36_再会じゃない
私の声を聞いて
私の想いを抱いて
私のことを忘れないで
私はずっとここにいる
ここにしかいない私が、ここにいない貴方を待っている
ひび割れる世界の中、私は目を開ける
私の夢を掬って
私の願いを込めて
私の歌を忘れないで
私の声を聞いて
私の想いを抱いて
私のことを忘れないで
そして殻を破る私に祝福を──
(たまごの中には墓標が立っている)
◇
高い、高い塔であった。
塔が立っているのは、戦火に焼かれ打ち捨てられた街の中だ。
かつては大規模な街があったはずのその場所に、その四つの塔は突き刺さるように立っている。
いずれも雲をも穿つ高さであり、太陽の光を受け、その純白の外壁を輝かせていた。
捨てられた街と天高くそびえ立つ塔。
くっくり明暗が分かれたその光景には、どこか奇妙なバランスでの調和が存在しているようにも見える。
そこは“教会”と呼ばれる者たちの最大の拠点でもあり、聖地でもあった。
「とはいえ、実のところ宗教的な裏付けなど、この地にはないんだけどね」
……カーバンクルはどこか投げやりな口調でそう言った。
“冬”の塔の中を、田中とカーバンクル、二人の靴音が反響する。
塔は、内部に至るまで真っ白な色彩にて塗り固められており、田中は現実における病院を連想していた。
ちら、と彼ははめ込まれた窓を窺った。
広がる雲海を突き破るようにして立つ塔が見えた。
如何にしてこれほどの建築物を造ったのかまるで想像できなかった。
とはいえ所詮はここは虚構の世界なのだと、どこか醒めたような心地でも思ってもいた。
「“教会”は一応女神を奉ってはいるし、権威も王朝から引き継ごうとしているが、どちらも後付けだ。
曲がりにも加入するからには色々聞かされもするだろうが、真面目に聞くものじゃないよ、ロイ君。
四季姫万歳、エル・エリオスタ様万歳と言っておけばいい」
歩きながら、カーバンクルはつらつらと注意事項のようなことを語ってくれる。
この塔に至るまでで感じていたことだが、彼女はやはり語りたがりのようだった。
一か月ほど前、会ったときも教師の真似事なんぞをしていたことを、田中は思い出していた。
あの“雨の街”での戦い、聖女アマネとの戦いを経て、田中はカーバンクルと共に旅をしていた。
目的は一つ、異端審問官となり、この世界における聖女を討ち滅ぼすためだった。
「……ああ、しかし私も久々だな。こちらに戻ってくるのは」
カーバンクルが首を回している。
その様を、“教会”の人間たちがすれ違うたびに、一瞬だけ視線を向け、そして何も言わずに去っていく。
彼らはみな真っ黒なカソックを身にまとっており、この白い塔の中をせわしなく行きかっていた。
田中は己の袖に触れた。
自分もまた“教会”のカソックを身にまとっている。
この塔にたどり着いてから新調させられたものであり、カーバンクルと同じく灰色の色彩となっている。
そして懐にはあの剣の紋章が刻まれた仮面があり、人を傷つけるための刃も携えていた。
異端審問官としての装備は、すでに取り揃えていた。
「なんだ緊張でもしてるの?」
不意にカーバンクルはこちらの顔を覗き込み、そんなことを聞いてきた。
「別に、そんなことはないさ」
平坦な口調で田中はそう返した。
今の彼にとって、興味の対象はこの塔の中にはなかった。
「ふうん、まあ、いいが……」
その返しに何を思ったのか、カーバンクルは少しだけ言葉尻を濁して、
「別に緊張はしなくてもいいが、警戒はした方がいいかもしれないね。
特にケツの方の番号の奴には。なんたって、君は──」
と、そこで田中の身体は動いていた。
反射的なものだった。そう、迸る殺気に対応するために、彼は振り返ると同時に鞘より剣を抜こうとした。
「……匂いがする」
だがそれは叶わなかった。
振り返った先にいたその女に、田中は喉元に短刀を突き付けられる形となっていた。
灰色のカソックを身にまとう彼女は“教会”の一員であるはずだった。
「私の知っている……匂いが……」
しかし彼女は当然のように田中に刃を向けながら、ずい、と顔を近づけ、何故かこちらの身体を嗅いできた。
そして田中は奇妙な想いをかき立てられていた。
常に胸に渦巻いている殺意ではない。
このぼさぼさ髪の、ぼんやりとした喋り方の女に対して、殺意とは全く別の感情を覚えていたのだ。
「でも、違う」
その感情がどこかから来るのかを確かめるより早く、女はそう告げ、こちらから離れていく。
「似ているけど、違う。この人、偽物の……」
彼女はぼそぼそと喋りだす。
その所作は、もはや田中から興味を喪ったでもあった。
「9《ノイン》」
カーバンクルがそう彼女の名を呼んだ。
ドイツ語の数字。それだけで響きから田中は彼女の立場を推し量ることができた。
「来ていたのか、とりあえず10《ツェーン》に繋いでくれ。
諸々相談したいんだが、一体にどこに行って」
「私なら、ここにいますが」
カーバンクルの言葉を遮るように、鋭い声が響き渡った。
「貴方の方こそ、帰投していたのでしたら、もっと早い段階で連絡をするべきでしょう、1《アイン》」
ゆっくりと彼女はやってきた。
カーバンクルよりもずっと背丈の低い彼女は、ともすれば少女にも見える外見をしていた。
陶器のような白い肌をしており、その整った目鼻、薄い唇は怜悧な知性を感じさせる。
後ろで一つに結われている長髪の色彩はあわい桜色で、しかしその柔らかな色彩とは相反するように、どこか近寄りがたい雰囲気があった。
10《ツェーン》。
誰かが名を呼ばずとも、田中は彼女の名がわかった。
もはや疑う余地はなかった。自分は彼女のことを“識って”いるのだということを、明確に田中は感じ取っていた。
9《ノイン》と呼ばれた女と同等か、あるいはそれ以上の想いを、桜色の彼女に対して抱いているのだ。
──懐かしさと、親近感。
初めて会ったはずの彼女らに対して、田中はどうしようもなくそんな感情を抱いているのだ。
「ああ、それが報告にあった」
……しかし、当の10《ツェーン》が田中へと向けた視線は、ひどく冷たいものだった。
「新しい審問官でしょうか。
気まぐれで入れたという──死んだ8《アハト》の代わりだと」
その鋭い眼光には、明確な敵意さえ滲んでいるように思えた。
しかしその桜色の瞳を、田中はどうしようもなく懐かしく思っているのだった。




