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虚構転生//  作者: ゼップ
たまごの中には墓標が立っている
77/243

77_殻の歌


彼女はこの空の中心だった。

白い雲が渦を巻いて青と交じり合う、その交差点に聖女ミオは立っている。


「……は」


田中は思わず声を漏らしていた。


「その恰好、“教会”の者か」


対するミオは、腕を組んでこちらを見下ろしている。

どういう理屈か渦巻く雲の上を踏みしめていた。

一方で歌はなおも続いていた。

当然、彼女は今歌っていないのだが、歌はこの空を反響し続けていた。

ヨハンの言っていた言葉、聖女の歌を反復する言語テクストが刻まれている、ということは一面的には正しかった、ということか。


だがそんな理屈など、もうどうでもよかった

それは歩みの果てに彼女が待っていたこともだが、それ以上に、彼女の容姿が田中を揺さぶった。

その異様な長髪こそ現実味はないが、そのむくれる幼い表情は、在りし日の桜見弥生にそっくりだった。


会えた。

たとえそれが、七つに分割された仮面の一つだとしても、彼は彼女に再会したのである。


「これで──殺せる」


そう思ったとき、自然と笑みがこぼれてくる。

さも当然とばかりにいた佇むミオを見て、胸に懐かしさと寂しさがないまぜになった奇妙な想いがあふれてくる。


「そうか、やはり、そのためにやってきたのか」


昂揚する田中と対照的に、ミオは静かにそう口にする。


「ええ、“聖女狩り”の異端審問官“十一席”が貴方を殺しにやってきたわ」

「はてな」


口を挟んだカーバンクルに対し、ミオは首を捻りながら、


「お主、我と会ったことないかな?」

「人違いよ」

「うむむむ、随分と長いこと人に会ってないから、そうキッパリ言われると信じそうになる……」


ミオは眉間に皺を寄せて言った。


「半世紀近く放置されてた貴方をようやく狩りに来たわ。

 待たせてごめんさない。でも、これで“終わり”だから」

「半世紀! もう、そんなになるのか……! いや、年単位で時は経ってそうだなーと思いながら歌ってはいたが」


カーバンクルの言葉にミオは目を見開いた。

本気で驚いている様子だった。

半世紀、五十年近くもの間、彼女はずっと歌い続けていた。

そしてその間、誰とも言葉を交わすこともなかった。

それは果たしてどのような感覚なのだろうか。


「……となるとヘイももうおらんか、野垂死んだか。

 まったく、人がずっと待っておったというのに」


そう言って彼女は両手を胸の前で合わせ、大きな、大きなため息を吐いた。

田中はそこで、彼女が指輪をしていることに気づいた。

ミオと刻まれた指が、碧色に薄く輝いている。


そこで──思い出した。

この迷宮ダンジョンに入る前に、老人と交わした約束のことを。


「……ミオ、と言ったな」

「はて、なんじゃ? なんだか懐かしい顔をした君よ。お主こそ、どこかで我と会っていないか?」


無邪気な様子のミオに戸惑いつつも田中は無視して問いかけた。


「ベンデマン、という名前に覚えはないか?」

「ううん? 何でお主がそれを知っている?」


ミオは頭を捻りつつ答えた。


「ヘイ・ベンデマン。

 我がパーティの先鋒にして、私を助けてくれるはずの幼馴染じゃぞ。

 せっかく奴に向けてずっと歌を歌っていたというのに──五十年近く」


と。


その答えを聞いたとき、田中はベンデマンの言葉を思い出していた。

かつて仲間と共に“たまご”に赴いたとき、彼はミオという仲間を見捨ててしまった。

そのことを悔いているから、墓にずっといるのだと。


「五十年前、我は“教会”から逃れるために、こんな場所にわざわざやってきた。

 まぁ迷宮ダンジョン深くなら、しばらくは大丈夫じゃろと踏んだのだ。

 ヘイやイェーレミアスのような幼馴染たちが協力してくれた。

 ただその折、異形バアバロイに襲われ、パーティが分断された時、奴が叫んだのじゃよ。

 絶対に助けにいくから待っていろ、とな。

 珍しくカッコイイことを言うものだから、まぁ待ってやろうとずっと歌っておった訳だな。

 まったく何時まで待たせるのやら!」


ミオは過去を懐かしむように語った。

そこには時が流れたことへの悲壮感もなければ、見捨てられたことへの恨み節もなかった。

もしかすると、未だに彼がここに来ることを信じているのかもしれなかった。


……ただ田中は知っている。

墓守のベンデマンは既に諦めてしまっていることを。

歌の近くで墓の名を刻み続けるために生きてきた、と彼は言っていた。

既に彼は“たまご”の中へと入ろうとも思っていないようだった。

どころか、ミオの名を墓に刻み、その死を確信しているようでもあった。


だが、それは虚構だった。


彼は“たまご”の奥で聞く聖女の歌のすばらしさを語っていた。

それはつまり、彼にも“たまご”へと挑んでいた時期があったということだ。

ミオを助けるため、彼は何度も足を運んだに違いない。


しかし、届かなかった。

結果として彼は諦めた。

そして己の中に虚構の物語を創ったのかもしれない。

既にミオは死んでしまったという物語を創り、聖女だったということさえ歪め、墓守としての己を創った。


すべては妄想だ。

この五十年間、ここで何があったのかは、もはや誰にも知ることはできないだろう。


ただ聖女ミオは歌い続けていた。ここにいるから早く来い、と。

歌わなければ、彼女は自分の存在を主張できなかったから。

だが、おそらくベンデマンが“仕方ない”と諦めてしまった原因は──


「……彼は、もう来ないよ」


脳裏を過る考えを振り払うように、田中は言った。

もはやそれはどうしようもない、過去の話でしかなかった。


「そうか」


ミオの方も、さして驚く様子はなかった。

ずっと待っていた人間が来ないと断言されたにも関わらず、彼女はその理由さえも聞こうとはしなかった。


「──だが、お主は来てくれただろう。名も知らぬ、けれど懐かしい君」


そう言ってミオは田中のことを見据えて言った。

そのまなざしをまっすぐと田中は受け止める。

この空で、こうして会えたことの幸運を噛みしめるように、田中は彼女と相対していた。


「……聖女ミオの歌は徐々に大きくなっていた。

 いずれは地上にまで届いたかもしれない。そうなったとき、人々はみな今の自分に満足するだろう」


カーバンクルは淡々と述べた。


「この暗黒時代、何もかもが不自由な人たちが“これで満足だ”という感覚を得るんだ。

 それで笑い合い、そして死んでいく。すべての人間が理想も犠牲も忘れ……足を止める。

 そんな“堕落”した、しかし幸せな世界が来たかもしれない」


それはもしかすると血が流れない平和な世界なのだろうか。

マルガリーテや6《ゼクス》が求めた世界と、ある側面では同じなのかもしれなかった。


「その善し悪しは、俺にはわからないし、どうでもいいさ」


だがそんなことはここでは意味を持たない。

そう強く思い、田中はゆっくりとミオの下へと歩き出していた。

その手には『エリス』の刃が握られていた。


「それで我を殺すのだな」

「ああ」

「異端審問官だものな。まぁ、そうじゃろうな」

「ああ」

「ふふふ、カッコイイな、お主。それに何より懐かしい」


うんうん、と納得するようにミオは頷いている。

まるで抵抗する様子はなかった。

寧ろどこか嬉しそうな様子で、近づいてくる田中を見ている。


「何故だ?」

「うん?」

「何故、そんな顔をしている。

 結局、待っていた人間は来なかった。

 ずっとずっと、あきらめずに歌っていたのに、結局なんの意味もなかった」


そんなミオに、田中は思わず問いかけていた。

弥生であり、弥生でない彼女を手にかけることに迷いはない。

ただ少し、気になってしまった。


「……ふむ、まぁ確かに、無意味じゃったかもしれんのう」


問いかけると、ミオはほんの少しだけ、寂しそうな顔をして、


「とはいえまぁ、嬉しかったのだから仕方ない」

「嬉しかった?」

「おぬしらがここに来た時、我は心の底から歓喜をしていた。

 この歌が届いていた。歌い続けて良かったと思った」

「だが、そのために歌っていたんじゃないだろう、お前は──」

「ああ、そうじゃ。しかし、そうだな、それでもこの長い長い歌の果てに“終わり”があったことに、まず満足してしまった」


そこでミオは微笑み、まるで剣を受け入れるかのように、その両手を広げた。


「そういう意味じゃ我はきっと──“堕落”していたのだろう?」


だからこそこの“終わり”を受け入れると、彼女は言った。


「…………」


その言葉に田中は答えることはなかった。

代わりに剣を彼女の首へと宛がった。


「最期に、一つだけお願いしてもいいかの?」

「なんだ?」

「歌を──歌わせてほしい。こんな反響エコーじゃない、しっかりとした歌を、お主に聞かせたい」


笑って言うミオを、田中はじっと見つめていた。







そして、歌が始まった。


間近で聞くその歌声は、それまでの反響とは何もかもが違っていた。

ことばは単純なものに過ぎない。

私はここにいるという、ささやかな自己主張と未来への期待が綴られている。


だがそれはよろこびの歌であった。

同時に悲しみの歌でもあり、愛の歌であり、さらには鎮魂歌でさえあった。


これから産まれるかもしれない。殻を破り、新たな世界を見せるかもしれない。

そんな未来への底なしの期待が、“たまご”には渦巻いている。

しかし、産まれるために、数多くの死が必要だった。

それでも前に進んだ。おびただしい数の屍を乗り越え、しかし──この“たまご”は孵ることはなかった。


だから“たまご”のなかには墓標が立っている。


聖女の歌は、彼女自身の救いであると同時に、多くの死を救済するための歌であった。


歌が終わると同時に、田中は彼女の首を刎ねていた。

赤い血と共に彼女の姿はかき消えていく。


「……ありがとう」


最後にそんな言葉が聞こえた気がしたが、錯覚かもしれなかった。


ただ歌はまだ続いていた。

反響する歌はしばらく“たまご”の外まで響き続けるだろう。

しかし、それも何時か終わる。

奇蹟の歌は止んだ時──ようやく、この孵ることのできなかった“たまご”は死ぬのだ。



……ただこの歌を、忘れることはないだろうと、彼は確信していた。



“たまご編”完

次の更新は1~2週間先になると思います。

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