67_キョウとマルガリーテ
荒れ狂う災禍の嵐の中、キョウは片手に剣を携え、もう一方の手でマルガリーテを抱きかかえ駆け抜ける。
マルガリーテがいくら小柄とはいえ、やはりキョウの負荷は大きいのか、額には玉のような汗が浮かんでいる。
「憎いし、悲しいし、つらいに決まってるじゃないですか……!」
その中にあって、キョウは顔を歪ませていた。
「リューは私に剣を教えてくれました。私に生き方と道を示してくれました。私と、生きてくれました。
そりゃ素っ気ないところもあったし、教えてくれないことも、多かったですけど……!」
「だったら、何故……! 彼は私が!」
マルガリーテが胸を抑えながら言う。
「私が死んだとしても、それは貴方のせいじゃ、ありませんわ。
これはただ、私が自分に──」
その表情には戸惑いと、後ろめたさが感じられた。
きっとマルガリーテは見捨てられたとしても、あるいはキョウにここで殺されたのだとしても、それを受け止めただろう。
しかしそうはならなかった。
キョウが必死に彼女を助けようとしているからこそ、マルガリーテは当惑の声を漏らしているに違いなかった。
「うるさい!」
しかし、キョウは力強くそう言い返していた。
「私は──そもそも私は誰かを救いたくて“不殺”なんて言い出したんじゃないんです」
彼女は言う。
別に正義のためじゃない、善きこととしてやっている訳ではない、他人のためですらないのだ、と。
ただ──耐えられなかっただけだった。
関係のないところで家族が殺し合い、死に絶えたときのことを。
置いていかれたことを。
今でもキョウは思っている。
もう少し彼らが生きていれば、自分のことを見てくれたのではないだろうか、と。
それが厚意であれ、敵意であれ、害意であれ、なんでもよかった。
とにかく彼らがもう少しでも生きてさえいれば、自分のことを見てくれたのではないかと。
その心理的外傷が、彼女を創った。
だからこそ彼女はリューに剣を教えてほしいといった。
自分の考えを押し通せるだけの力が欲しいとも言った。
それが正しいか、間違っているかなんて、どうでもよかった。
目の前で、彼女の知らない誰かが、知らないままに終わってしまうこと。
それが耐えられなくて、彼女は人の関係に割り込むのだ。
わかり合えなくてもいい。嫌いあっていてもいい。でも勝手にいなくならないで、と。
「全部、全部ワガママだってわかっているんです。
何の理想だって、私にはありません! だから!」
「そんな……馬鹿な理由!」
キョウとマルガリーテの視線は交わらない。
苛烈な破壊の嵐のただなかに合って、そんな余裕はなかった。
だから互いにキョウはマルガリーテがどのような顔をしてこちらを見ているのかわからなかった。
きっと呆れているだろう、と思う。だってこんなの子供の理屈だ。
もうリューもいないのに、こんなことを言っていては──本当はいけないのに。
「馬鹿です! 馬鹿で悪いですか!
本当は私だって、私だって本当は、愛してほしかったんです。
嫌いって言われたら傷つきます。気狂い言われたら落ち込みます!
でも──それでも何もないよりも、ずっとマシだから」
だから、こんな真似をしてきたのだと、彼女は語る。
「……暖かい、ですわ」
不意にマルガリーテが声を漏らした。
暖かい。一体何の話だろうと思った。
しかし彼女の顔を見ている余裕はない。
とにかく二人でこの嵐を乗り切るだけで精一杯だった。
「こんなまっすぐなもの……私が欲しかったのは──」
マルガリーテは逡巡するような間を置いたのち、
「でもあの霊鳥の方は、きっと貴方のことを」
「わかってます。リューは! 私のことを好きでいてくれた。
そして貴方はそれを奪ったんです!」
キョウの視界が急にぼやけていた。動きが鈍り、危険な兆候だった。
そう思うと同時に、何か暖かいものが瞳からこぼれていた。
ああなるほど──マルガリーテ言っていたのは、これのことか。
そう理解して、キョウは絶対に彼女を救う決意を固めていた。
かつてリューだったモノを、完全に終わらせるために戦わなくてはならなかった。
田中もまた必至にキョウを助けてくれる。
しかしそれでも異形たちは倒れなかった。
外観通りその耐久は高く、ジリジリと彼らは追い詰められていく。
それでも、と彼女は思い、マルガリーテの手を強く握りしめた。
「これで“終わり”になんてさせるものですか。
私だって、貴方のことを嫌います! 憎みます! 深く、ずっと!
だから関係のないところで、勝手に満足して死なないでください」
しかしここで折れる訳にはいかなかった。
だが無慈悲にも風は吹く。破壊の嵐が再度やってきて──すべて等しく吹き飛ばしていく。
刻々と悪くなっていく戦況で、彼女はその声を聴いたのだ。
「あら、お久しぶり。来てるのは知ってたけど、もう少年と合流していたなんて」
と。
美しく澄んだ紅い瞳。
その手には、偽剣『リヘリオン』がある。
彼女はその真紅の刀身で、風を両断する。含まれていた破壊の幻想を斬り裂き、キョウの前に守るように立った。
「何だか楽しそうだから、援軍になってあげる」
そう言って彼女は得意げにウインクしてみせた。
──その姿はあまりにも颯爽とした、紅だった。




