84_夕陽の旅立ち
「前から思っていたんだけどさ」
燃え盛る炎の中、牝猫のサアのぼやきが聞こえたので、ヴィクトルは「なんだ?」と問い返す。
「アンタって、普通の剣使った方がよっぽど強いんじゃない?」
「いやよく言われるが、それはないぜ」
「でも、その剣って使いにくいでしょ、絶対。シロートの私でもわかるわよ」
サアの言葉にヴィクトルは「ははん」と笑った。
確かに彼の手には偽剣『ルーン・グゥル』が握られている。
月の物語rUnから派生した模倣品の中にあって、その騎種は一目でわかる異様な特徴を備えている。
「いやいや、違うぞ、愛する牝猫のサアよ。
カッコイイ騎種でないとな」
「でないと?」
「俺のやる気が出ない。だから結果的に弱くなる」
そう答えると、足元のサアは「にゃあ」と鳴き、白い毛並みを震わせた。
あまりの答えに陶然としているのかもしれない、とヴィクトルは考える。
──7《ジーベン》のフィジカル・ブラスターをヴィクトルは間一髪のところで生き延びていた。
『可変式フーブゥ』なる異様な偽剣に面を喰らい、そのまま刃を振り払われた。
回避は完全にはできなかった。それ故に人形遣いマリオン特注の“最強”MTコートはもうズタズタになってしまっている。
マリオンが知ったら膨れっ面をするに違いない。
何にせよ、撃退された訳だが、しかしここで諦める自分ではない。
そう自らを鼓舞し、ヴィクトルは長すぎる剣を握りしめる。
……その偽剣『ルーン・グゥル』は、とにかく長いのである。
見上げるほど長く、全長は数十メトラにも及ぶ。それでいて刀身は細く、全体として針のような外観となっている。
そのような剣、巨人以外にはまともに振るえるはずがない。
ヴィクトルの“早撃ち”はつまるところ、その巨大な剣による“居合”だ。
瞬間的にこの巨大な剣を抜き、消す。
そうすることで遠距離の相手にも近づくことなく剣を振るうことができる。
ヴィクトルの剣が見えないのは、なんてことない、見えるほど物質化させてしまえば、彼の方が持たないからなのだった。
「異端審問官も、聖女も、逃がす訳にいかないな」
だが、一撃に限定すれば、その限りではなかった。
剣を物質化させ、倒れ込むように振るのである。
当然周りの被害も尋常でなく、周りに味方がいる場面では使うことができない。
が、今のように味方が壊滅し、すべてを薙ぎ払う勢いで戦うのであれば、こういう使い方もできるのだった。
一緒に高速旅団の連中も被害を受けるだろうが、彼らは別に味方でもないので問題ない。そうヴィクトルは考えていた。
「Good Bye」
劇で学んだ言い回しをしつつ、彼は『ルーン・グゥル』を言語機関車へと向けて、振り放った。
◇
「なんだ、あれは」
竜のアランは驚きに声を震わせていた。
ヴィクトルは、あまりにも巨大な剣をその手に握りしめていた。
どう見ても無理のある大きさであるが、しかしあんなもので斬りかかれれば、言語機関車ごと両断されかねない。
トリエはその光景を想像し、ぐっ、と掌を強く握りしめた。
「くっ、仕留めそこなっていましたか」
ヴィクトルの出現に気づいた7《ジーベン》がそう叫ぶように言った。
トリエたちがいる連結部まであと少しというところだったが、このままでは合流も何もないだろう。
だからといって今から彼が戻ったところで、ヴィクトルの剣の方が早いのは明らかだった。
「ひぃいいいいいい」
眼鏡の女性に至っては腰を抜かしてしまっている。
とんだとばっちりだと思い、同情もするが、しかしトリエにはどうしようもない。
ここで死ぬのか、とトリエは諦観を覚えるが、
「──違う」
よろよろと立ち上がった5《シュンフ》は、涙に腫らした瞳で空を仰いだ。
破壊され尽くされた街。燃え盛る炎と、赤く染まった夕陽の空がそこにはあった。
「あたし、あたし、あの時は……できなかったけど」
彼女はぶつぶつと言いながら、一瞬だけトリエを見た。
その鋭いまなざしにトリエは心臓をわしづかみにされた気分になる。
「今は──炎の日じゃない! だから……」
が、すぐに彼女は視線を逸らし、代わりに手元に出現させた銀の偽剣を見た。
「だから! 飛んで『ヴァラディオン』!」
その叫びと同時に、銀の偽剣が弾けた。
刀身を形成していた剣身は解体され、無数の子騎となり、想念の翼を形成して飛び立っていく。
それを見た7《ジーベン》が合点が行ったように声を上げる。
「それなら行けます! 5《シュンフ》!」
数にして六。
分かたれた剣は空中にて静止し、六角を起点として幻想が集まっていく。
『ヴァラディオン』は燐光放つ盾となり、『ルーン・グゥル』の巨大な剣閃を受け止める。
「うわっ」
瞬間、猛烈な光の奔流が駆け抜ける。思わずトリエは目元を抑えた。
バチバチと火花を散らしながら、剣と盾が交錯し続ける。
一方背後から、ごうん、と背後の言語機関が唸りを上げた。
今度こそ出発の準備が整ったらしかった。
「……たかったんだ」
光と光の衝突のさなか、5《シュンフ》が何かを言っている。
だが轟く炸裂音に、トリエはすべてを聞き取ることができなかった。
「あたしはあの時! ただ──」
その叫びと共に言語機関車が稼働を始め、徐々に加速し燃え盛る街から離れていく。
同時にそれはヴィクトルの剣から逃れることも意味をする。
『ヴァラディオン』の子騎は負荷に耐えられず爆発していた。
だがギリギリのところで盾はその役目を果たした。
言語機関車は既にヴィクトルの刃を逃れ、猛然と走り出していた。
「なんとか、なりましたね」
いつの間にか乗り込んでいたらしい7《ジーベン》は、5《シュンフ》の行いを労うように肩を叩いた。
その隣では眼鏡の女性が失神していたが、そちらはまぁどうでもいい。
5《シュンフ》はというと……
「わからない。あたしは……」
放心したように言って、彼女は力なく膝をついた。
そして火傷痕を辛そうに抑えている。その姿をトリエは不思議な心地で見ていた。
「夕陽の別れ。また新たな旅だな、トリエよ」
竜のアランの言葉に、思わずトリエは顔を上げる。
時計塔が猛烈な勢いで離れていくが見えた。
別に楽しい思い出があった訳ではないが、ずっと過ごしていた街が、荒野の彼方へと消えていく。
ただそれだけのことの筈だった──




