44_上陸
「第二聖女」
甲板に立つカーバンクルは、たなびく髪を押さえながら言葉を続けた。
「ナンバリングの若さからもわかるように、観測されたのはかなり早めだ。
確か第一聖女から遅れること十年ほどの筈だから、まぁざっと90年ぐらい前になるな。初代の第二聖女が観測されたのは。
そして、それが討伐されるまで40年ほどかかっている」
言語船『キャロルフーケ』。
かつて世界に本当に存在したという“竜”を模したその船は、“教会”が手配してくれたものだ。
逆さにしたお椀から飛び出るように二対の翼が生えたような外観はどこかアンバランスで、田中の知る法則であれば、とてもではないが飛ぶことは叶いそうになかった。
しかし事実として船は飛び上がり、雲の上を進んでいる。
その事実にどこか座りの悪いものを感じなくもなかったが、それを表に出すつもりはなかった。
これだけの高度で生身を晒しても問題がないのだ。
この世界における法則では、こう、なのだと納得するしかない。
「第二聖女は“教会”からの認定では、危険性自体は低めに設定されている。
まぁこの危険性のモノサシは影響力であって、直接の奇蹟の大きさではなんだがね。
そもそも聖痕とかいうラベリングも非常に適当な方法でつけられていて……」
「今度は一体どんな奇蹟だ? それだけでいい」
語り続けるカーバンクルに対し、田中は短く尋ねた。
すると彼女は少しむっとした顔を浮かべた。
「急くんじゃないの。着くまで暇なんだし、おしゃべり、楽しめばいいじゃない」
「楽しめるような話題でもないだろう」
「何だい? じゃあ楽しい物語がご所望かい? “冬の女王”とか“アンナメリー”とかだったら諳んじれるが」
「……そうじゃない」
「そこは、どっちも悲劇だろうって突っ込みが欲しかったね、正直」
拗ねたように言うカーバンクルに対し、田中は少し呆れる心地だった。
聞いたことのないタイトルだったが、きっとこの世界における有名作なのだろう。
物語の中の物語か、と田中はぼんやりと思った。
「いやいや! 仲のよろしいことで!」
そこに大きな声が響き渡った。
振り向かなくてもわかる。眼に傷を負った美男子、6《ゼクス》である。
彼は甲板に足音を響かせながら向き合う二人の間までやってきた。
「艦長に確認しましたが、あと少しで到着だそうです。天空墓標、第二聖女が籠る場所に」
「そうか、じゃあまぁ下船の準備もしなくてはな」
「はい、1《アイン》殿。そして、船自体は我々の上陸を確認してすぐに出て行ってしまうとか」
「本隊との相乗りだ。仕方がなかろう」
カーバンクルと6《ゼクス》は顔を見合わせ、共に苦笑を浮かべる。
田中は二人のやり取りから、“教会”における異端審問官の立場などを察することができた。
カーバンクルの言う通り、この船には異端審問官でない“教会”の兵士たちも乗っている。
しかし彼らは異端審問官に近づこうとはしなかった。
腫物を扱うような態度は、ひとえに聖女狩りを専門に行う自分たちへの恐怖と嫌悪の入り混じった結果だろう。
そう考えていたところで、田中はふと顔を上げた。
何かが聞こえる。そう思い、耳をすますとそれが歌であることがわかった。
「これが第二聖女の奇蹟さ、8《アハト》君」
田中が歌に気づいたことを見て、6《ゼクス》はさらりとそう言ってのけた。
「第二聖女は過去観測されたどの例においても、歌を媒介にして奇蹟を発露していたらしいね。
現象としてはシンプルなのだよ。この歌を聞いた人たちは癒されて、元気が出る」
それだけだ、と彼は言った。
「第二聖女は観測例があまり多くない故に諸説あるが、現象としてはそうとしか言いようがない。
特に今の第二聖女は、ほとんど人がいない場所で歌い続けている。
だから“教会”からも討伐の優先順位はさして高くない」
「それは……」
第五聖女アマネも第六聖女エリスも、その奇蹟は現実を捻じ曲げる巨大なものだった。
それに比べれば、随分と小規模のように思わなくもない。
「一応、歌を聞いて兵士たちが戦いを止めた、なんて記録もあるんだがね。
逆に言えば、それぐらいの力しかない。だから放置されていた」
「……ずっと、か」
「ああ、しかしその消極的な膠着状態を終わらせられるのが、君の持つ力だろう?」
言われて田中は思わず手首に巻いた鞘に触れる。
殺した聖女の言語を物質として封じ込める。ロイ田中だけが持つその力によって、聖女の“転生”を止められる──はずだった。
「と、いうのが“教会”の見識よ」
6《ゼクス》の言葉を引き継いで、カーバンクルが言った。
「無害……とは言わないまでも、聖女の中にあっては影響力が比較的ない方。
なので“教会”も第二聖女は積極的に狩ることをせず、結果“転生”による代替わりも非常に少ないの。
今の聖女になってから、既に半世紀近い時が経っているって訳だ」
その言葉に連られて、田中は視線を移した。
歌響く空の中に浮かび上がる奇妙な“たまご”が見えていた。
歌はそこから聞こえているのだという。歳を取るという概念のない聖女は“たまご”から出ることもなく、ずっと同じ姿で、同じ歌を歌い続けている。
「こんなところまで、聞こえるようになってるのね。
そのうち、地上まで届くか……」
澄み渡る空の中、風に煽られ灰色のカソックが舞った。
◇
そうして異端審問官たちは、天空墓標“たまご”へと降り立った。
1《アイン》、4《フィア》、6《ゼクス》、8《アハト》の四人である。
物質化した幻想の砂を踏みしめながら、彼らは言葉を交わす。
「さて、と。まずはざっと情報収集から行きたいがね。
四人で行くのは無駄だし、邪魔だ。隊を二・二で分けたいんだが」
剣の仮面を被ったカーバンクルがそう告げると、すっと手を上がった。
「あ、あの……」
4《フィア》であった。
彼女の行動にカーバンクルと6《ゼクス》は意外なものを見るような視線を向ける。
4《フィア》はどこかおどおどとした、しかし押しの強い様子で、
「わ、私、8《アハト》君と行きたいです。せせせ、先輩として……!」
……彼女が見せた珍しい積極性を見て、カーバンクルは薄く笑っていた。




