70_さよなら先輩
──そして最後の羽根が、地に墜ちた。
瞬間、ぼう、とキョウの周りに言語が浮かびあがった。
「え?」と彼女は声を漏らす。
きょろきょろと辺りを見渡し、自分の周りに次々と展開されていく言語を見て首を傾げた。
「……“転生”? いやそんな邪法ではなく、もっと単純な……」
展開された言語を読みったらしいカーバンクルが意外そうに声を漏らした。
そうしている間に、キョウへ向かって言語は集まっていき──炸裂した。
「いやはや、まぁ。意外と好色な鳥さんだったのね」
どこか呆れるようにカーバンクルは言った。
自らの存在を言語として保存しておき、死をトリガーとして押し付ける。
凝ったことをするものだと、彼女は思ったのだった。
「え? え?」
キョウは己の背中から生えてきた両翼に戸惑いの声を上げる。
その黒い翼は、徐々に彼女の髪と同じ、色素の薄い青みがかった色彩へと変わっていく。
当然翼は物を言うことはしない。だってそれは彼女の一部なのだから。
「え? 私、鳥になっちゃいました?」
「大丈夫だよ、それは幻想でできた仮初のものさ」
カーバンクルが苦笑を浮かべつつ、男性口調になって言った。
「まぁ偽剣なしで使える便利な魔術とでも思っておけばいい。
出したり、消したりもできるはずだよ」
「うわ、本当です」
キョウはその言葉を受け、翼を消してみせたのち、空中の幻想を粒子を基に再度翼を構築していた。
それが楽しいのか、ぱっ、ぱっ、と明滅させつつ彼女は翼の出し入れを行っていた。
遊ぶな、と田中が小さく漏らしていた。
「……こんなもの仕込んでたんですね、わざわざ」
不意にキョウは少しだけ微笑みを浮かべ、
「喜んだりなんか、しませんからね。
私は、まだ……」
最後顔を俯かせそうになったキョウに対し、カーバンクルはあろうことか欠伸をしながら、
「ま、偶然にも君の抱えてたアレコレを助ける形になった訳だけど、忘れてないかい? 一応私たち、殺し合った仲なんだぜ」
「え、あ、そうでした!」
はっ、としたようにキョウは顔を上げる。
もう何時ものトボけた調子であった。少なくとも、表面上は。
「ロイ田中君! 私たち、何しにここに来たんだっけ」
そこでカーバンクルは意地悪くも田中に向かって話を振ってきた。
思わずキョウと目が合ったが、彼女はすぐに視線を外してしまった。
未だ目元は腫れていたが、既にその涙は止まっているようだった。
「……聖女を殺しに、だ」
田中は息を吐いたのち、そう言った。
異形は去り、再びこのフロアには聖女の歌が響き渡っていた。
この歌の主を討つために、彼はここに来たのである。
「それじゃあ、止めないといけませんね」
するとキョウはさも当然、という風に言い、その手に『ネヘリス』を出現させた。
ここには三人の異端審問官が集っている。
その発言は全員を敵に回しかねない言葉だったが、
「──でも、今の私には無理ですよね」
すぐにキョウは背を向けてしまった。
田中はひどく意外な顔を浮かべてしまった。
何時もの強硬な様子が、あっさり引いてしまったのだ。
そんな田中を余所にキョウは後ろに倒れている金髪の少女、マルガリーテを助け起こしていた。
マルガリーテは少し困ったような顔を浮かべつつ、キョウの手を握りしめていた。
「私はまずこの人を助けないといけませんから」
「良いのかい? このままだと聖女様がやられてしまうぜ」
「……でも、この人を放ってはおけません。
絶対に、死なせたくないんです」
カーバンクルの露悪的な言葉に対し、キョウは首を振って言った。
「私はまず、目の前の人を死なせないことにしました。
それ以上のことは、何もできないって、そうわかっているから」
「あは、実は君、無関係な人の死とか、割とどうでも良いって思ってるな」
「カーバンクル」
田中は彼女を制するように言った。
これ以上、話をこじれさせたくないという想いが伝わってきた。
カーバンクルは意外そうに田中を見たのち、
「ま、いいさ」
そう言って、口を噤んだ。まぁ、仕方がない。
「じゃあ、田中君も、カーバンクルさんも、他の異端審問官さんも……ありがとうございました。
また、止めに来ます。何時か、必ず追いついて」
そう言ってキョウは翼を展開し、マルガリーテを抱えて飛んでいった。
“たまご”の外殻まで戻るつもりだろう。
「ふむふむ、なるほど至極興味深い話だった」
と、そこでそれまで黙っていた6《ゼクス》を口を開いた。
「それで、つかぬことを聞くが、アレは誰なんだい?」
そういえば、彼は特にキョウと話したこともなければ、一戦交えたこともないのだった。
色々疑問があったのだろうが、場の空気を読んで、これまで黙っていてくれたようだった。
カーバンクルは何と言ったものか考えたが、
「……さぁ、何者でもないキョウらしい」
「なるほど! よくわからないが、まぁもう退場した者の話は良いだろう」
そう言って6《ゼクス》は辺りを見渡しながら、
「とりあえず4《フィア》を探すとしよう。巻き込まれて死んでないといいがな!」
彼は声を張って言うと、辺りを見渡した。
異形との戦闘で辺りには瓦礫であふれかえっている。
探知魔術を使っても見つけ出すのは苦労しそうだ。
そう分析を告げようとした、その時
──6《ゼクス》の身体を剣が貫いていた。
「うん?」と彼は不思議そうに胸に生えた暗青の刀身を見た。
「あれ?」
そして、そんな言葉が──彼の最期の言葉となった。
一目で致命傷とわかるほどの血が噴水のように吹き出し、どさ、とどこか間抜けな音を立てて彼は倒れ伏した。
田中も、カーバンクルも、予想外の事態に一拍反応が遅れた。
そしてすぐに悟る。そうこれは、気が緩んだ瞬間を狙った暗殺だと。
「フフフ……これで良い。まぁこれも一つの結果だろう」
何時の間にか、そこには人狼の剣士がいた。
返り血を浴び、その毛並みを赤く汚した彼は、嘲るように6《ゼクス》を見下ろした。
……彼、ヴァレンティンが真の意味で“堕落”したのは、きっとその瞬間だった。




