86_ゆっくりと厳粛に~住居~
「お金がない?」
眉をひそめる7《ジーベン》を見上げ、トリエが尋ねた。
「ええ、恥ずかしながら……」
対する7《ジーベン》は神妙な顔をして言うのだった。
がた、がた、と部屋に置かれた折り畳み式の小型テーブルが揺れ、その上に置かれていたカップもまた揺れていた。
危ないなと思ったので、トリエはカップを手に持ち、入っていた暖かい茶を口に含んだ。
言語機関車内の一室にそうした揺れはつきもので、慣れるには少々時間がかかりそうだった。
「それでお金がないって?」
「だから言葉通りの意味ですよ」
7《ジーベン》は頭を抱えつつも、トリエの対面に座り込んだ。
狭い部屋なので、長身の彼は足も延ばせず、いささか窮屈そうに見えた。
「お金に困るなんて……そんなの、なんか変」
悩む7《ジーベン》に対して、トリエは頭を捻って言った。
12世紀、こと“冬”の土地において、金銭の価値は著しく低下している。
王朝時代において構築されていたシステムも崩壊。当時の金銭を持ってたところで、使える場所は限られていた。
「……いえ、この高速旅団は、ギルドの商人たちが運営しています。
だから、お金が非常に重要になってくるんですよ、これが」
しかし、この言語機関車においては、それは通じないようだった。
5《シュンフ》は搭乗時に告げたように、異端審問官たちは商人たちに律義に金銭を渡し、一室を借り受ける形で生活している。
商人たちはいきなりの相乗り、加えて“教会”の者ということに驚いてはいたが、しかし渡せるだけの金銭があったからこそ、こうして仮宿を得られている。
「……“教会”からの予算があった筈」
不意に、それまで黙っていた5《シュンフ》が口を開いていた。
部屋の隅に腰掛ける彼女は、窓の向こうに流れゆく荒野を眺めながら、7《ジーベン》に対して問いかけていた。
「あたしのお金はこの部屋を借りるのでいっぱいだった。でも、あなたが管理していた分は?」
「それが、その……あの無頼との戦闘でどうも落としてしまったらしいのです。
申し訳ない。私のミスです」
7《ジーベン》はバツが悪そうな顔を浮かべていった。
あの無頼、とはヴィクトルのことだろう。
あの緊急時のことだから、装備まで気を払えなくても仕方がないのかもしれない。
「異端審問官ともあろう者が、なんとも間抜けな話だ」
竜のアランが呆れたように言った。
こら、とトリエは小さな声でいさめる。
「どうする? 商人どもを脅す?」
「ダメですよ、5《シュンフ》。高速旅団ほど巨大なコミュニティと事を構えることは“教会”にとって有益ではありません」
「……じゃあ、どうする?」
5《シュンフ》が尋ねると、7《ジーベン》は息を吐いて、
「稼ぐしかないでしょう。
8《アハト》らとの合流ポイント到着までの生活費を、この機関車内で」
「…………」
無言の5《シュンフ》に対し、7《ジーベン》は息を吐き、
「まぁ今回は取り繕いようもない私のミスです。
どうにか商人たちと交渉してみましょう」
そう言って彼は部屋を後にした。
ギイ、と立てつけの悪い扉が厭な音を立ててしまった。
そうして部屋は静かになった。
相変わらず部屋は小刻みに揺れ、木造の机や棚が音を立てている。
その些末な音が響くことで、誰も言葉を発しない空間であることを強調しているのだ。
部屋の片隅にいる5《シュンフ》は、ずっと窓を見ている。
彼女はカソックを脱ぐことなく、また7《ジーベン》と違い仮面も外すこともなかった。
時計塔の街からの脱出の際に見えた傷跡はもう隠されている。
そのことについて、トリエは当然尋ねてはいなかった。
「それでどうするのだ? トリエ」
竜のアランが話しかけてくる。
「異端審問官たちは今は君を守ってくれるつもりらしいが、しかし、どう考えても君の味方ではないぞ」
こくりとトリエは頷いた。
それぐらいわかっている。
“教会”の、それも異端審問官といえば“聖女狩り”の急先鋒だ。
彼らによって聖女が殺害された話は、いくらでも聞いている。
そっとトリエは己の首を抑える。
事実、自分は5《シュンフ》に殺されかけたのだ。
あの時の震える声をトリエは忘れられない。
だから──思う。
何時か聖女である自分は彼らに殺されてしまうのだろう、と。
「………」
そう思いはしたが、トリエの胸には別段恐怖心とか焦りとか、そう激しいものは湧かなかった。
水の中に沈んでいくときのような、気だるい倦怠感と諦観が代わりに立ち現われていた。
トリエはぼんやりと窓の外を眺める。
流れゆく光景は延々と続く荒野で、時おり幻想を含んだ風が乾いたきらめきを見せている。
トリエと5《シュンフ》は、共にそんな光景を見ていた。
しかしそこに一切の会話はなかった。交わす言葉も、共有されうる事柄もない。
それから7《ジーベン》が戻ってくるまで、その狭苦しく、ただ一応は穏やかな時間は続いた。




