードレスはこんなものをポンポンとくれたわけ?あなた、何したの」


言うが早いかキムは目の色を変えて、自分でも魔法を1つ展開すると微動だにしなくなった。どうやらそこで酒盛りは終わりになってしまったようだ。

しばらくの間、彼女は6層の魔法陣を1層1層じっくりと眺めていた。それから何か合点がいったのか1つ頷くとヒロとディエゴに手順をいくつか示しながら実験の指示を出した。ヒロはキムの手際の良さと指示の明確さにあらためて舌を巻いた。

そこには1人よりも3人という程度の違いどころではない効率の良さがあった。魔法陣1つ1つの系統、組成そして魔法全体の構成、それらからそれぞれの効果を推量して魔法陣の効果を探るという程度はヒロでもやる基本的なことだ。だが、キムは個々の魔法陣の組成をより深く、かつ全体を網羅的体系的に広く理解しているという、魔法の教養とでもいうようなものがヒロたちより遥かに深かった。それ故に新しい魔法でもすぐにその勘所を押さえてしまい、分析するのみならずそれをたちまち応用することができるという卓越した職人のような技を身に付けていた。キム本人はそれを大したことだと思っていないようだが、魔法研究部門のNO.2に早くから抜擢されていたことからも分かるように周囲は彼女を最大限評価していた。

キムの指揮の元、スクール時代のような熱心さで魔法陣の分析に取り掛かった3人は明け方まで魔法の研究を続け、魔法陣の分析を2つ済ませると部屋に戻ることにした。


飼育棟を出ると空は白み始めていた。仲間と爽快な疲労感とともに一緒にひんやりとした朝の空気の中を歩くのはどこか懐かしく、それでいて今の彼らには新鮮なことだった。

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