75_堕落のエピローグ②
「……別に、アンタは着いて来なくていいぞ」
黙々と歩き続ける田中は、不意にカーバンクルに声をかけた。
「ふむ、変なこと言うんだね」
彼女は楽し気に男性口調になって言った。
「何もないかもしれないのに、着いてくるのかい?」
「仕事だからね。そうそう簡単に投げ出せないのさ」
そう言いながら、彼女は鼻歌を歌いつつ先に進んでしまう。
戻る気はなさそうだった。
ちら、と田中は後ろを振り向いた。何もない道を進んでどれほど経っただろうか。
ずっと青空が続いていることもあり感覚がおかしくなるが、既にヨハンと別れてから相当の時が流れている。
「……もう戻っているさ、あの不殺ちゃんたちは」
カーバンクルが振り返って言った。
「なんだかんだ腕の立つ娘だし、まぁ保護者なしでもひとまず大丈夫だろう」
「俺には別に関係ないさ」
「あるだろ? たぶんまたあの娘、君の前にやってくるよ。
あの“雨の街”でトドメを刺さなかった時点で、こうなるのは割と見えていただろう?」
それを否定することはできない。
とはいえ、その行いに何か意味がある訳でもない。
殺す必要がなかったから、殺さなかった。
助ける意味がなかったから、助けもしなかった。
何もしてないのと同義な行いに、思うことなど何もない。
そう心の中でまとめた田中は、無言で先を進むことにした。
「私は意外と嫌いじゃないよ、あの不殺娘」
カーバンクルもまたそれに合わせつつ、そんなことを言った。
田中は思わず彼女を見上げ、
「意外だな。アンタがそういうことを言うなんて」
「……田中君は、私のことを何だと思っているんだ」
やれやれ、とカーバンクルは嘆息する。
そんなとりとめのないやり取りを続けながら、二人はただ歩き続けた。
◇
マルガリーテがゆっくりと瞼を開ける。
柔らかなベッドの感触に微睡ながらも、彼女は身体を起こそうとして「うっ」と声を漏らしてしまった。
「あ、ダメですよ、まだ動いちゃ」
その様子を見たキョウは椅子から立ち上がり、彼女の身体を抑えた。
マルガリーテは礼を述べつつ、彼女の身体にもたれなかかった。
異端審問官に拷問された痕は未だ深かった。
肌に布がこすれるだけで、殴打された肌が鈍い痛みを主張する。
戦闘時は精神の昂揚によって忘れていたが、自分はあの時相当なダメージを負っていたのだ。
「申し訳ないですわ。わざわざ、こんな場所まで、用意してもらって……」
“たまご”の外殻に戻ってきたマルガリーテたちは、一旦宿屋にて休むことを選んだ。
幸い部屋自体はキョウが取っていたので困ることはなく、マルガリーテは彼女に運ばれてきた。
「喋らないでください。痛みますよ?」
「ごめんなさ……」
「だから、喋っちゃダメですって!」
「え、と、もうしわけないのですが、寝るのも痛……」
「わかってください! あ! もう! 動かないでダメダメ!」
「み、耳元で叫ばないでください」
「え! 私ですか? 私が何を──」
と、そこでキョウはふと顔を歪め、己の肩を見た。
一瞬だった。すぐにその悲し気な顔は消えてしまったが、それでもマルガリーテは見逃さなかった。
「あ、ごめんなさい。思わず大声出しちゃって……」
「……いいえ、大丈夫ですわ」
その顔の意味を、マルガリーテは察していたが、しかし敢えて何も言わなかった。
言う資格などないと思ったのだ。
マルガリーテは身体を半分起こした態勢で身を落ち着かせた。
痛みは続くが、しかし耐えられないほどでもない。
その様子を見たキョウは椅子に座り直し、大きく息を吐いた
「……あらためまして、ありがとうございました」
「礼は……要りません」
キョウは顔を俯かせながら、
「私は、貴方を憎いから助けたんです。
助けたいから助けたんじゃありいません」
「それが、関係ありまして?」
「え?」
「助けられた者にとって、助けてくれた者の事情などは関係ありません。
助けられたという事実が、何より意味あるものでしょう?
だから、私は感謝します。それだけは──言わせてください」
そう告げるとキョウは当惑するように瞳を揺らした。
と、その時だった。
何やら外で騒がしい音がした。マルガリーテは立ち上がろうとするが、痛みで動きを止めてしまう。
一方でキョウは偽剣『ネヘリス』を抜いていた。
同時に宿の扉が破られる。
そこにいたのは──ゴーグルをつけた偽剣使いたちだった。
「貴方たちは」
キョウが驚きの声を出す。
“たまご”の中でキョウと戦ったギルドからの脱走兵たちである。
彼らもまた、なんとか外殻まで逃れていたらしかった。
じりじりと彼らは迫ってくる。
まさか報復に来たのか。マルガリーテは動けない身体を歯がゆく感じつつ、キョウを見守った。
ちら、と彼女はマルガリーテを見返した。守ります。
その瞳は暗にそう告げていた。
「──申し訳なかった」
そんな緊迫した雰囲気の中、偽剣使いたちは膝をついていた。
「へ?」とキョウは声を漏らした。
「こんな、こんなことをアンタらに頼むのは厚顔無恥だとわかっている。
だが……これしかないんだ」
彼らはみなゴーグルを上げ、沈痛な面持ちでマルガリーテの方を見上げていた。
「俺たちを……助けてくれ」
そして、そう告げた。
「俺たちはもう、どん詰まりだ。
墓荒らしで生きていくことも限界だった。
だから頼るしかないんだ、アンタらのような人たちに──」
あの闘技場で、マルガリーテが告げたことを覚えていたのだろう。
あの言葉は嘘ではなかった。
親の伝手を頼る形になるが、彼らを傭兵ギルドに取りなすこともできるだろう。
それを頼みに、彼らはこちらの居場所を探してやってきたということらしかった。
「……私が助けるとすれば、それらは貴方たちのことを利用すると決めた時ですわよ」
「何でもいい! 駒とでもなんでも思ってくれれば、それでいい」
助けられる者にとって、助けた者の事情など関係ない。
今しがた自分が言った言葉を思い出す。
マルガリーテは、思わずキョウの方を見てしまった。
「…………」
彼女は──ぞっとするほど冷たい眼差しでマルガリーテを見ていた。
その視線に晒されたマルガリーテは胸を抑える。
彼女はマルガリーテの行いを決して許しはしないだろう。認めもしないだろう。
あんな暖かい涙を流せる人間に、こんな目をさせたのはほかならぬ自分なのだ。
「……わかりましたわ」
マルガリーテはゆっくりと頷いた。
途端、偽剣使いたちが顔を上げ、期待の目線を向けてくる。
「それは、つまり……!」
「貴方たちを助けましょう。ギルドの方には処刑人形を停止させるように交渉してみますわ」
「ありがとうございます!」
涙を流して喜ぶ彼らを尻目に、マルガリーテは少しだけ汗をかいていた。
マルガリーテが“仕方ない”と足を止めることを、キョウは許してはくれないだろう。
何時いかなる時でも、マルガリーテが再び道を道を外れれば彼女はやってくる。
そして糾弾するのだ。それは“堕落”だ、と。
その時こそ、マルガリーテが彼女に感謝でなく謝罪の言葉を伝えるときなのだ。
自分が間違っていた、とマルガリーテはキョウに言わなくてはならない。
「その代わり、これからは我が“無血”の軍団として、マルガリーテ・グランウィングに協力してくださいな」
「わかりました! それで生きることができるのなら……!」
そんな“終わり”を避けるべく、マルガリーテはこの芝居じみた口調を続ける。
そう思うからこそ、痛みの中にあっても、彼女は微笑んでみせた。
「……私は最後にみなが笑いあえる、血の流れない世界が欲しいと考えておりますわ。
そのためには、手段は選びません」
ただ、と付け加えるように彼女は言った。
「血を流すことは畏れなさい。血に汚れることを厭いなさい。
それを忘れては、何時まで経っても、たどり着けませんわ。
ええ、そう、それだけは──」




