83_言語機関車
12世紀末、最も効率的かつ大規模な移動手段は空を飛ぶ言語船である。
言語船は、空中に含まれる幻想に乗る形で“飛行”を言語機関に描写させているのだ。
飛べることの有用性は非常に高く、建造コストを踏まえても、各勢力にて多く運用されていた。
だが言語船は、幻想の薄い場所は飛べない、という制約が存在していた。
オーロラの見える空中のような、高濃度の幻想が含まれる場所は悠々と飛び回れるが、これが地上になると移動もままならなくなる。
つまり、空を飛べはするが、地上に降りることは機構上困難なのである。
そのため各都市の頭上に飛び、人を落とす、といったことは可能だが、一方でこれを再度拾い上げるのは難しく、一方通行なのだ。
言語船は、敵拠点への攻撃などといった軍事的な用途では非常に高い汎用性を持つが、都市間の移動などには不便極まりない面があった。
そうした背景もあって、この時代において都市間を移動する商人ギルドの者たちは、言語船でなく、別の足を持っていた。
それこそが言語機関車であり、所有している者たちを高速旅団と呼ぶのだった。
「もう出発の準備を始めてる……急がないと」
5《シュンフ》が小さく言う。
その視線の先には、亀のようなフォルムをした巨大な建造物がある。
ドーム状の居住施設が立ち並び、その連結部には碧色に輝く言語機関が据えられている。
それこそが地上を猛然と疾駆する言語機関車であり、商人たちにとっての家であり、街なのだった。
「さて、商人たちも焦っているようだな。こんな街によく逗留したとも思うが」
竜のアランが冷静に告げる。トリエは5《シュンフ》に必死にしがみついたまま、背後を見る。
シンボルだった時計塔は未だ燃え盛り、街はもうどうしようもなく壊れていた。
「傍迷惑な話、だよね」
その光景を見て、トリエは諦観の滲んだ声を漏らした。
「騎士団が来なければ、自由軍が来なければ、いや、そもそも私がここに来なければってことだもん」
彼女にしてみれば、似たような光景を何度見たかわからない。
それについて、もはや思い悩む気力もわかないが、とはいえ胸の奥で何かがしぼんでいくような感覚が走る。
「だからあたしたちがいるの」
「え?」
「…………」
かけられた言葉に、トリエは思わずきょとんと顔を上げる。だがその表情は仮面に遮られて窺えない。
瓦礫から瓦礫へ、5《シュンフ》は器用に跳躍を繰り返しつつ、言語機関車へと近づいていてく。
異端審問官である彼女にしてみれば、この程度の悪路は慣れたものなのだろう。
ダ、ダ、ダ、と慣れた動きで言語機関車へと近づいていった。
「大きいな、さすがに高速旅団の本拠だけのことはある」
竜のアランは感嘆するように言った。
トリエもまたドームを見上げて「大きい」とこぼす。
対照的に5《シュンフ》は無感動に甲板に着地し、トリエを降ろす。
そして近くにいた女性に声をかけた。
「あたしたちも乗せなさい」
「えッ! なんですか、貴方たち」
眼鏡をかけたその女性は、突然やってきた5《シュンフ》たちに怪訝なまなざしを向ける。
が、5《シュンフ》は即座に跳躍し、回りこんで彼女を押し倒した。
「貴方たち、“教会”の」
「そう、任務中にたまたまいたから、相乗りさせてもらうわ」
「……こ、高速旅団は権力には屈しませんよ!」
眼鏡の女性はそう抗うが、5《シュンフ》に、きゅっ、と手首を捻られ悲鳴を上げた。
「……うぅ、痛ぁ」
「金は払う。別にこの機関車を接収しようという訳じゃない。ただ相乗りするだけ」
泣きそうになっている女性に同情しつつ、トリエは近くの言語機関を見た。
幻想を統括する水晶があちこちにはめ込まれており、その中では言語が猛烈な勢いで変成している。
出発直前、という趣だ。自由軍と騎士団の抗争が激化した影響を受け、旅団たちは急ピッチで離脱を試みているらしかった。
「……あと一人乗る。それ以降は、あたしたちは派手な行いは何もしないわ」
「う、ひ、あと一人ですか?」
「うん、もうすぐ乗ってくるはず」
言いながら5《シュンフ》は街の方を見た。
もう一人、というのはあの7《ジーベン》という異端審問官だろう。
今は自由軍最強の男であるヴィクトルとやり合っている筈だが──
「で、でももう出発しますよ」
「もう少しだけ待って」
「の、のるのは、もう、構わないんですが、私じゃ無理です。機関車を止めるなんて」
5《シュンフ》は舌打ちをし、同時に「うわああああ」と女性がの声が走った。
また暴力を振るわれると思ったのかもしれないが、5《シュンフ》はそこで手を止め、
「わかった。とりあえず7《ジーベン》は間に合うと思うから、相乗りはさせて」
と、その時、戦闘の余波を受け、燃え盛る木片が連結部に転がり落ちてきた。
ぼうぼうと燃える木片に、うわ、とトリエは飛びのく。
「危ないな、とっとと出発してもらいものだが」
竜のアランが他人事にように言う。
とはいえ実際、街の戦闘は激化の一途を辿っているようだった。
騎士団が徹底的な掃討を行っているのか、自由軍が最後の突撃を行っているのか、幻想が爆炎となって空を赤く染めていた。
「……炎、か」
おもむろに5《シュンフ》が女性を離し、ゆっくりとした足取りで燃える木片へと近づいていき、
「…………」
5《シュンフ》は、その手に持った銀色の剣で木片を消滅させていた。
その黙々とした所作に、トリエは何かを言おうとするが、
「え……あっ!」
次の瞬間には喉元を掴まれていた。
「トリエ!」
竜のアランの声が響く。
5《シュンフ》が跳躍によってトリエの目の前へと現れていた。
彼女はその細い腕でトリエの首をギリギリと締めあげていた。
トリエは苦悶の声を漏らす。猛烈な吐き気がこみあげ、唾液が口元から垂れた。
「……あ、あ」
「7《ジーベン》が来ない。なら……」
5《シュンフ》は茫洋とした口調で言う。
裏で眼鏡の女性が「ひい!」と慄くが見えた。
竜のアランが何かを言っているが聞き取れない。
「あの炎の日と同じく、あたしが──」
5《シュンフ》が何かに取りつかれたようにその手に力を込め、そして、
「5《シュンフ》!」
どこかからか叫び声がした。
それは紛れもない7《ジーベン》の声だった。
「あ、あたしはまだ」
我に返った様子で5《シュンフ》は手を離した。
解放されたトリエは息を荒くし、膝をついて苦し気に顔を歪ませた。
同時に直接的な暴力を振るわれたのは久々だな、と考えている自分がいた。
7《ジーベン》の方はというと、カソックについた煤を振り払いつつ、跳躍で近づいてくる。
どうやらヴィクトルを退けたらしかった彼は、言語機関車へとまっすぐ向かってくる。
これだけ巨大な機関車だというのに迷う様子がないのを見るに、最初からここを合流ポイントとして決めていたらしい。
「……だめ、まだ、だめ」
5《シュンフ》は震える手で、己の身を抑えている。
落ち着かない様子の彼女はゆっくりと仮面を取る。
──生々しい火傷の痕が見えた
顔の右半分に色濃く残る赤褐色の痕は、彼女の表情に合わせて痛々しく歪んでいた。
その黒い瞳は大きく見開かれ、つう、と垂れていく涙を彼女は拭っていた。
彼女が一体何を見ているのか、トリエにはまったくわからなかった。
だが未だ痛みが残る頭で思ったことは、5《シュンフ》と呼ばれた異端審問官が、その体格から予想した通り、本当に少女であったことだった。
見た目だけなら、トリエと同じくらいの年齢に見えた。
だがトリエはそれまでほとんど傷を負うことなく、一方で首を絞めてきた5《シュンフ》はこうも傷だらけになっていた。
がくん、と音がした。
言語機関が碧色の光を放ち、幻想が収束していくことがわかる。
「出発するぞ、捕まっておけ」
竜のアランの言葉にトリエは頷き、近くの手すりにつかまった。
7《ジーベン》の方を窺うと、彼は足を早め、跳躍を繰り返してこちらにやってくる。
あのペースなら間に合うか、と思った時だった。
「あれ、ヴィクトル?」
7《ジーベン》の後ろに姿を現す、奇妙ないでたちのガンマンがいた。
彼はその手を掲げ、鞘から──見上げるほど巨大な刃を出現させた。




