その4 リングに上がれ
「バ・・・バカな。私の使役する魔獣だぞ。それをああも容易く・・・」
銀髪の長身の男が茫然と立ち尽くしていた。
男の肌は紫色、そして頭に生えたねじれた角。
人類の敵、魔人である。
彼の見つめる先、小さな村の見張り台に立つのは身の丈2mの大男。
頭部を完全に覆う黒いマスク。吊り上がった目と三日月のような笑みを浮かべる口にはそれぞれ黒いメッシュが入っていて装着者の顔は外からは完全に見えない。
額には般若の面のシルエットと朱塗りのG・K・D。
かつて日本プロレスマット界を沸かせた覆面レスラー、グレートキングデビルその人である。
「とうっ!」
掛け声と共にグレートキングデビルの巨体が宙を舞う。
鳥のように大きく手を広げ、そのたくましい体を余すところなく敵に晒す。
グレートキングデビルのダイビングボディプレスだ!
「なにぃ?!」
プロレスを観戦する人は、なぜダイビングボディプレスのような見え見えの技を相手が受けてしまうのか不思議に思ったことがあるだろう。
横に躱してしまえば良いじゃないか? そう。それは当然の反応だ。
答えは簡単。逃げられないのである。
プロレスラーのような大男が、体をめい一杯広げて飛んで来た時、人間は視界いっぱいに広がるこの大きな体をどう避ければ良いか、咄嗟に判断出来なくなるのである。
ドシィ!
グレートキングデビルの体が鈍い音をたてて、場外の魔人にぶち当たる。
異世界アルダは科学技術の代わりに魔法技術が発展した世界である。
便利な機械に代わって、便利な魔法が人々の生活を豊かにしている。
何が言いたいかというと、異世界アルダの人間は現代人並みに体が華奢なのである。
それは例え魔族であろうと変わらない。
「ぐふっ!」
魔人はグレートキングデビルの巨体に押しつぶされた。
苦痛にうめく魔人。
避けるか、それとも魔法で迎撃するか。その瞬時の判断を誤り、まともに技をくらってしまったようだ。
グレートキングデビルは倒れた魔人の胴体に背後から抱き着く。
たくましい背筋が盛り上がると、魔人の体はフワリとグレートキングデビルに抱きかかえ上げられる。
恐ろしいほどの背筋力だ。
グレートキングデビルはそのまま背を反らすと、容赦なく魔人を地面に叩きつける。
グレートキングデビルのぶっこ抜きジャーマンスープレックスである。
いきなり炸裂した大技に、おお~っ、と、どよめく観客?
首と背中を襲う衝撃に息を詰まらせる魔人。
たった二つの技で、あの人類の敵が息も絶え絶えになっている。
リゼットと村人達は信じられない光景に唖然とする他なかった。
今正に戦いの勝敗が決しようとしたその瞬間。
カーン!
どこからか鐘を鳴らす音が聞こえた。
我々にはお馴染みのゴングの音である。
どうやらグレートキングデビルの奇襲に、慌てて会場のゴングが鳴らされたようだ。
観客?の歓声が上がる。
試合開始である。
グレートキングデビルはエプロンサイドに魔人を乗せると、そのままリングに押し込む。
どうやらレスラーらしく、決着はリングの上で付けるつもりのようである。
マットの色はエメラルドグリーン。「プロレスリング・エメラルドグリーン」のリングである。
そう、いつの間にか村の広場にはプロレスリングが立っていたのだ。
突如現れた見慣れない物体に、村人達は驚いて村長の方を振り返った。
村長は慌てて首を左右に振った。当然、村長が知るはずもない。
それはそうであろう。これは我々の世界の神がグレートキングデビルのマスクに与えたチートスキル。そのスキルによって作られた設備なのだ。
スキルの名前は「環境魔法」。
本来は自分の周囲を自分にとって有利な環境へと強制的に変化させるものである。
自分の方だけ魔法の攻撃力を上げたり、相手の運を著しく下げたりもできる、かなりなんでもありのぶっ壊れスキルである。
とはいえ、スキルによって生み出されたリングの上は、別にグレートキングデビルに有利な空間というわけではない。
ただのプロレスのリングである。
しかし考えて欲しい。
プロレス団体は全国各地を巡業する。その際に彼らはわざわざ自前のリングを持ち込んで試合をする。
それは何故か?
プロレスのリングの上こそ、彼らプロレスラーが己の力を最大限に発揮できる場所だからである。
『本日はココ、ペリヤ村特設リングからグレートキングデビル対魔人ナナナイタ、時間無制限一本勝負をお送りいたします』
突如、どこからか謎の実況中継が聞こえて来た。どうやら魔人の名前はナナナイタと言うらしい。
『解説は元ジュニアヘビー級のチャンピオン、世界の獣王タイガー・サンダーさんでお送り致します』
『よろしくお願いします!』
解説もいるそうだ。とっても至れり尽くせりである。
すでに村人達は展開に付いて行っていない。
理解を大きく超えた展開に、彼らは全員、呆けたようにリングの上を見守っている。
グレートキングデビルはコーナーマットを叩いて観客にアピールを始めた。
謎の観客達はグレートキングデビルに合わせて手拍子を打つ。
『解説のサンダーさん、ナナナイタいきなりピンチですね』
『グレートキングデビル選手は昔、ヒールレスラーでしたからね。今でもラフファイトを得意にしているんですよ。自分達のユニットの選手(※魔獣の事を言っていると思われる)を使って、彼に場外乱闘を挑んだナナナイタ選手は迂闊でしたね』
『おおっと、ここでナナナイタが魔法を使用! ナナナイタの体が光に包まれた!』
魔人ナナナイタは自身に回復の魔法を使った。
失った体力は戻らないが、先程負ったケガはゆっくりと治っていく。
「バカが、戦いの最中に私から目を離すとはな!」
魔人ナナナイタの手に炎が宿る。
火の魔法だ。
ナナナイタが手を振ると、炎が火球となって勢いよくグレートキングデビルへと襲い掛かった!
躱されるような距離でもなければ、躱せるような速度でもない。
グレートキングデビルは火球の直撃をまともに食らってしまった!
リングの上で爆発が起こる。
至近距離で命中、爆発したことにより、ナナナイタも若干のダメージを負う。
ナナナイタは怒りのあまり、冷静さを欠いた攻撃をしたことを少しだけ後悔した。
『おおーっと! しかし、グレートキングデビルは倒れなーい!』
「なんだと?!」
ナナナイタは実況席の声に目を見張った。彼の視線の先で、確かにグレートキングデビルは無事に立っている。
いや、流石にダメージを負ったのか膝から崩れ落ち・・・違う!
グレートキングデビルはその場にドッカと胡坐をかくと、ふんぞり返って己の胸板を叩いたのである。
そう。彼は、「もっと打って来い!」と、対戦相手を挑発しているのだ。
オオオオオオッ!
観客席?から大きな歓声が上がる。
「ふ、ふざけるなああああ!」
魔人ナナナイタの両手に複数の炎が宿った。
今度の数は片方で三つづつ。合計六つの火球が浮かび上がると、次々とグレートキングデビルに襲い掛かる。
危うしグレートキングデビル!
リング上は激しく爆発と黒煙に包まれた。
「はんっ! 身の程を知れ、バカが! あの世で己の愚かさを後悔するが良い!」
リングの上を熱風が通り過ぎる。黒煙が吹き飛ばされ、煙の晴れたリング上。
そこにあるのは焼け焦げたグレートキングデビルの死体――ではない。
腕を組み、平然と胡坐をかいたグレートキングデビルの姿であった。
「はあっ?!」
信じられない景色に、魔人ナナナイタの顎がカクンと落ちた。
ウオオオオッ! G・K・D! G・K・D!
観客は興奮にドンドンと足を踏み鳴らした。
『うお――っ! スゲ――ッ! スゲ――ッ!』
解説の獣王タイガー・サンダーさんも大興奮だ。
「なぜだ! なぜ死なん?! 貴様まさか人間じゃないのか?! いや、同じ魔族だとて今の私の攻撃をくらって平気でいられるはずはない!! あり得ない! 一体どうしてだ?!」
激しく混乱するナナナイタ。
残念ながらナナナイタは致命的な程、プロレスラーというものを知らなかった。
もし知っていたなら、彼は決して爆発系の火の魔法は使わなかっただろう。
プロレスには「有刺鉄線電流爆破デスマッチ」という特殊なルールの試合がある。
ロープに有刺鉄線を巻き付けた上で、さらに電流を流し、その上で小型の爆弾まで設置するという常軌を逸した過酷な試合形式である。
「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」
これは有名なレスラーの残した言葉だ。
その言葉からも分かるように、一流のレスラーは、決して挑戦者に背を向けない。
そして我らがグレートキングデビルは、言うまでもなく超一流のレスラーである。
彼はいつ何時、有刺鉄線電流爆破デスマッチルールで試合を挑まれても良いように、日頃から電流や爆破に耐えうるトレーニングを積んでいたのである。
グレートキングデビルはゆっくりと立ち上がった。
ナナナイタは慌てて手に魔法をまとわせる。
「くっ・・・ならば風魔法で・・・!」
しかし、それを黙って見ているグレートキングデビルではなかった。
さっきの攻撃は黙って見ていたような気がするが、きっと深い考えがあっての事なので気にしてはいけない。
グレートキングデビルは低く構えると猛然とダッシュ! ヘビー級とは思えない速度でナナナイタにブチかました。
『グレートキングデビル、ナナナイタにスピアー! ナナナイタ、コーナーポストまで吹き飛ばされたーっ!』
『ウエイトが違いますからね! グレートキングデビル選手、今がチャンスですよ!』
次回「うなる剛腕」