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レフュージア  作者: 一森 奥
3/9

アジア編3

ヒロがキムと会ってから1週間が経った。キムに頼んでいた荷物は無事に届いた。それでも、ヒロは特に遠出もせず、本を読んだり近隣の子供たちと遊んでやったりしながら過ごしていた。

酒は相変わらず毎晩夜遅くまで飲んでいて、深酒をしては昼前に起きてくるような生活を繰り返していたが、今日はいつもと違って、朝8時にゲストハウス屋上のテラスにやってくると隅のテーブルに腰かけた。


「ヒロ、どうしたんだい、今日は随分とまともだね。ヒゲも剃っちゃってさ」

「まとも、だなんて随分な言い草だな、マヘシュ。いつもの朝食を頼むよ」

「うん、分かった。でも、いつものったって、最近朝ごはんなんか食べてなかったけどね」

「一言余計だよ」


チャパティにオニオンサラダ、何かの漬物とチャイという、いつもどおりの朝食を済ますと彼はマヘシュをテーブルに呼んだ。


「今日も美味しかったよ。あのさ、しばらく出掛けるよ。今回は戻りがいつになるか分からないから、部屋は空けてくれて構わない。色々と世話になったね、ありがとう」

「そうか、今日行くのか……気を付けてくれよ。また戻って来てくれると嬉しいよ」

「まぁ、良い客だしな、俺」

「酒さえ飲まなければ最高なんだけど」


お互いに軽口を言い合いながらも表情は寂しげだった。

ヒロが少し多めに代金を支払うと、マヘシュはにっこり笑いながら受け取って言った。


「次はビールを多めに用意しとくよ」

「そうしてもらえると助かる。そのうち、また来るよ。体に気を付けて」

「ヒロの方こそ」


二人は握手すると何事もなかったように別れた。ヒロは早々に階下の自分の部屋へ、マヘシュは食器を持って裏へ下がっていった。


ヒロは荷物を取るとすぐにワイバーンのトリの元へ行くと頭を撫でてから餌をやった。

彼はこの乾いた空気の街が気に入っていた。ここ数年、決まった家を持たない彼でも気に入っている街を離れるのはやはり寂しい。少しの間、トリを撫でながら中空を見つめていた。


しばらくして、彼はトリを小屋から引き出した。すると、いつものように子供達が近寄ってきた。独り者で子供が特に好きなわけでもないが、一人一人頭を撫でてからキャンディを手渡していった。なんだか大阪のおばちゃんみたいだな、大阪がまだあればだけど、と彼は思った。子供達はいつもとは違う様子を感じ取ったからか怪訝な顔をしたが、喜んでキャンディを受け取り、すぐにそれを口に放り込んだ。


「おじちゃん、キャンディくれてありがとう。今日はどこ行くの」

「おじちゃんて年でもないんだけどな……ずっとあっちの方。危ないから離れてな。じゃあ、またな」


小さな女の子にそう言われて苦笑いしながらヒロは遠くを指差しながら答えた。答えながらトリに乗ると手綱を握った。

トリはゆっくりと3回羽ばたくと宙に浮かんだ。その後も羽ばたきの速さは変わらなかったが、すぐに上空数百メートルまで舞い上がると東を目指して飛び去っていった。


東へ向かう道中、ヒロは上空から大地を眺めていた。今回は高度を落としてゆっくりと飛んでいるので、地上の様子がよく見えた。見えてはいたが、都市は数カ所しか見つけることができなかった。彼は昔を知らないので、日本と異なり広大なインドの大地がどうだったのかはっきりとは分からなかったが、少なくとも今のような景色は広がっていなかっただろうと思った。ほんの3年前までは。

そして、今の日本はどうなっているのだろうか、高校の同級生達や初恋の優花は元気に暮らしているだろうかと束の間、思いを馳せた。



ガンジス川を見つけると川沿いに飛び続けた。船を数隻見た以外は人影を見つけることは一切なかった。日が暮れる頃、現在の東インドの拠点都市の1つバラナシに辿り着いた。

ヒロは街から少し離れたところに降りるとトリを隠して、一人で街に入った。

古くからの聖地であるバラナシには今でも巡礼の為に人が集まってくるらしく、今まで見てきた景色が嘘のような賑わいを見せていた。その一方で街の隅々には襤褸をまとった人々が力なく蹲る姿を多く見かけた。元からそのような暮らしをせざるを得なかった階層の人々も中にはいるのだろうが、大方は避難民なのだろう、ヒロが目の前を通っても反応せず、ただ疲れ果てた様子でそこにいるだけだった。


街の中心部に入り、久しぶりに味わう人の波をかき分け、彼は政府機関の入る庁舎に向かった。窓口で怒鳴り合う声がそこかしこで響く中、どうにか知り合いの事務官を見つけると孤立住民の為の避難ガイドを10部もらった。これから行く先の地域で何組かは見つかるであろう生存者に渡す為だ。

事務官に東側の情勢を聞くと、遥か東バングラデシュの港湾都市チッタゴンまでのルートは定期的に行き来できるまでになったとのことだった。陸はインフラの維持どころか修繕すらできていないため、人の移動や物流は水上がメインになっている。

チッタゴンから先は沿岸を航行する交易船が、不定期でヤンゴンまでなんとか出ているらしい。その先はボロボロの陸路を伝って人と物のやりとりがなんとかバンコクまであるらしい。チッタゴンから先のことは事務官も又聞きの情報とたまに見かける物品から推測するしかないようで、らしいという表現ばかりだった。キムが復興してきていると言っていたが、まさにその途上のようだ。まだまだ情勢が不透明な地域を探索する任務だということをヒロはあらためて感じた。


政府庁舎を後にしたヒロは街で食事と少しの買い物を済ますと、トリのもとへ戻った。やることもないので、テントを張ってさっさと寝てしまった。

早めに寝たせいでヒロは空が白む頃には目を覚ました。テントから出るとトリを撫でてやる。それから、お湯を沸かしてコーヒーを淹れた。昨日街で仕入れたパンに手持ちの溶けかけチョコレートを一かけ乗せて頬張る。

野鳥のさえずりだけが聞こえてくる中、彼はただ独りでこの朝をゆっくりと味わっていた。


日が少し昇った頃、彼は手際良く辺りを片付けるとトリに乗って移動を開始した。

東インドの情勢はかなり落ち着いた、と昨日事務官から聞いていたのでバラナシから

一息にバンコクまで飛んだ。途中チッタゴン、ヤンゴンとかなり復興している街もあったが、東へ行けば行く程、緑が深くなっていき人の営みどころかその痕跡すら感じることができなくなっていった。

バンコクは水路にかつての面影を残しながらも近代的な街並みはあらかた破壊されてしまっていた。それでも交通の要衝として人が集まり、現在ではかなりの数のバラックが立ち並んでいた。

ヒロはバンコクで一泊し、割高だったが水と食料をさらに買い足した。南方への拠点となる街が復興を始めているのには、彼も感動を覚えた。街中でも情報収集を進めたかったがバンコクから南に行く物好きはまずいないし、南から避難してくる人も今は滅多にいないようで、ほとんど情報は集まらなかった。


翌朝早く、再び彼は移動を始めた。

マレー半島の東側の海岸沿いを速度を緩め、低空で南下した。人がいなくなり自然の力が強くなるにつれ、動物も増えてきて、群れで行動する鹿のような動物を頻繁に見かけた。象を見かけた時には魔獣と勘違いしそうになったので、魔力感知を使ったまま移動することにしたが、それからも魔獣を見かけることはほとんどなかった。


昼近くになって初めて遠くの海岸に煙があがっているのが見えた。煮炊きをしているのだろう、10人ほどの集団だ。ヒロはさらに高度を落として、相手から見えないように近付くとトリから降りて、徒歩で更に近付いた。やがて集団が彼に気が付くと、彼は水の入ったボトルを高々と掲げて足を止めた。それを見て、すぐに集団の中から初老の男が歩み出てきた。ヒロは男が近付いてくるのを待った。


「お前は誰だ。どこから来た」


男は、ヒロを一通り眺め回してから警戒心たっぷりに問い質した。


「はじめまして、ヒロと言います。アルディオン人でバンコクから来ました。とりあえず水でもいかがですか」


ヒロは答えるとカバンからコップを取り出してボトルの水を少し注いだ。そして、まず自分が飲んでみせてから、男にも勧めた。男はヒロからコップを受け取ると毒味をするように少し口に含んだ。安全なのを確認すると一気に飲み干した。


「ソムチャイだ。うまい水をありがとう。アルディオン人てなぁ、よくわからねぇけど。バンコクは大丈夫なのか、なぜ今まで誰も助けに来てくれなかったんだ」

「まぁ、落ち着いて。バンコクは最近復興したばかりで、今もまだ政府は機能しているとはいいにくい状態です。助けに来る余裕はなかったんです。あなたのお仲間に水を分けても?」


ヒロはそう言って、ソムチャイの後ろに向かって手を広げてみせた。


「あぁ、そうか。そうなのか。ありがとう。そうしてくれ」


ヒロはソムチャイの後から着いていった。そこには、ソムチャイと同年代の男性が1人、女性が2人、高齢の女性が1人、子供が6人いた。男性は怪我をしているようだった。

ヒロがボトルとコップをソムチャイに渡すと彼は順に飲ませていった。ボトルの水はあっという間に3分の1程まで減ってしまった。


「水は、あとでもう1本お渡ししますから心配しないでください。ソムチャイさん、色々聞きたいんだけど…」

「取り敢えず少し離れた場所で話をしようか。ちょっと、この人と話をしてくる。みんなは片付けを続けてくれ」


そう言うと、2人は少し歩いて大きめの流木に腰掛けた。


「まずは礼を言わせてくれ。真水は貴重だから、とても助かった。ありがとう」

「気にしないで、生存者を見つけるのも仕事なので。で、皆さんはどこから来たんですか」

「南のソンクラーって街から少し行ったところの村だ」


ヒロはカバンから端末を取り出すとソンクラーについて調べた。タイの南部の主要都市の1つで、現在地からは300キロくらい南にあるらしかった。



「結構離れてますね。ここまではあの船で?」

「そうだ。俺は漁師だから、村にいる人間がほとんどいなくなっても、村でどうにか過ごしてたんだけどな。でも、ほら、あそこの、義理の弟が怪我しちまってな。病院のあるところを探して北上してるのさ。途中で何箇所か街を見つけたがどこも人はいなかった。ここにはヤシの実を取りに上陸したんだ」



「南は…… やっぱりダメですか」

「南ね。南はあれから時間が止まってるみたいだよ、何も起こらないが人はどんどん減っていって誰もいない。南から北へ向かってる人間には何人か会ったけどな。北から来るのは1人も見てないよ。あんたが初めてだ。あんたどうやって来たんだ、仲間はいないのか?遠くに車でも止めてあるのか?」

「まぁ、独りですけど、ちょっとした乗り物で来てます。あっちに止めてあります」

「そうか。まぁ、北はマシなようで安心したよ。南から来る人間は皆、南には行くなって口を揃えていたよ。なんでも、ブルードレスって恐ろしい魔女がいるそうだ。あんたも噂くらい聞いたことがあるだろう」

「えぇまぁ。でも、本当なんですかね。そんなのが本当にいるなら、この辺がもっと荒れててもおかしくないと思いますけど。ソムチャイさんは魔獣って知ってますよね?魔獣見ました、最近」

「魔獣はもちろん知ってるさ。でも、ほとんど見ないなこの辺じゃ。あの日、ソンクラーが襲われた日は一晩中街が燃えていて、街の上を大きな黒い影がいくつも飛んでた。その後しばらくはうちの村の近くでも大きな狼を見かけて、みんな海へ逃げたもんだが、1ヶ月もすると姿を見なくなったな。今回の移動中も見かけたのは一度だけだ」

「こっちにはあまり魔獣がいないんですね。我々の仲間が退治したって話も聞いてないのに少ないのもよく分からないな」

「でも、南から来る連中は必ず、あっちには恐ろしい魔女がいる、お前も早く北へ逃げろって言って立ち去っていったぞ」

「そうなんですね。魔獣の被害で逃げてきたんじゃないっていうのが、あまり聞かないケースだな。僕はもう少し南まで行ってみます。そうだ、避難先のガイドを差し上げます。バンコクも復興してきてますけど、できることなら政府が健在なインドまで行ってください。言葉が通じなくて大変かもしれないけど、政府は機能してて仕事はいくらでもあるし、決して粗末には扱われないと思います」


話し終えるとヒロはソムチャイにもう1本水の入ったボトルを渡した。戻ると出航の用意ができていて、彼は船を出すのを手伝って、一人見送った。白い浜辺とエメラルドグリーンの海、そして白みがかった水色の空、人は彼ら以外には誰もいなかった。

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