その2 森の中の二人
「遅いわよエタン」
「ごめんリゼット、コケに足を滑らせちゃって」
森の中を少女が歩いている。服装から見て近くの村の者だろうか。
十代半ば。茶色い髪をおさげにした、目がパッチリとした利発そうな少女である。
我々日本人には、”クラスの委員長タイプ”と言えば伝わるだろうか?
ペリヤ村の少女リゼットである。
リゼットの後方。茂みをかき分けて現れたのは小柄でやせっぽちな少年。
大人しそうな顔立ちで、やや女の子っぽい印象の可愛い系少年だ。
この物語の主人公エタンである。
先日、彼らの住む小さな村は魔人の暴威に見舞われた。
リゼットも魔人の操る魔獣にあわや殺されかけたのだが、突然現れた半裸のマスクマンに命を救われた。
マスクマンは魔獣に続き、魔人をもその剛腕でねじ伏せ、村の危機を救ったのである。
ちなみにその謎のマスクマンの正体こそ、この頼りない系少年エタンなのだが、本人はあの日のことはよく覚えていない。
無力な自分が見た夢。妄想だと思っているようである。
「少し休憩する?」
「ま、まだまだ大丈夫。ちょっと遅れただけだから」
リゼットの提案に、エタンは反射的に空元気で答えてしまった。
女の子のリゼットは平気なのに、男子の僕が休むなんてカッコ悪い。
好きな子に対して見せる男の子の小さなプライドである。
「ふうん」
リゼットはぼんやりとエタンを眺めた。
興味深々の不躾な視線にさらされ、エタンは居心地の悪さを感じてもじもじした。
「ちょっと、リゼット?」
「――まあ良いわ。けど、疲れたなら早めに言うのよ?」
リゼットは踵を返すと森の奥へと足を運んだ。
実は最近リゼットは、こうやってエタンの体を眺めることがたまにある。
(ひょっとしてあの日のことかな?)
魔人が村を襲ったあの日、グレートキングデビルのマスクを外したエタンは、全裸で倒れていた所を母親に発見された。
その時、リゼットも母と一緒にいたのである。
(あの時見た僕の裸を思い出しているのかもしれない)
そう考えると、エタンは恥ずかしさに顔が火照って来るが、いつも自分を弟扱いする幼馴染の少女が自分の裸を意識しているのかと思うと、まんざらでもなく思えてくるのも事実だ。
このまま僕を弟ではなく、異性として見てくれるようにならないかな。
そんな淡い期待を抱くと、嬉しさに胸の奥がむずむずしてくる。
もちろんそんな事を言えば、リゼットに呆れられるに決まっているので、グッとこらえるのだが。
エタンはひとつ深呼吸をして気持ちを落ち着けると、少女の後を追うのであった。
実のところエタンの想像は、当たらずしも遠からず、といったところだった。
確かにリゼットはエタンの体を見て裸を思い出していた。
ただし、謎の覆面レスラー・グレートキングデビルの筋肉美なのだが。
あの日、グレートキングデビルの姿は彼女に強い衝撃を与えた。
股間を隠す際どいパンツ一枚のほぼ全裸(※マスクは被っているが)という姿で、白昼堂々と外に立つ男の姿は、素朴な村の少女にはあまりにエロチックで刺激的過ぎた。
実際、これは彼女に限ったことではなく、今、村の女性達の間ではグレートキングデビルの肉体美を噂してキャーキャー騒ぐのがちょっとしたブームになっている。
あの日、村に大きな被害が無かったことも幸いだった。
もし犠牲者でも出ていれば、流石に不謹慎すぎて騒げない。
刺激の少ない小さな村である。当分はこの話題でもちきりになるものと思われた。
リゼットは痩せて小柄なエタンの体に、長身でたくましいグレートキングデビルの体を重ねて思い描いた。
とても同じ男性の体とは思えない。
リゼットは頭の中で二人の裸を比べて、コッソリため息をついた。
彼女はここ最近そんなことを繰り返していた。
エタンが知れば、ショックで寝込んでしまいそうである。
ちなみに、もし自分がエタンに同じようなことをされれば、激怒するのは間違いない。
ひと月は口を利かないところだ。
いや。一生許さないかもしれない。
自分はエタンを(想像の中で)辱めておいて、勝手なものである。
リゼットは手にしたお守りを握ると、小さな風で枝を払いながら森を進んだ。
このお守りは魔法具だ。
魔法具とは魔法を効率的に使うための、いわば補助具である。
鉛筆があれば直線を引けるが、定規を使えばより綺麗な直線が引ける。
この場合、鉛筆が魔法で定規が魔法具だ。
魔法だけだと空気を動かすだけだが、魔法具を使うことで枝を払えるくらいの収束された風になるのである。
お守りは庶民に最も普及している魔道具であった。
魔法具はそれなりの値段のするものだが、この世界ではほぼ必須と言えるアイテムだ。
現代で言えば、スマホや携帯電話のような立ち位置と思えば良いのかもしれない。
当然、値段もピンキリで、魔法騎士団の使う戦闘用の魔法杖ともなれば、それ一本で家が一軒建つほどの値段がつけられる。
先日、エタン達の村を襲った魔人が付けていた仮面も魔道具である。
あの日、グレートキングデビルが持ち去って、今はどこにあるのかも不明だが。
ちなみに今日、リゼットとエタンは森に木の実を採りに来ている。
本当は木の実採りはもっと小さな子達の仕事なのだが、魔人の襲撃の後だけに今は用心して子供は村から出さないことになっている。
とはいえ、人間の都合などお構いなしに木の実は熟していく。
それはあまりにもったいないと、リゼットが率先して採りに行くことを提案したのである。
もちろんエタンも付いて行くことにした。
リゼットが心配だった、ということもあるが、小さな村はどこでも人目がある。
エタンはリゼットと二人きりになれるチャンスを逃したくなかったのだ。
――と言っても、奥手なエタンは彼女に付いて行くだけなのだが。
それでも二人きりというシチュエーションだけで、エタンの胸のドキドキは止まらなかった。
ガサリ
「わあっ!」
突然近くの藪が音を立てたことで、エタンは驚いて尻もちをついた。
バサバサッ
藪から何かが飛んで行った。どうやらヤマバトのようだ。
「ちょっと、何しているのよエタン!」
鳥に驚いて尻もちをついたエタンにリゼットも呆れ顔だ。
「せっかくの鳥を逃がしちゃうなんて」
どうやら尻もちに呆れたわけではなかったようだ。
「結構大きかったのに、もったいないわね」
「・・・ごめん」
村の少女はタフである。
ちなみにリゼットの腰には、彼女に縊り殺されたリスに似た生き物がぶら下がっている。
ホクホク顔で捕まえたリゼットがきゅっと縊り殺した時、エタンは見ていられず思わず目を反らしていた。
村の少女よりメンタルが弱い男の子である。
「次はちゃんと捕まえてみせるよ」
エタンは自分のお守り――魔道具を握りしめると、力強く宣言した。
「そう? 期待してるわ」
全く期待していなさそうにリゼットが生返事を返した。
そんな塩対応にも気付かず、エタンはふんすと気合を入れた。
(獲物をしとめてリゼットに良いトコロを見せるんだ)
次回「魔獣の襲撃」