231_8~舞い散る桜のなかで~
「……わたし、10《ツェーン》ちゃんが死んだら悲しい」
9《ノイン》は重ねるように告げた。また、不思議な表情を浮かべたのち、
「うまく言えない。何だろう?
もっといろいろ考えていたのに。
これが、お芝居だったら、たとえ台本なしでも、アドリブでなんとかしちゃうのに」
「いや……いいさ。
ここは舞台の上じゃない。
だからお前も、そして私も、そうそううまくはいかない。
そういう──ものだ」
そうして10《ツェーン》はゆっくりと立ち上がった。
すでに『リフィエシオン』は鞘へと格納され、消え失せていた。
「……ロイ」
そこで──10《ツェーン》はその名を呼んだ。
ロイはそこで目を見開いた。
心臓がわしづかみにされたような緊張が走り、思わず唾をのみ込んだ。
「……ふふ」
だが、対称的に10《ツェーン》の方はひどく落ち着いた様子で、笑ってみせた。
闘っていた時の苛烈さはすでに引いていた。
代わりに浮かんでいるのは、穏やかで、そして晴れ晴れとした笑みだった。
それは少しだけ──寂しそうな。
「ふふっ。あまりにも、あまりにも身勝手な言葉で申し訳ないが、言わせてもらおう。
──すまなかったな、と」
そして彼女は、ロイをすっと見据え、そんなことを言うのだった。
「……何?」
「お前は──やはり、アイツとは違う人間だ。
奴はあの場で、私を殺すことを躊躇ったりはしないよ。
隙を見せればすぐさま私の首を落としていただろう」
だから、と彼女は言う。
その口調はすでにロイの知る、異端審問官としての彼女に戻っていた。
「私の勝手な未練に──巻き込んですまなかった」
「…………」
「お前はやはり──アイツとは違うから」
そう確かめるように重ねて言った。
彼女はゆっくりと歩き出し、無言で9《ノイン》がその隣に並ぶ。
その手は自然と繋がっていた。
倒れそうになるどちらかを、どちらかが支えるようににして。
舞い散る花のなかで、ロイは二人の背中をじっと見つめていた。
きっと──かつてはそこに、三人目の影があったはずだ。
だがそれはもう消えてしまったものであり──二度とは戻らないものだ。
「……ロイ君」
残されたキョウが声をかけてきた。
どこかこちらを心配する響きを持ったその声に、ロイは振り返ることなく、
「手がさ、止まったんだ」
そう言った。
「アイツ──10《ツェーン》と闘ってた時、最後のトドメを刺そうとした時、手が止まった」
「……それはロイ君が」
「違うよ。
俺は──拙者は昔から、アイツだけは殺したくなかったんだ」
薄紅色の髪の少女が、何時か人斬魔に殺されることを望んでいた。
だが──人斬魔の方は実のところ、その結末だけは忌避していた。
──だから、もう嘘は吐かなくていいわ。この私を守りたいと、助けたいなんて……
──違う。
鏡に映る光景に、彼は思わずそう口にしていた。
いや、その言葉に間違いはなかった。
しかし、それがすべてである訳ではなかった。
かつて“たまご”で垣間見た過去の記憶がよみがえる。
ずっとずっと昔から、二人は噛み合っていなかったのだろう。
互いのことを深く思い合っていたからこそ、伝わらない想いであった。
「……でもそんなこと、言わない方がいいんだ。
そうすればアイツは……もう、全部忘れて、また生きていける」
その言葉と共に、彼は去っていく9《ノイン》と10《ツェーン》の背中を見ていた。
──■■■
舞い散る花のなか、彼はとある名前を呼びたくてたまらなくなっていたが、しかし結局何も言いはしなかった。
そうしているうちに二人の背中は消え去っていた。
──きっと二度ともう会わないだろう。
そんな予感が、胸のなかに到来し──彼は自然と目元を隠していた。
「────」
そんな彼を見て──キョウは何も言わず手を握ってくれた。
血に汚れたロイの手に、彼女の指先が絡む。
その暖かさにこの瞬間だけは頼っていたいと、彼は思ったのだった。
◇
10《ツェーン》、9《ノイン》、8《アハト》。
彼らのほんとうの名前をここで記すことが、わたしには当然できる。
だが、それはわたしにさえ許されないのだろうな、と思う。
それはロイ君が、最後まで呼ぶのを我慢した名前でもあるのだから。
たとえ彼が名を呼んでしまったとしても、物語としては成立しただろう。
それが許されない立場にいたわけではなかった。
だけど、それでもロイ君はその名を口にしなかった。
その選択をわたしは尊重してあげたい。
いや──それも傲慢なのかな?
教えてほしいよ。
わたし自身、もう判断がつかなくなっているから。
もう、すぐそこの“終わり”でわたしは主人公である君を待っているから。
◇




