その2 母怒る
「おはよう! エタンのお父さんが帰って来たんだって?」
明けて翌朝。
どこか眠そうなエタンに話しかけたのは、朝から元気なパッチリとした目の少女。
エタンの家のお隣さん、リゼットである。
エタンはいつもなら、大好きなリゼットに話しかけられるだけで、のぼせ上ってついもじもじとしてしまう所だが、今朝は流石に眠気の方が勝るようだ。
おはようの挨拶を返すと、共同井戸の水をくみ上げる作業に戻った。
作業、とは言っても、手にしたお守りで生活魔法を使うだけである。
魔法は昔の大賢者と呼ばれる人物によって基礎理論がまとめられたと伝えられている。
彼のおかげで、それまでは生まれ持っての才能のある者にしか使えなかった魔法が、今ではエタンのような村の少年にも使うことが出来る。
これらの便利な魔法は”生活魔法”と呼ばれていた。
魔人のように膨大な魔力を持つ存在なら、魔力だけで水を生み出すことも可能だが、人間の魔力程度ではそんなことは出来ない。
こうやって井戸のそばで水の魔法を使うことで、井戸の底の水をくみ上げるのだ。
エタンの生活魔法で井戸の中から足元の桶にチョロチョロと水が流れ込む。
桶の中に十分に水が溜まった所で、エタンは冷たい水で顔を洗った。
少しは眠気が取れたのだろう。エタンは大きく息を吐いた。
「ふうー。うん、そうだね。マックスに魔人に襲われたこととか色々説明していたら夜遅くまでかかっちゃって」
エタンの言葉にリゼットはちょっと不思議そうな顔になった。
「前から気になっていたけど、エタンっておばさんのことは”お母さん”って呼ぶわよね。なんでおじさんのことは”お父さん”って言わずに名前で呼ぶの?」
リゼットの最もな疑問に、エタンは苦笑いを浮かべた。
「え~と、昔ちょっとあってね。ほら、マックスって領主様の町で仕事をしているじゃない――」
エタンの父親マックスは領主の屋敷で事務の仕事をしている。
農繁期や冬場には戻ってくるが、一年の半分以上は領主の館のある町で暮らしている。
つまりは単身赴任のパパなのだ。
「そこで浮気しちゃって」
「・・・ああ」
納得した表情のリゼット。
この小さな村でエタンの父の女癖の悪さを知らない者はいないのだ。
「私も、リゼットちゃんエタンのことをよろしくね、とか言われてお尻を触られたことあるし」
リゼットの口から語られた衝撃の告白に、思わずエタンの目が座る。
そんなエタンに気づかず、リゼットは彼に話の続きを促した。
「あ、うん、それでお母さんが怒って実家に帰っちゃって・・・って、そのことはリゼットも覚えているよね? まあ結局、マックスが散々頭を下げてお母さんに許してもらったんだけど。で、お母さんの実家に帰っている時、僕はお母さんから「もうあの人はあなたのお父さんじゃないからね。知らないマックスさんよ」って言われたんだよ。それからかな、僕があの人のことをマックスって呼ぶようになったのは」
エタン的には浮気をたしなめる意味も込めて、父親の事をマックスと呼ぶようにしているのである。
いずれは何かをきっかけに、元のようにちゃんとお父さんと呼ぶつもりではいた。
「でも、相変わらず女の人との噂が絶えないみたいで・・・」
ああ~、と、リゼットは納得の表情を浮かべた。
エタンは困り顔で桶を弄んでいる。
「そういえばおじさんは領主様のことで何か言っていなかった?」
リゼットはエタンに聞きたかったことを思い出した。
このペリヤ村は今までに三人もの魔人に襲われている。
一度目は村に、二度目と三度目は村の近くの森で、こちらはリゼットとエタンが襲われている。
いずれも謎の覆面レスラー・グレートキングデビルの活躍で退けられているが、村では今、全員で村を捨てて逃げるかどうかが真剣に議論されている所だった。
領主がこの村の事をどう考えているか。その事実を誰もが知りたがっていた。
「あ、うん。マックスも今日、村長さんに伝えに行くって言ってたけど・・・」
もちろん領主はこの村に魔人が来た事を知っている。危険を冒してペリヤ村の若者が知らせに走ったからである。
エタンの父が帰ってきたのもその知らせを受けてのことだ。
今回の彼の帰宅は領主からの言葉を伝えるというメッセンジャーとしての役割もあった。
エタンから領主の言葉を聞かされて、リゼットは憤慨した。
「まだ何も手を打ってくれないって言うの?!」
エタンは父から聞かされたことを伝えただけなのに、なぜか申し訳ない気持ちになった。
ペリヤ村から「魔人現る」の報が領主に届けられ(※最初の魔人ナナナイタの襲撃)、領主の館では上を下への大騒ぎとなった。
詳しい話を聞くと、魔人は謎の覆面男に退けられたという。
到底、信じられる話ではない。
そんな折、ペリヤ村の近くの町、領内でも大きな町に当たるハーパライネンが魔人に全滅させられたとの報告が舞い込んだ。
魔人は魔法騎士団の精鋭100名を一人で全滅させたという。
恐るべき力を持つ魔人である。
すわっ、これは領地存亡の一大事。
逃げるべきか迎え撃つべきか。
領主の館では昼夜を問わず激しい議論が交わされた。
その結果、すでに完結しているペリヤ村の一件は後回しにされてしまったのである。
ところが結局、その魔人はそれ以来、フツリと姿を消してしまう。
肩透かしを食らった領主達だが、ペリヤ村からの第二の報告で、この魔人の行方が明らかになった。
なんとペリヤ村の近くの森で、謎の覆面男によって撃退されたというのだ。
領主達は慌てて放置されていた最初の報告を確認した。
魔人を倒した半裸の大男? 魔法を体で受け止めた? 村にいつの間にか舞台が作られてその上で戦った? 魔人を素手で倒した?
何を言っているのか分からない。
思わず報告者の正気を疑っていたところに、第三の報告が入った。
三人目となる魔人が襲来、これを覆面男が撃退したのだと言う。
ことここに至って、ようやく領主は重い腰を上げた。
彼らは先ず、ペリヤ村に調査団を派遣する事にした。
エタンの父はその先ぶれとして昨日村に戻ったのであった。
「だから決して手を打ってくれないってわけじゃないんだよ」
「でも調べるだけじゃない! 魔人はもう何人も村に来ているのよ?!」
正直言って、エタンもリゼットの言う通りだと思う。
なのになぜ、自分は彼女に言い訳じみたことを言っているんだろう?
最初にボタンをかけ間違えたのだ。
エタンが焦れば焦るほどリゼットとの会話はどんどんすれ違っていく。
エタンは不器用な自分に惨めな気持ちになった。
怒ったリゼットが立ち上がったその時――
「もういいわ! 私はエタンとこの家を出て行きます!」
家のドアを開けてエタンの母が飛び出して来た。
彼女の剣幕にあっけにとられる二人。
エタンの母は二人を見付けると足を踏み鳴らしながら近付いて来た。
「ま・・・待ってくれオレリア! 君の誤解だ!」
情けない顔をしたエタンの父が家から出てくる。
その様子を見た途端、エタンは状況を理解した。
・・・マックス、またやったんだ。
エタンの母の剣幕にたじろいだリゼットだが、エタンの冷めた表情を見て事情を察した。
諦め顔になるリゼット。
エタンは呆れ顔で父親に尋ねた。
「マックス、またやったんだね」
「息子よ、お父さんと呼んでくれ。そして父さんは無実だ」
嘘つけ。
エタンは全く信じない。
そして今ではリゼットもエタンの父に白い目を向けている。
味方無し、四面楚歌の状況だがエタンの父はさほど応えていないようだ。
この程度の場面、彼の中では修羅場のうちには入らないのだろう。
「さあ、エタン! 行くわよ!」
母は息子の手を取ると足を踏み鳴らしながら歩き出した。
エタンは仕方なく母親に続く。
父は軽薄な言い訳を垂れ流しながら二人を追う。
リゼットは何となく一家の後を付いて行く。
こうして奇妙な一行は、村人の注目を浴びながら村のはずれ、森の入り口まで歩いて行った。
「なあ、これ以上行くと森に入ってしまうよ。もう帰ろう、オレリア。話を聞いて貰えればきっと分かって――」
「あら? アンタあの時どこかに行っちゃった可愛い子だし」
突然の女性の声に驚いて立ち止まるエタンの家族。と、リゼット。
「あ! あんたあの時の女魔人!」
「ゲッ! メスガキもいるし!」
森の小道を歩いて来たのは、甘めガーリーファッションの女性。
魔人シャンシャンドゥであった。
次回「英雄は英雄を知る」




