23_聖女の雨
殺していい。剣を思う存分振るっていい。今なら何をやってもいいんだ。
その想いを果てに祈祷場を田中は笑いながら跳んでいた。
今の彼に恐れるものはなかった。
「何やっているんですかっ」
だがしかし、制する声がした。
田中は舌打ちし、反射的に跳躍。現れた新たな影と交錯した。
「どけっ! 邪魔だ。俺はこいつらを皆殺しにしていいんだ」
「何抜かしているんですかっ! ロイ君は」
現れたキョウに対して迷わず田中は剣を振る。
そしてそれを予期していたキョウが『ネヘリス』をもってして、田中の『イヴィーネイル』を弾き飛ばした。
「お前こそっ、この光景を見ろ!
これで奴らを許すなというのかっ! 殺していいんだよ、こんな奴らは」
目を見開き田中はタガの外れた声量で叫びをあげる。
祈祷場にいた敵は既に半分以上が倒れ伏し、子供たちの死体と絡み合い地面が見えないほどであった。
異様な光景の中、それでもどこぞより湧いてきた増援含めて十人近い偽剣使いがひしめいている。
「生きている者と、死んだ者、私がどちらを優先すると思いますか?」
「何?」
「私は、死体より生きてる人の方が好きなんです」
理解できない。田中がそう声を上げようとしたとき、四方から別の殺気を感じ取った。
彼らの何人かが田中とキョウに襲い掛かってくる。
刃を交わしていた二人はともにいらだったように跳躍。
田中はやってきた敵を切り裂き真っ赤な血をまき散らした。
一方のキョウは剣を振るうも、ごん、と鈍い音を響かせるのみで、血が流れることはなかった。
「気狂い剣士も合流かい」
そこに未だしぶとく生き延びてきたフュリアが前に出てきた。
田中と視線を合わせたフュリアは跳躍し、目の前にやってくる。
現れる小柄な身体。胸の奥に昂ぶりを覚えながらも田中は『イヴィーネイル』を放つ。
「また速くなって……!」
フュリアが驚いたような声を上げる。
田中自身、それは感じていたことだった。彼の剣は確実に速くなっている。
迷いがなくなり、視界がクリアになっていく。それはそれだけ8《アハト》の身に意識が馴染んできたということか。
それ故に田中はフュリアの一歩先を行き、その凶刃は今度こそフュリアを捉えようとして――
「止めますよっ!」
それを阻んだのはキョウだった。
キョウは、フュリアの後方へと跳躍し、思いっきり『ネヘリス』を叩き込んでいた。
フュリアの態勢が崩れ、結果として田中の『イヴィーネイル』の刃は通りきらない。
血は一滴も流れず、フュリアの身体が吹き飛ぶにとどまった。
「……子供?」
戦闘服が裂かれた先に見えた顔は、まだ年端も行かない少女の姿だだった。
フュリアは、田中やキョウよりもさらに幼い、小さな子供だった。
思えばほかの偽剣使いたちも身体が小さいものが多かった。もしかするとこの敵は――すべて幼い子供なのか。
子供が、同じ子供を殺していたのが、この祈祷場での地獄絵図だというのか。
そのことを意識すると、田中は何故か手が止まっていた。
「この『ネヘリス』は不殺剣。人を傷つけはする。けれども決して殺しはしない一振りです。
これで斬られれば当然死ぬほど痛いでしょうが、血は出ませんし、死にもしません」
だがキョウは何ら取り乱すことなく『ネヘリス』を構えた。
雨に濡れた細い刀身が、血まみれの戦場の中心で、燐光を放っている。
「これですべて止めて見せます」
フュリアは黒い髪の向こうから、屈辱に歪んだ視線をキョウに向けていた。
他の敵も撤退こそしていないが、動きを止めていた。
田中とキョウに向かったところで倒せる見込みはないことに気づいたのか、それとも別の理由か。
降りしきる雨、子供の死体が積み上がる中、戦いは一瞬静止した。
「──おやめください」
そこに、声が響き渡った。
長く、長く伸びた長髪が舞う。
この世のものでないような碧色の瞳をした聖女は、ゆったりとした足取りでやってきた。
それを見たフュリアが「ターゲットか」と小さく漏らし、苦悶の表情を浮かべた。
「やめろっ、こっちに来るんじゃない。死にたいのか」
田中が声を挙げるが、しかしアマネは首を振って、
「田中様もキョウ様も下がっていただいてかまいませんよ」
彼女は転がる無数の死体を前に一切の表情を動かさなかった。
ただ淡々と語り、衣装に血がつくことも厭わずに血濡れの祈祷場へと舞い戻ってきた。
それを見た敵の一人が跳躍。
アマネに襲い掛かろうとするが──彼女を取り巻く斥力によって弾かれた。
その光景に田中は既視感があった。こちらに召喚された直後、エリスがカーバンクルの刃を弾いたのと同じ現象だった。
「アマネ様、お気をつけて」
その隣で控えるタイボが言った。
その手にはその体躯以上の長さの棒が握られている。
一見して杖のようだったが、よくみれば柄があり、剣身があるそれは、剣なのだった。
「祈りのさなかは私が守ります故」
「はい、よろしくお願いいたします……タイボ」
血と雨でぐちゃぐちゃになった場所でアマネは膝をつき、その両手を挙げた。
延々と降る大粒の雨をその身ですべて受け止めようとするかのような──奇妙な祈りであった。
聖女がそうして祈りを捧げたとき、天はそれに応えて奇蹟をもたらした。
ざざざと雨の音がする。地面に落ちた雫が飛び散って、足元を濡らした。
その雨粒は、すべてが奇怪な光を灯している。
飛び散った雫は淡く碧色に輝きを放ち、まるで光となって拡散していく。
血と死体。苦痛と虚無。それらをすべて洗い流すがごとく、雨は続いているのだった。
……そして、田中は異様な奇蹟を目にした。
◇
「聖女様がやってきたね。どうやら奇蹟でも起こすようだ」
ゲオルクへ刃を向けながら、カーバンクルは語る。
その視線の先では、アマネが祈りを捧げることで奇蹟が起ころうとしていた。
奇蹟、それは聖女が受信した神話時代時代の言語の不完全な発露である。
「しかし“理想”の第五聖女でよかったよ。これが第三だったら、私じゃ手に負えないし6《ゼクス》か10《ツェーン》あたりの出番だった」
「はっ、そうかいそいつは良かった」
「いや、これがそうでもないんだ。私の知る第五聖女は、こんな風な街を形成する奴じゃなかった筈なんだ。
そういう意味で変な街だよ、ここは」
カーバンクルは大きく息を吐く。
だが決して彼女の殺気が緩んでいない。ゲオルクが少しでも妙な動きを見せれば、途端に剣が振るわれるだろう。
「君も、気づいているんだろう? 父上」
「何をだ」
「私はね、この街に来た時、さっそく君たちの起こした殺人現場に居合わせてね。
そこで何を見たと思う?」
雨の中で転がる子供の身体。
一突きされた身体からは、一目で致命傷とわかるおびたたしいほどの血液が流れ出ていた。
ゲオルクら一派の手によるものらしいとわかったが、問題はそこではなかった。
「なんか違和感があってね、その身体を少し調べていたら──その子供、生き返ったんだよ」
カーバンクルは言った。
「傷一つなくね。流れていた血は雨によって洗いながらされ、服すらも元通りになって子供はむくりと起き上がった。
そして私の視線に気が付くと『どうも、ありがとう』なんて訳のわからないことを私に言った」
そしてそんな現象が、この街に滞在する中でカーバンクルは何度か遭遇した。
元より異端審問官として諜報活動には慣れている。
探知魔術の使い方も心得えているし、殺人現場へと駆け付けること自体は可能だった。
だがその度に、死体は再び起き上がってみせた。
殺された子供は、何の痛みもないかのように生き返るのである……
◇
そして田中は、まさしくその奇蹟を前にしていた。
目の前に積まれた無残な子供の死体。
肌を裂かれ、目を抉られ、口元から血を吐き出していたハズの彼らの傷が──みるみるうちに消えていく。
碧の光灯る雨は激しく振り続けた。
血をすべて洗い流すがごとく奇蹟の雨が散る。
その中心にいるのは他でもない聖女、アマネなのだった。
彼女は祈りを捧げる。結果として、すべての傷が洗われ、修復されていく。
アマネはその奇蹟の力を、雨を介することで表現するのだった。
「いくら殺しあっても、すべてが元通りになります。
この雨が続く限り、血も、争いも、痛みも、憎悪も、すべては無意味です」
ざざざ、と雨が降り続ける。
祈祷場に飛び散っていた血はいつしか洗い流され、すべてがあるべき“理想”の姿を取り戻していた。
あと残されたのは、ただの子供たちである。
「それでも戦いますか? 皆様方」
◇
「騒ぎにならない筈さ。殺されても死なないんだから、そもそも事件にもならない」
その奇蹟の光景を尻目にカーバンクルは言う。
「はっ、知ってるさ。あの聖女の力ぐらい。聖女サマの中でもわかりやすい、治癒の奇蹟さ」
ゲオルクは乱暴に言って見せた。
何せ彼が殺人を命令していたのだから、その後に起きる現象も知らない筈がなかった。
そしてそれ故に彼は当初から作戦を変更する必要があった。
「すべては計画通りなんだよ、ここまではな」
「ほう」
「アンタらを襲えば当然こちらもただでは済まず、大量の血が流れることになる。
と、なれば聖女もあの治癒の力を使わざるを得ないだろう?」
不敵な笑いを見せたゲオルクに対し、カーバンクルはゆっくりと剣を下ろした。
無論警戒こそ解いていないが、彼女なりに何かを確信した様子だった。
「それはよかった。君はどうやらきちんと物を考えていたらしいな」
「もういいのか? 異端審問官。サシでやり合えば俺はアンタに勝てないぜ」
「いいんだよ。とりあえずは君の好きなようにやらせるさ」
「そんで横からかっさらう気かい」
「さて、ね」
カーバンクルは微笑み、次の瞬間には跳躍をしていた。
姿がなくなったのを確認するとゲオルクは大きく息を吐いた。
異端審問官の目的は聖女殺しなのは確実だ。
だからこそゲオルクら“ファミリア”の「聖女の誘拐」という目的に途中まで乗ろうという魂胆なのだろう。
それ故に奴は自分を見逃した。そうゲオルクは予想していた。
「全く“教会”の連中はお高く止まって好きになれん。
潤沢な予算と人員ってのは羨ましいね、まったく」
言いながら、ゲオルクは下部で待機している“子”たちに撤収命令を出した。
元より死なないということがわかっていただけに、“子”の損耗を考えなくてもいい。
だからこそ、これだけの人数を投入できたのである。
その中に“子”がどれほど痛み傷つくか、ということは勿論考えてなどいない。
否、ゲオルクだって把握自体はしている。したうえで優先順位を下げているのだった。
とにかくここまでは計画通り。
そう思いながら、ゲオルクは下で今もなお祈りを捧げている聖女へ視線を向けた。
異端審問官はその力に胡坐をかいているが、ここで自分を見逃したことを後悔させてやると、彼は強く思っていたのだ。
……だが実際のところ、その予想は少しだけ外れていた。
確かにカーバンクルはゲオルクの計画をある程度察していた。
だがそれを利用するというよりも、それが確実に失敗するとわかったからこそ、ゲオルクを見逃したのだった。
カーバンクルはゲオルクの致命的な読み間違いをしていることに、この時点で気づいたのだ。




