48_ダンジョンアタック
風が幻想の粒子を舞い上がらせる。
そのきらめきは鮮やかではあるが、どこか乾いてもいるようにも見える。
どこか虚無的な美しさを前に、人狼の剣士、ヴァレンティンは一人歩いていた。
その足元には、無数の死体が転がっている。
そのすべて、彼が一太刀に斬り伏せた者たちである。
無謀にも数を頼りに襲ってきたその偽剣使いたちを、ヴァレンティンは一切容赦することもなかった。
「……良い歌ではあるが、果たしてどんな顔をして歌っているのやら」
“たまご”の深部より響いてくる歌に対し、彼はそんな所感を述べる。
そこに今しがた彼が殺したものたちへの興味は既に失せていた。
ただ、歌を聴いていた。
その歌はキレイではあるが、表層──“たまご”の殻──に当たるこの層では歌詞まで聞き取ることができない。
だからわからない。よろこびの歌であるのか、悲しみの歌であるのか、愛の歌であるのか、はたまた鎮魂歌なのか。
聞くに、中へと潜っていけば、より鮮明にこの歌を聴くことが叶うらしいが。
とはいえ、ヴァレンティンにしてみれば聖女の歌は二の次以下であった。
今から彼が向かう場所に、たまたま聖女なる存在が居ついているだけだった。
松葉色の着流しが、吹きすさぶ風によって音を立てて舞う。
道では無数の石碑が突き立てられている。それは死の集積だ。
何世紀もの年月をかけて重ねられた、無為の死が刻まれた墓標である。
そんな墓標の林をかきわけるように進みながら、彼は目的のものを見つけた。
それは扉であった。
墓標の中に、ぽつりとその扉だけが立っている。
薄い木板に錆びついたノブが据えられただけのものが突っ立っているのだ。
一見してどこにも繋がってはいないが、しかしヴァレンティンはそれを見て、わずかに笑みを浮かべた。
鋭い犬歯が露出し、澱んだ黄金を湛える瞳は見開かれる。
激しい敵意とはまた違った剣呑な雰囲気を纏わせながら、彼はその扉に刻まれた言語を読み上げた。
“敗者にこそ与えられるべき黄金”
人狼は、神話にのみその名を刻むケモノ、オオカミの血を引くと語られている。
無論それは伝説であり、現実的にはあり得ない話だった。
しかしヴァレンティンはその瞬間吠えていた。
かつてこの地にて刻まれた屈辱を晴らすべく、彼はオオカミとなって吠えたのだった。
◇
「4《フィア》たちは、また妙な人間を捕まえたものです」
「こんな世界の果てみたいな場所に来る人間よ。まぁ、妙な奴ばっかりでしょうね」
「それは! 私たちも含めてですかな?」
6《ゼクス》がそう尋ねると、カーバンクルは「うーん」と唸って、
「私は否定できないけど、6《ゼクス》、貴方は割合マトモだから難しいところね」
そんなことを言うのだった。
その言い方があんまりにも真面目なもので、思わず6《ゼクス》は笑いそうになった。
「いやいや、それはさておき、良いのですか? このままの隊で。
ベテランが新人について補助した方がいいような気がするですが」
「構わないわ。戦力的な面ではもとより心配してないもの。
それよりも変にバランスを取って近づけない、なんて目に合うのを避けたい。
均一化された群体よりも、先鋭化した個体での行動の方がが、聖女の懐に飛び込むには向いている」
そう述べるカーバンクルに迷いはない。
経験という意味では“十一席”の中で彼女に敵う者はいない。
それゆえ6《ゼクス》はそれ以上何も言わなかった。
「前に第二聖女攻略をしようとした時だって、異端審問官とわかる恰好した隊とカモフラージュした隊にわけたっけ。
カモフラージュ組に8《アハト》……思えば、前の8《アハト》を入れたのは失敗だったな。
奴ほどああいうのが向かん審問官もいない」
そんな言葉を交わしつつも歩き続けた先に、彼らは扉を見つけた。
石でできたアーチである。その向こうには幻想の舞う“たまご”の外殻が広がっている。
「ほう、これが!」
「ええ、ルートとしては8《アハト》たちとは真逆の位置になるはず。
私たちはこちらから突入しましょう」
歌響き渡るこの“たまご”において、下層に降りる扉はいくつも設置されている。
それはかつてこの秘境を探索した冒険者たちが遺したものだ。
冒険者たちは他の者たちに負けぬよう、各々で独自のルートを開拓し続けたという。
何でも当時、“たまご”の中は、夢想され得るあらゆる可能性が並立して存在し、意味もなければ理由もない世界だったらしい。
現代の分析では、高密度の幻想の収束により、ある種の仮想的想念層と化していたとされている。
そのため言語を用いた“定義づけ”により、カタチない幻想を描写・物質化してやる必要があった。
そのための手段がこの扉であり、刻まれた言語である。
しかし困ったことに、今ではこの扉をくぐった先がどんな層となっているのかまでは特定できない。
何せ無節操な扉の増設により、言語が干渉しあい、混線し、メチャクチャな道筋になっているのだ。
昨日と今日で、同じ場所に繋がるとは限らない。ここはそんな不可思議な迷宮なのだ。
「全員で帰ることができればいいですがね」
「大丈夫さ、聖女様の歌が導いてくれる」
カーバンクルはどこか楽しそうに言う。
さてはて鬼が出るか蛇が出るか。6《ゼクス》もまた軽やかな足取りで扉をくぐっていった。
◇
あの“雨の街”以来、キョウは聖女を探していた。
正確には聖女を探し回っているはずの人間を先回りするために、彼女はこの“たまご”までやってきたのである。
「ふんふん、聖女様の在りかね」
「そうです。ここ以外に知っている場所はありませんか? ヨハンさん」
尋ねると、ヨハンは鳶色の髪を撫でながら、
「さて“春”の方の戦場には聖女がいるとは聞いたが」
「あ、それ、私も聞きました。でもちょっと近寄りがたくて……」
「あは、それは僕も同じだね。とりあえず来やすいこちらに来たわけだ」
ヨハンは柔和に笑って言った。
この青年に護衛を頼まれたキョウは、装備一式を整えたうえで下層へ続く扉を目指していた。
既に何度か迷宮に潜っているキョウは、一応入りやすい扉に目星をつけている。
「しかし、迷わないのかい? “たまご”のなかはぐちゃぐちゃなんだろう?
進んでいるのか、下がっているのか、前後不感覚に陥ってしまいそうだけど」
「ああ、それならまぁ、一応大丈夫なんです」
「と、いうと?」
「歌だよ」
キョウの言葉を引き継いだのはリューだった。
霊鳥である彼はキョウの肩に乗りながら、冷静かつ平坦な口調で言う。
「聖女はこの“たまご”の中枢にいるららしい。
それ故、歌がはっきりと聞こえれば前進、逆に遠のいていけば後退、という訳だ」
「……ふうん、そうなんですか」
「君なら、こういう構造まで考えが回りそうなものだがね、魔術師」
どこか突っぱねるようなリューの言い回しに、ヨハンは微笑を浮かべる。
キョウは少し気まずい想いを感じながら「さぁ!」と声を上げた。
「行きましょう! 私もいささか暇でしたし、ロイ君より先に聖女様に会っちゃいましょう」
……探している人物が、すぐに近くにいることに気づかないまま、彼女は“たまご”へと赴くことになる。
◇
「ふむん、どうもここのところ、変わりモンが増えたようだ」
「あら、変人でなくては世界は変革できませんわ、おじい様」
マルガリーテはニッコリと笑って言うと、ベンデマンと名乗った墓守もまた笑った。
好好爺という風情の彼は、先ほどからマルガリーテの突飛な言葉も気にせず応対してくれる。
「今朝がたも眼鏡の兄ちゃんが“たまご”のなかにいくって言ってたぞう。
いきなりなんだってこんな千客万来なのやら」
「来るときは来る。来ないときは来ない。そういうものですわ」
「確かにのう。来るときは来る。来ないときは来ない」
「そうです。そうです。来るときは来る。来ないときは来ない」
そう言って二人は何が面白いのか声を上げていた。
田中は二人のやり取りにうんざりする想いだった。
見れば4《フィア》は既に明後日の方を向いていた。完全に別のことを考えているらしかった。
一応既に着替えは済ませている。
田中は灰色のカソックを、4《フィア》はあのダボついたMT加工のコートを身にまとい、戦闘準備は万端、といったところだ。
マルガリーテとともに“たまご”を潜ることになったは良いが、彼女いわく聖女まで最短の扉というのがこの墓の中にあるらしい。
しかしこの無数の墓の全容を把握しているのは墓守のベンデマンのみ。
と、いうことでこの老人に絡まれつつ、無数の墓が立つこの道を行くのだった。
「……“たまご”の中枢へ行く、か。
儂も昔、そんなことを考えた気がする」
しみじみと昔を思い出すようにベンデマンは言った。
するとマルガリーテが身を乗り出して、
「なんと、おじい様も昔は冒険者だったのですね」
「そう大したものじゃないさ。ただ勇気を見せてやろうとな、行ったんだ
今思えばあまりにも無謀な行いだった。しかし、何故かできると確信していたんだ。
結果として、儂は大切なものを喪うことになった。
ミュージィ、ミオ、イェーレミアス……」
そこでベンデマンは目をつむった。
黙祷を思わせるその態度に、田中は彼らが察する。
きっとこの無数の墓標の中に、彼の当時の名が刻んであるのだろう。
「なぁ、お前さん方、一つ頼みがあるんだ」
目を開けたベンデマンは、ゆっくりと口を開いた。
「ミオという名が刻まれた指輪がないかだけ、探してきてくれないかのう」
「ミオ……ですか?」
「……かつての儂の仲間だ。
“たまご”のなかで、儂は仲間を見捨てて逃げ出した。
だから一人、儂だけが生き残った。その後悔があったからこそ、儂はずっとこんな場所で墓守をやっとる」
マルガリーテは笑みを消し、この世の悲しみすべてを一身に背負ったかのような神妙な表情を浮かべて、彼の話を聞いていた。
大した名優だ、と田中は胸中で呟いた。
「その死体はすでに幻想へと回帰しただろうが、あの指輪だけは別だ。
強固な物質化を施されたあれだけは……きっとまだ残っておる。
儂が渡した、あの指輪だけは」
「わかりました」
マルガリーテはそこで大きくうなずいて、
「それではその指輪がもし仮に見つかれば、お渡しいたします。
ずっとそれがおじいさまの未練だったのでしょう?
ならば全身全霊をかけて探してみせますわ」
「本当か! お嬢さん方!」
その言葉を聞いて、感極まる表情でベンデマンはマルガリーテを拝み始めた。
「その気持ちだけでうれしいぞう。お前さん方、帰ってこなくとも安心するがいい。儂が確実に名前を刻んでやる……」
「まあ! それは!」
感謝の言葉を漏らし続けるベンデマンに対し、にこやかな笑みで返すマルガリーテ。
それを見た4《フィア》が「うれしいのかなぁ? それ」とぼやいた。
田中は大きく息を吐いた。
最初こそ既視感を感じたが、この白金の髪の少女は、自分の知る者とはまったく違う性格のようだった。
立ち並ぶ墓標を聖女の美しい歌が響き渡る。
何にせよ、と田中は思う。
この歌を止めるために自分は、ここに来たのだと。
◇
異端審問官、オオカミの剣客、不殺剣士、霊鳥、天才・魔術師、“無血”少女。
そうして彼らはほぼ時同じくして“たまご”の迷宮へと潜っていった。
彼らの中心にて“堕落”の聖女は歌い続けている。
その勇気あるいは無謀を祝福するかのように……




