32_グレートマーザー
太母を名乗るそれと相対し、田中は二の句が継げないでいた。
だってあまりにもそれは──意外な登場だったから。
田中が知る現実のものは、この虚構の世界において、弥生と同じ顔をした聖女たちしかいなかった。
それも当然だと思っていた。この世界は、この物語は、田中と弥生しか知るもののない筈だったのだから。
「おかしな顔をしているのね。
君と彼女だけの世界に、私がいることがそんなに不思議かしら」
ユウカは田中の思考を読み取ったかのように、そんなことを言ってのけた。
「でもね、考えてもみてみなさい。私は一体どんな存在?
考えればわかるはずよ。弥生が産み出したものが、何故私に回帰するのか」
「意味がわからない」
「あらそう? じゃあ、察しの悪い田中君のために、色々と種明かしをしてあげる」
彼女はニッコリと笑って、田中とアマネを見下ろながら、語り始めた。
「この世界は弥生……貴方の想い人が創り出した虚構の世界。
あの娘は自分を置いていった現実になんの価値も見出していなかった。
だからこの世界だけを見ていた──その結果なのかしらね? こんな層を掘り当てたんだから」
物質層と想念層の狭間にある場所。
そう彼女は口にしていた。その意味を田中は理解することはできない。
だが弥生がこの場所に、何らかの形で接続してしまったということなのか。
「貴方の好きな弥生はね……そこで“転生”することを選んだの」
「“転生”……?」
「そう、貴方もやったでしょう? この世界にいるものの身体に、その存在の言語を上書きする行為」
あの“さかしまの城”で田中は一度死に、そして8《アハト》と混ざり合う形で再びこの地に立った。
8《アハト》の力、思考、立場を引き継ぎ、それに苦しみながら、田中はここまでやってきた。
それを──弥生も行ったというのか。
「だけどね、弥生のそれは、田中君がやったそれとはまた違う形。
より面倒くさいやり方だったわ。全くどうしてこうひねくれちゃったのかしら」
優しく、あやすような口調で母を名乗る彼女は語り続ける。
「弥生は、自分を七つの仮面にわける形で“転生”を行ったの。
よっぽど今の自分が厭だったのかしらね。わざわざそんなことをしてまで、自分を引き裂くなんて。
そうして弥生は現実から姿を消し、代わりにこの虚構の世界に降り立った」
思わず田中はアマネを見ていた。
彼女は会話の意味がわからないのか、ふるふると弱々しく首を振った。
だが田中はわかってしまった。
弥生がこの世界に対して、一体何を行ったのか。
「そう──そうして弥生が“転生”して産まれたのが聖女。
あの娘の自己否定の結果として、この荒れ果てた世界に奇蹟が降り立ったのだから、何が起こるのかわからないものね」
エリスとアマネ。
ここまでに出会った二人の聖女は、ある意味で弥生であり、しかし弥生でなかった。
「だからね、田中君。貴方はどれだけこの世界を探し回っても、弥生には出会えないの。
いるのは弥生の欠片を宿した、狂った聖女だけよ。
中には弥生に限りなく近い娘もいるかもしれないけど、でもやっぱりそれは貴方の好きだったあの娘じゃない、混ざりもの」
混ざりもの。
その単語を聞いた瞬間、反射的に自分自身の身に触れてしまう。
それはまさしく、田中自身が直面していた問題だったからだ。
「ふふふ……でも、いいことを教えてあげる」
そこでユウカは柔らかに、しかしどこまでも邪悪な余裕を滲ませて、笑ってみせた。
その視線にさらされたアマネはひどく怯えた様子で、田中の手を握りしめた。
「もし仮にあなたが、散らばった弥生の言語を集めることができたのなら。
割れてしまった欠片を揃えて、つぎはぎすることができたのなら──もしかすると会えるかもね」
──貴方の好きだった、あの娘に。
それはこの世界に降り立ち初めて見えた希望ではあったが、同時にどこまでも堕ちることを誘う呪いの言葉でもあった。
田中はアマネと指をからませながら、己が行うべきことが何であるのかわからず、もう一方の手で剣を強く握りしめていた。




