79_ヴィクトル
燃え盛る時計塔にて、今まさにその男、ヴィクトル・ジュヴネェル・レオリュードは目を醒ました。
「う、ううん……」
「起きなさい、起きなさい。ドンパチはもう始まってるわよ」
耳元で女の声がしたので、彼はうっすらと瞼を開ける。
するとそこには真っ白な毛並みをした猫がいた。
「サア……なんだって?」
猫に対してヴィクトルがそう呼びかけると、彼女は「ニャア」と甘く威嚇するような声を上げた。
と、同時に壁が揺れるのが伝わってきた。幼少期より聞き慣れた偽剣の戦闘音である。
「もしかして寝ている場合じゃないのか」
「とっくに戦闘は始まってるわよ。というか、もう終わりそうだけど」
「勝ちそうなのか?」
「ぼろっくそ敗けそうにだわよ、もちろん自由軍が」
「なるほどやる気が出てきた」
そもそも本拠地であるこの時計塔が襲われているのだから当然だ。
そのことを察すると、男はすっと立ち上がり、顔を洗い、ベルトを巻き、MT加工のロングコートを羽織ったのち、せっせと髪を整え始めた。
「だからもう戦闘始まってるんだけど」
「なので俺はこうして早々に準備をしているのだ」
「鏡の前でポーズキメて何を言うのよ」
「牝猫のサアよ、お前だってカッコイイ男の隣で戦いたいだろう?」
言うとサアは、ぷい、と顔をそむけてしまった。照れているのだろうと、ヴィクトルは判断する。
剣と、そして“とっておき”を確認し、最後にとんがり帽子を目深に被り、彼は出陣の準備を完了する。
と、次の瞬間、彼の後ろの壁が吹き飛んでいた。
「ほら、言わんこっちゃない。もう敵来ちゃったじゃない」
振り返ると、そこには武装した極刑騎士団の連中がいた。
ヴィクトルは「ふふん」と不敵に笑ったのち、
「さしせまる状況、少々やる気が出てきた!」
ヴィクトルはそう言って、さっそく“とっておき”を使うことにした。
ベルトのホルスターより抜いたものは偽剣ではなかった。
それは“銃”なのだった。手に収まるサイズの拳銃。
黒光りする銃口をヴィクトルはまっすぐ騎士団に向ける。
「これで仕舞いだ、我が宿敵たちよ」
そして発砲。
が、しかし、当然のように騎士団たちは跳躍で弾丸を避けていく。
というかそもそも弾丸はあらぬ方向に放たれており、避けなくとも当たらなかったのだが。
「何よ! そのオモチャ」
「オモチャじゃないぞ。FNファイブセブンのシングルアクションモデル。
人形遣いのマリオンに特注させた“とっておき”だ」
「それアンタがこの前見たお芝居の奴でしょ!」
荒ぶるサアの声に「まぁまぁ」とヴィクトルは言う。
その言葉はどれも真実だった。
先日ヴィクトルが見た、銃と硝煙の幻想劇の主人公が使っていた“銃”を、親友に頼み込んで再現してもらったものなのだ。
「こんな幻想があふれてる場所で、物質オンリーの弾なんてちゃんと当たる筈もないじゃない」
「ガンマンはそれでも当てるのさ」
「それはお芝居の中の話でしょ! ここは現実! 剣で戦いなさい剣で」
「剣……つまらない武器だ。ガチャガチャとマシンが動いた方が楽しいだろう?」
騎士団の偽剣使いたちは、ヴィクトルを取り囲むように展開しつつも、互いに顔を見合わせていた。
困惑していたのである。
言動も、武装も、衣装もヴィクトルは何もかもが奇天烈としか言いようがなかった。
が、気を取り直した騎士団の一人が『ルーン・ガード』を構え出す。
何にせよ切り捨てるのみ、と判断したのだろう。そのまま跳躍しようとし、
「欠伸が出る」
その瞬間、彼の身体は真っ二つに切り裂かれていた。
ずるり、と上半身が下半身よりずれ落ち、真っ赤な血が噴き出していた。
「俺はもう抜いてる」
気障ったらしい言い回しでヴィクトルは言った。
その手首に鞘が巻かれてはいるが、しかしその手に剣はない。
役に立たない銃が握られているだけで、ロクな武装はないのだ。
騎士団はそこで一気に警戒心を高め、彼を強敵ともくろんで近づき、そして──斬られていた。
一人、二人、三人、と騎士団たちが倒れていく。
彼らに狭い部屋の中で逃げる余地はなかった。剣身を一度見ることなく、彼らはいつの間にか死んでいたのだった。
「アーメン」
最後にヴィクトルは架空の神に祈りを捧げたのち、ゆっくりと部屋を後にした。
「行くぞサアよ」
サアは「ニャア」と声を上げ、ヴィクトルについていく。
猫と行く男、ヴィクトル・ジュヴネェル・レオリュードは、傭兵ギルドと契約を結ぶ形で塔に逗留していた偽剣使いであった。
“ガンマン”なる称号を本人では名乗っており、自由軍内部からも気狂い扱いされていたが、その腕一点で存在を許されていた。
が、彼が時計塔の戦いに参戦したときには、既に自由軍は壊滅状態であった。
自由軍の死体があちこちに放置され、軍の象徴たる聖女の紋章も焼かれていた。
徘徊する騎士団を出合い頭に斬り捨てながら、ヴィクトルはまだ生きている味方を探した。
「う、うう……」
そして瓦礫の中に倒れ込む自由軍の男を見つけた。
胸から刃が飛び出ており、致命傷であるのは明らかだったが、まだ息はあるようだった。
もしかすると鬼か何かの地が混じっているのかもしれない。
「大丈夫か?」
まぁ何にせよすぐに死ぬだろうが、とヴィクトルは冷静に分析しつつ、それでも助けるべき味方として駆け寄った。
「う、うぅ、お前はヴィクトルか……」
「すまない。出てくるのが遅れてしまったばかりに、こんなことを!」
「いや……いいんだ。どうせこの戦力差だ。どのみち、俺たちはもう……」
けほ、と男はせき込んだ。
ヴィクトルはその背中をさすってやりつつ、一思いに介錯してやるべきか、と悩んでいた。
「大丈夫か? 苦しいのなら、俺が」
「──聖女様を」
男は苦悶に顔をゆがめつつ、言った。
「聖女様、トリエ様を、奴らに渡さないでくれ。
絶対に、絶対にだ。彼女は我らの象徴であり、正義の証なのだ──」
「正義か」
「ああ、そうだ。彼女がいるから戦える。だから絶対に他のものには渡さない。
そうそのハズで……」
言い切ることなく、男は息を引き取った
ヴィクトルはしばしその死体をじっと見つめたのち、ゆっくりと立ち上がった。
「行くか」
「どうするの? 雇い主はもうなくなっちゃいそうだけど」
牝猫のサアが足元から見上げてくる。
ヴィクトルは首を振って、
「死に間際の頼みだ。それぐらい聞かなくてはな、男として、ガンマンとして」
そういって彼は銃の引き金に指をひっかけ、くるくると回し始めた。
劇を見て、何度も練習しただけあって、よどみない動作であった。
「俺は正義などないが、死にゆく者の頼みとあれば承ろう。
聖女を渡すな。理解した──たとえ殺してでも聖女を守ってみせよう」




