66_だって憎いから
「……戦えないなら、逃げればいい」
キョウと並び立った田中は、グロテスクな異形を見上げながら言った。
その最中異形による破壊の風は吹き続けていた。
戦術も何もない無規則な攻撃であった、その規模がとにかく大きい。
田中とキョウはそれを見極め跳躍して避けていく。
この状況、マルガリーテや4《フィア》はもちろん戦力にはならない。
そしてキョウが戦えないとなれば、手負いとはいえ田中が前に出なければならない。
彼女が逃げるというのなら、まずは時間稼ぎに徹する形で戦うつもりであった。
「殺せないなら、俺が殺しておくさ」
風を避け『エリス』と共に瓦礫の街を跳びながら、彼は言う。
幸いにして──切り札は存在していた。
元よりここで倒れるつもりはない。明確な勝算を持って、彼はこの場に赴いていた。
それに対して、キョウはほんの少しだけ笑って、
「変な、ことを言いますね、ロイ君は」
その声色は何時もの快活なそれであったが、しかしどこか弱々しい響きも含んでいた。
「それ、やさしさのつもりですか?
あは、本当……そんなんじゃ誰も喜びませんよう。
そんな、つらそうな言い方じゃ……」
彼女はそう答えたのち、一瞬だけ顔を俯かせて、
「アレはもう死んでるんです。生きてはいませんから……もう、殺せないんですよ」
「…………」
「だから殺すとか、殺さないとか、生きているとか、助け出すとか、そういう次元じゃないんです。
異形はただの現象なんですから」
その言葉と共に、キョウは顔を上げた。
その視線はまっすぐと、かつてリューだった絶対敵へと向けられていた。
「私が、こんな危ないモノ、放っておける訳ないでしょう?」
「そうか」
「落ち込んでいるからって、そんな不誠実なことしたら──怒られちゃいますから」
誰に、とは尋ねなかった。
ただ田中は頷き、二人は共に跳躍して異形へと向かっていった。
無秩序な破壊の嵐に飛び込む勢いで跳びながら、二人は言葉を交わす。
「逃げてもいいんですよ、田中君こそ。これは貴方の好きな殺人じゃないんですから」
「だからこそ、逃げられないんだよ」
そう口にすると途端に『エリス』が重くなった気がした。
しかしだからこそ、感覚が研ぎ澄まされ鋭敏化していく。
確かに敵は巨躯であり、一撃一撃の威力は目を見張るものがある。
とはいえ所詮そこに人の意志は存在しない。
ただ無秩序に暴れまわっているだけである。
だからこそ、たとえ手負いであっても渡り合うことができた。
ぶよぶよに膨れ上がる胴体を『エリス』や『ネヘリス』が走る。
その度に肉が傷つき、中より幻想が粒子となってこぼれていく。
異形は生物でない。
だから自分が傷つこうとも反応らしい反応は希薄だ。
しかし、同時にパターン性も存在せず、それ故に予想もしないタイミングで攻撃が来ることもある。
それ故に一瞬でも気を抜けば死にかねなかった。
それでも二人は共に駆け抜けつつ、互いの危険を察知すればそこで呼びかけ合う。
崩壊しゆく過去の街の中を足蹴にしながら、二人は戦い続けていた。
「アレは!」
その最中、キョウが大きな声を上げた。
何かに気づいた様子であったが、激しく推移する戦場に田中は気づけなかった。
「何だ!」と問いかけるが、その時、既にキョウは跳んでいた。
◇
その時、マルガリーテは死を覚悟していた。
満身創痍の身ながらも無理やり跳躍して、異形から逃げ回っていたが、敵はあまりにも強大だった。
荒れ狂う風が瓦礫や土を巻き上げ、絶え間なく襲ってくる。
そして既に彼女の体力も、そして精神も限界であった。
だから振りそそぐ瓦礫の山を前にしても、彼女は取り乱すことはなかった。
──因果応報ですわね。
と。
その諦観は彼女は冷静させた。
少なくとも今回の件は、自分自身がもたらした事態であると認めていた。
あの霊鳥のリューの言葉を正しいとは、今でも思ってはいなかった。
詭弁に近い話であり、この生き方が間違っていることはまだ認めなくない。
しかし、認めたくないがゆえに、殺害という短絡的な手段を取ってしまったことは、あきらかに自分の間違いである。
理想のための犠牲を良しとしてきた。
しかし良しと許容することと、自らがそれを為すことの間には、天と地ほどの違いがある。
ほかでもない彼女自身の理性が、自らの行いをそう否定していた。
一時の衝動に任せてしまったことは明らかに間違いであり、堕落だった。
それ故に自分は死ぬのである。
そう思うと、この結末はひどく筋の通ったものに思えた。
そう思いはするが、しかし彼女は悔しそうに顔を歪めた。
仕方がない、と思いはするが、だからといって認めたくはなかったのだ。
──ごめんさない、ニケアちゃん。
最後に想ったのは、家族に対してではなかった。
すべての始まりにして“希望”の聖女に対して、何かを言おうとした。
だが、声は出なかった。既に目の前に瓦礫が迫っていて──
「死なせませんよ!」
力強い言葉がりんと響き渡り、一筋の剣閃が瓦礫を真っ二つにした。
「掴んでください!」
やってきた“不殺”の剣士は、マルガリーテに対して手を差し伸べてきた。
舞い上がるその髪は、まるで翼のようでもあった。
呆然と彼女を見上げるマルガリーテに、キョウは叫ぶように、
「掴んで!」
そう言葉に押されるようにマルガリーテはその手を掴み、引っ張りあげられていた。
「なんでかしら、貴方、私のこと、憎くないの?」
彼女に抱きかかえられながら、マルガリーテは思わずそう尋ねていた。
すると見上げるキョウの顔は、一瞬だけ歪められる。
「憎いに決まっているじゃないですか!」
重ねられた手は震えていた。
「憎いから、死なせたくないんです!」




