229_舞い散る桜のなかで⑤
◇
四季姫はその時、死を覚悟していた。
10《ツェーン》と11《エルフ》の襲撃により、楽園には瓦礫が転がり、地面が揺れる勢いで異端審問官たちは殺し合っていた。
その戦闘の余波からは姿を隠している。
とはいえ跳躍により縦横無尽に戦場を駆け巡る偽剣戦において、非戦闘員にとって安全な場所がないことをよく知っている。
そして何より“教会”の本体に気づかれてしまえば、その時にもう、この作戦は終わる。
当初の予定であった暗殺はもう失敗に終わったと考えてもいいだろう。
いや、それよりも前に──第七聖女がこの音に気がついていないはずもない。
あの女のことを四季姫はよく知っている。
自らの庭を汚した者を許すような穏やかなモノでは、あれは決してないのだ。
「……ふふふ、まぁ、やはりな」
そんな事態を前に、四季姫はむしろ穏やかな様子で呟いた。
ぎゅっと衣装の裾を握る。
見た目こそ豪奢に飾られているが、その衣服は何の言語も刻まれていない。
何の奇蹟も起こせず、力も持たない。
只人であるこの身。結局何もできないまま、終わるのは理不尽ではなく、寧ろ自然なことのように思えた。
十数年前、“教会”によって拾われた彼女が、何故姫として祭り上げられたのか、彼女自身よくわかっていない。
彼女自身は“夏”に縁を持つ没落貴族の娘であったが、今となってはそのことにどれだけの意味があるか。
結局誰でもよかったのだろう。
四季姫という名を冠することのできる、聖女でない誰かであるのならば。
そういう意味で一応、王朝時代の名を持つ彼女は適任であり、たまたま目に留まった、という訳だ。
「所詮、運がよかっただけ。
何もない私が、分不相応に策など弄するから、こうなるのだ」
異端審問官たちの闘いを想う。
彼らはすでに四季姫など眼中にはないだろう。
そもそも“教会”さえもどうでもいい連中なのだ。
そういう鼻つまみ者ぐらいしか、自分の力では動かすことができなかった。
その時点で、血統を持ち、ほんものの奇蹟を身に宿す後の聖女に勝ち目などなかったか。
自虐的に、そんなことを考えた。
そして同時に、一応は自分に協力してくれた8《アハト》らを見下していた自分に気づき、彼女は自分のことがより嫌いになっていた。
「何もできぬもの。四季姫という名前しか持たぬ者。
それでいながら嫉妬し、無様にあがく。
所詮……所詮は、そんなものか。この私は」
すべてを諦めて、冷静な口調で言ったつもりだったが、喉から絞り出された声は、震えていた。
目元が熱くなっている気がする。思った以上に、自分は怖いのだ。
これから始まる新たな時代に、自分の居場所がないことが。
「……いっそ、もう、自刃してしまうか。
ふふふ、せめて自ら舞台を去ってしまうか。
無様な役目を演じるくらいならば──」
四季姫がそう呟いた、その時だった。
「──ダメですよ」
翼が舞っていた。
え、と四季姫は声を漏らす。
「誰だか知らないそこの人!
何も知りませんが、とりあえずヤケになって死のうと思っているのなら、私が止めます」
聞いたことのない、知らない声であった。
見上げた先にいたのは──
「私は、何者でもないキョウ。
とりあえず、落ち着いてくださいね」
そう言って彼女は手を差し伸べてきた。
その顔に浮かべるのは、穏やかな、けれども強さを滲ませた、微笑みだった。
◇
項垂れる10《ツェーン》の前に、ロイの手は止まっていた。
ひとたび『エリス』を突き立てれば、彼女の命は終わるだろう。
そして──それをきっと彼女は求めている。
そのためにわざわざ、こんな場所までやってきた。
ロイ、否、8《アハト》に殺される。そんな結末を迎えるために。
「────」
だがその時、ロイは剣を止めていた。
時間にしてみれば、一瞬のことかもしれなかった。
しかし、明確に──その腕は剣を振るうことを拒否していた。
人斬魔として湧き上がる殺意は、別の大きな力によってねじ伏せられていた。
その理由は、きっと──
「……そのあたりにして、おいたら?」
不意に──声がした。
「私は、もう、いいと思う。
つらいのなら、ここから降りてしまってもいいと思う。
大丈夫。わたしも一緒に行くから」
その声には、傷ついた友を慮る優しさが含まれていた。
どういう訳か、ロイはその声の主が振り返らずともわかった。
「……ねぇ、だから、もうやめよう」
声の主はロイを無視し、10《ツェーン》に寄り添う形で、話しかけた。
「……わたしは、こんな結末、厭だよ」
そう言って10《ツェーン》の手を握るのは、聖女戦線でホワイトと呼ばれていた女性であった。
だがロイはそちらの名の方は知らない。
だから彼は、彼の知っている名を呼ぶことにした。
「9《ノイン》、か」
異端審問官、9《ノイン》。
彼女こそ、10《ツェーン》と、そしてかつての8《アハト》の、唯一無二の友なのだった。




