74_堕落のエピローグ①
雲一つない青空は、どこまでも澄んでいた。
見上げているだけで吸い込まれそうな、そんな感覚さえ湧き上がる。
がらんどうの空は、空っぽだからこそ美しい。
「……何で私たちは進んでいるんだい?」
道はついに何の仕掛けも言語もなくなっていた。
橋だとか、階段だとか、森だとか、疑似的な描写さえも創られてはいない。
空をそのまま映し出す、まっさらなフロアが延々と続いていた。
その空を、二人は並んで歩いている。
霊鳥と異端審問官、オオカミは死んだ。
不殺剣士と無血少女は帰っていった。
魔術師は諦めた。
「この奥には誰もいないらしいぜ」
「…………」
カーバンクルの言葉通り、その道は、何の意味もないのかもしれなかった。
この延々と続く聖女の歌は、ただ過去の繰り返しに過ぎないのだという。
だとしれば仮に核に辿り着いたところで、そこには何も待っていないだろう。
ここに来るまでの闘いも、苦しみも、犠牲も、すべてただの徒労ということになる。
「……行くしかないんだ」
なのだが、田中は脚を止めることができなかった。
「無意味だとしても、この虚構の世界で、俺に他に行くべきところはない」
「まぁ、ね」
「それに、だ」
田中はそこで少し苦笑を浮かべた。
彼はこれから自分で言おうとしている気恥ずかしさを覚えていた。
「近くで聴くとよくわかる。この歌、アイツの声だよ。
こんなに、上手くはなかったけど」
その結果、妙にくだけた言い方になってしまう。
“転生”してから、またこんな物言いをすることになるとは、思ってもみなかった。
「戻ったところで何も得られるものもないなら、心が折れるまでやってみるさ」
そう言うとカーバンクルは微笑んで頷いた。
「……やっぱり似ているのね。貴方と、私は」
◇
「……ああ、やっとついた」
同じ頃、4《フィア》は重い身体を引きずって、なんとか外殻まで辿り着いていた。
廃墟のフロアにて、彼女はギリギリのところで生きながらえていた。
マルガリーテの反撃から異形の登場まで、何から何まで想定外だったが、彼女には新型のMTコートがあった。
その防御力と、搭載されていた隠蔽魔術によって、異形の出現と同時に上層まで逃げ延びていたのだった。
……その隠蔽魔術によって、味方である6《ゼクス》らの探知魔術も弾いてしまったのだが。
「うぅ……ロイくん、見捨てちゃった。見捨てちゃった……」
彼女は自己嫌悪に陥るように頭を抱えた。
せっかくできた後輩だったが、あの状況では生きてはいまい。
そう思うと、4《フィア》は意気消沈してしまう。
彼女自身、仲間である彼を放っておくつもりはなかった。しかし、あの状況では他に手はなかったのだ。
「うぅ……ごめんさない、ごめんなさい。お墓はちゃんと作っておくから……」
「おや、おや、お嬢さんは」
縮こまる4《フィア》に対し、小柄な老人が声をかけた。
「おおう、お嬢さん、生きていたのか」
突然声をかけてきた老人に、4《フィア》は眼をぱちくりとさせる。
ああ、そういえば“たまご”の迷宮に突入する前にこんな墓守と会った気がする。
ベンデマン、という名を思い出しつつ、4《フィア》は困ったように瞳を揺らした。
外殻の墓を弄っていたベンデマンは、4《フィア》の様子を見て何かを察したように、
「その様子だと、命からがら、という感じじゃの」
「……はい。あ、あの、ごめんさない。約束も守れなくて」
突入突然、ベンデマンとマルガリーテが交わしていた約束を思い出し、慌てて4《フィア》は言った。
かつての仲間の指輪を見つけて欲しい、と彼は自分たちに頼んだのだ。
そう告げると、ベンデマンは「いいわい、いいわい」と首を振って、
「生きているということはそれだけでいいんじゃよ。
お嬢さんも、そう思うだろう?」
「……ええ、まぁ」
「だから仕方ないんじゃ。うまく行かなくても、道を外れても仕方ない……」
ベンデマンの言葉に、こくりと4《フィア》はうなずいた。
それから二人の間に沈痛な静寂が訪れる。
一方で聖女の歌はなおも続いている。
その歌を聴きながら考える。今回の任務は、失敗だろう、と。
でも──仕方ない。
自分は田中を見捨てててしまったが、そうしなくては生き残ることもできなかったのだ。
「……名前」
「ん?」
「名前だけ、刻んでくれませんか?」
4《フィア》は自信なさげに、しかし強い口調で言った。
“たまご”に立ち並ぶ無数の墓標に、に名を刻んでほしい、と。
「刻んでください。それで私は先を行くから……」
「承った。それですっきりとしようじゃないか、お嬢さん。
だが忘れてはいけないよ。儂がミオ、ミュージィ、イェーレミアスの名を何時までも忘れないように……」
ベンデマンは4《フィア》に優しく声をかけた。
「うん」と彼女は一言頷いた。
そうして、ロイ田中、と刻まれた墓が出来上がったという。
後日それを知った田中は、当然喜びはしなかった。




