31_アマネ
斬り裂かれたアマネは、どさり、と地に倒れ伏す。
見下ろしながら、カーバンクルは隣に立つ仮面の魔術師を見た。
「タイボ、とか言ったっけ。申し訳ない、君の仲間は討伐対象だ」
「“教会”ですか……血なまぐさい連中が、来たものです」
タイボはあくまで鷹揚とした態度だった。
目の前で自らが仕えていた聖女が斬られたというのに、一切取り乱す素振りは見せない。
「君だろう? この街をデザインしてみせたのは」
「いかにも。そうですが」
「よくもまぁ考えたものだ。雨が降り注ぐ場所を見つけて、そこに街を創って人を集めて」
「ふふふ……それだけじゃありませんでしたよ。
本当に、気の遠くなるような仕込みを色々とやっていたものです」
どこか愉しそうにタイボは語る。
そんな彼女に対し、カーバンクルは息を吐いて、
「じゃあその遠大な計画も、私が邪魔をしちゃった訳だ」
「ええまぁ、邪魔はされましたがね」
タイボは、からから、と変わらず小気味の良い音を立てながら、
「ただ別に、まだ私の聖女様は無傷でございますから」
その言葉に、はっ、としたカーバンクルは即座に跳躍してみせた。
言葉通り、祈祷場の中心に再び聖女アマネは立ち上がっていた。
傷はふさがり、赤い血は既に流されている。
「思ったよりも治癒能力は高いな、こりゃ」
そうぼやいたカーバンクルはそこで、頭をかく。
同時に聖女に敵意を込めた視線を向けていた。確実にこの場で狩る方法を考えているようだった。
「何をやっているんですかっ!」
そこにやってきたのは、キョウだった。
彼女は叫びあげながら偽剣『ネヘリス』と共に猛然とカーバンクルへと迫っていった。
「突然やってきて、何で聖女様を殺そうとするんですっ!」
「不殺剣士か。君、聖女の味方なのか?」
「関係ありません! とにかく殺人はダメって言っているんです」
「そういえば、君、私のこと何にも知らないんだったな」
二人は言葉を交わしながら連続で跳躍。
雨の中、キョウの『ネヘリス』とカーバンクルの『リヘリオン』が交錯する。
「チィ、面倒なことになってきた。
──ロイ君!」
キョウと打ち合う最中、カーバンクルがロイへと語りかけてきた。
「私がこの不殺剣士を抑えるから、聖女様をどうにか狩ってくれ」
「俺は……!」
奇蹟を拒絶はしたが、しかし別にまだ異端審問官に肩入れする気はない。
「わかった。殺す殺さないは勝手だが──あの聖女を一度雨から遠ざけないと何も聞くことはできないぜ」
続く言葉に田中は思わず剣を握りしめていた。
先ほど手に入れた“田中君へ”と書かれた手紙において、明らかにアマネは弥生のことを知っていた。
しかし以前、雨の中でアマネに弥生について尋ねたが、一切会話にならなかった。
これが一体、何を意味していたのか。
ちら、と田中はあたりを窺う。
「隙あり!」「うおっ速い」などと剣をぶつけ合っているキョウとカーバンクルの余所で、フュリアは少年のゲオルクを連れてどこかに行こうとしているのが見えた。
彼女にしてみれば、もはやあとのことはどうでもいいのだろう。
タイボとアマネは未だ余裕ありげに、祈祷場の中心におり、やはり雨はやんでいない。
「くそっ」
田中は一瞬の逡巡の末、アマネの下に跳躍をした。
偽剣をもっていないアマネはその動きに対応できないようだった。
あの斥力を発生させるより速く、田中はアマネの身体を──傷つけないように──抱きとめ、再び跳躍をした。
共に祈祷場から回廊へと、雨の届かない屋根の下へと彼女を連れ、そのまま彼女を押し倒す。
「答えろ」
喉元に剣を突き付けながら、田中は詰問する。
「本当に弥生のことを知らないのか? 東京、現実のことも!」
激しい語気で問いかける田中を、一切取り乱さず、アマネはその碧色の瞳で見上げていた。
「言ったでしょう? 私は知りません、と」
「嘘を吐け! 知っているはずなんだ、お前は」
そう強く言い放つが、しかしアマネは表情を変えない。
そのことに苛立ちを感じるが、同時にあの鞄にあった無数の手紙を思い出す。
何故今のアマネと、あの手紙の主がこうも一致しないのか。
「思い出せ! 俺や弥生、学校、それに……」
田中は言葉を探しながら、言った。
「お母様って、ずっと手紙を出していたじゃないかっ」
その瞬間、初めてアマネの表情に変化が訪れた。
僅かに目を見開き、指先が震えている。
そして雨から離されたことで、最初に会った時のように彼女の身体や衣装が急速に乾いていった。
「おかあ──さま?」
「ああ、そうだよ。ずっと手紙を出そうしていただろう?
花や川が美しい、あのふるさとにいる母に向けて」
そう告げると、アマネは「あ、あ」と小さな声を漏らしていた。
何かに気づいてしまったのか、愕然とした表情を浮かべ、彼女はその手で顔を抑えた。
「……あ、あ。雨が遠ざかっていく。私から、聖女アマネから、私が浮かび上がってくる」
苦しみうめくかのように彼女は声を絞り出していた。
強烈な渇きをもって、彼女の長い髪は元の柔らかさを取り戻そうとしているのがわかった。
その姿に田中は確信していた。
この街に来る前、旅をしていた頃のアマネと今の彼女は何故こうも違うのか。
別人のような変容を遂げたその理由は──
「雨、なのか」
田中は思わず振り返り、延々と続く雨をにらみつけた。
アマネの奇蹟は“理想”。それぞれが心に抱える傷を洗い流し、無垢なるものとする力。
それをアマネは雨をもってして広めていた。
そしてその雨を最も浴びていたのは一体誰だったのか。
「あ、お母さま、わ、私」
苦しみもだえるアマネと、先のゲオルクの姿が重なる。
それが何よりの証左のように思えた。
他でもないアマネ自身が──“理想”の奇蹟によって変容してしまっているのだと。
田中がその事実に震えているうちに、アマネの瞳に焦点が戻ってくる。
そして彼女は、一言こう呼んだ。
「田中君?」
と。
そう呼びかけられたとき、田中は久しぶりに会いたかった人に会えたような、懐かしさに似た感情を抱いていた。
思わず口から名がこぼれる。弥生、と。
ようやく会えた。こんな虚構の世界に行ってしまったお前と、ついに巡り合えた。
そんな想いが彼の中を駆け巡っていった。
「ふふふ……再会、というところでしょうね」
からから、と音がして田中は振り返った。
アマネを守るように抱き留めながら、ボロボロの『イヴィーネイル』を現れた影へと向けた。
タイボ。
竜の仮面を被るこの呪術師こそが、中心にアマネを据える形でこの雨の街を創り上げたのだ。
「お前が、アマネをこうしたのか」
そう叫びをあげる。アマネは依然として、ぼう、としたままだった。
長い長い眠りから醒めた。そのように思わせる姿だった。
「人聞きが悪いことを言いますね。別に私が彼女をだまくらかしたとか、そういう訳じゃないんですよ」
タイボは、やれやれ、とでもいうように肩をすくめた。
「あの日、彼女は自らの力が原因で起きた争いに巻き込まれ、仲間を喪ったのです。
アミナ、アレックス、シュトラウト……どれも良い方だったそうですよ」
かつての仲間の名が出るたび、ぴくり、とアマネの手が震えるのがわかった。
手紙に何度も名前が出てきた人物だちだった。
そして今この街には影も形もない者たち。理由は単純で、もうこの世にはいないからだという。
「仲間を喪った悲しみにつけこんだ、そういうことか」
「いいえ、違います。一人生き残ったアマネは、また別のことを考えていたのです。
そう……仲間の命を奪った、人間たちヘの憎しみを」
タイボは朗々と語った。
「聖女でありながら! そこの女は人間を憎んでしまったのです。
人を、この世界を救うべくして、奇蹟を授かった身でありながら!
同時にその感情を何よりも恥じた! 人を憎む自分を許せなかった。
そのさなかに、私は彼女に出会いました」
「そしてその先が、この街だというのか」
「いかにも!」
田中は会話のさなかアマネの手を握りしめていた。
震える手は小さく、冷たかった。ずっと雨に濡れていて、暖まることなどなかったのだろう。
人を憎悪する自分を憎み、彼女は自らの奇蹟で傷を洗い流した。
しかし雨が遠ざかった今、彼女は明らかに自らの“理想”に怯えていた。
「すべて彼女の臨んだことだというのに」
「母親ことさえ忘れさせることが、正しいことだというのか」
田中はタイボに対し毅然と声を張り上げる。
そんな彼に対し、アマネは絡ませた手をしっかりと握り返してきた。何かに焦がれるように強く田中の手を取ってくれる。
「感動的ですねえ……でも、本当にいいのですか?
そこの聖女は──田中君の大好きな弥生じゃないのよ」
タイボの口から出たその名に、田中は「何?」と思わず声を漏らしていた。
「まったく“さかしまの城”も“雨の街”もこんなに近くに創ってあげたんだから。
もう少し手際よく色々こなしてくれると思ったのにね。
私の知る田中君は、もっと要領がよかったと思うんだけどな」
気が付けばタイボは全く違う口調になっていた。
だがそれ以上に田中が恐れたのは、その声に聞き覚えがあることに気づいたからだった。
「それにしても母親さえ忘れさせる、か。
面白い糾弾の仕方ね……私だって、一応、その娘の母親と言えなくもないのよ?」
その言葉とともに、タイボはその竜の仮面を脱ぎ捨てていた。
そして、その向こうから現れたのは──
「どうもお久しぶり、田中君。
ここでは、そうね、ユウカ・グレートマザーとでも呼ぶといいんじゃないかしら?」
……幼い時分からその顔は何度も見てきた。
弥生の母、桜見夕香がそこに立っていた。




