218_無血の結末
ほんとうに、ほんとうに綺麗な、澄んだ青空が見えた。
その塔は、きらめく幻想の虹さえも突き破るほど高い。
だからこそ、この世界でも貴重な、青く澄んだ空を見渡すことができるのだ。
そんな奇蹟的な場所で── 一つの時代が終わろうとしていた。
その中の“冬”の塔にて、マルガリーテ・グランウィングは降り立っていた。
びゅうびゅうと服風にたなびく髪を抑え、純白の床を踏みしめる。
“教会”が聖域と定めたこの塔に、ついに彼女は辿り着くことができたのだった。
「わたしのこと、守っていてくださいね」
隣に立つ護衛に対し、彼女はそう言って微笑んだ。
目深に帽子をかぶった“ガンマン”はこくりと頷いた。
同時の下から猫の「にゃおん」とした声が響いた。
他にも兵士たちは何人か連れてきてはいるが、あくまで最低限だ。
仮に“教会”がこちらに襲い掛かってこれば、すぐにマルガリーテたちは全滅してしまうだろう。
──とはいえ、それでいい。今回は何も闘いに来たのではないのだから。
そう思いつつ、マルガリーテはやってきた“教会”側の案内役に対して、微笑んでみせた。
「……こっち、ですけど。来れますか?」
慇懃無礼──にもなり切れていない、ふてくされたような態度で彼女はやってきた。
正規軍とはまた違う、灰色のカソック。
若草色の髪をしたその少女はマルガリーテに対し、複雑な感情を隠そうともしなかった。
そのあたり、まだ幼いと感じ、マルガリーテはむしろ余裕をもって相手に応対することができた。
「ふふふ、お久しぶりですわね。
案内、お願いできませんか? 異端審問官様。4《フィア》さま」
「……はい」
4《フィア》はこくりと頷き、塔の中へとマルガリーテたちを誘っていった。
マルガリーテと彼女は、今までも何度か会った仲であった。
一度目も、二度目も、その次も──すべて戦場だった。
だが、今回はまた違う意味を持っていた。
だからこそ、4《フィア》はどこか不満そうな雰囲気を漂わせているのだろう。
「さて──と会わせていただきましょうか。
“教会”、絶世の騎士たるエル・エリオスタ様に」
マルガリーテはそう静かに呟いた。
“教会”の中枢へと彼女はこうして赴くことになったのも、すべてはそのためだ。
そして“教会”に対して告げるのだ。
「──私共は、敗けました。
すでにわれわれに抵抗の意志はなく、これからは“教会”の創る新たな秩序に賛同させていただきます、と」
◇
言語船『リーンウィング』。
かつて聖女戦線にて、YUKINO隊に与えられた『リーンアーク』の構造を引き継いだ新造艦、ということらしいが、小型船であったあちらと違い、船の中は随分と広々としていた。
食堂では広いテーブルが置かれており、数十人規模で収容できるであろう。
だがそこは今、閑散としていた。
窓から見える青い空を視界に入れながら、キョウはテーブルの隅で一人息を吐いていた。
「……浮かない顔ね」
そんな彼女に対して、目の前に座るホワイトはそう静かに問いかけてきた。
彼女ら以外の人間は今ここにはいない。
マルガリーテは最低限の護衛だけを連れてすでに出ていってしまった。
他に残されたのは船の操舵を担当するブリッジクルーぐらいだ。
彼らは彼らで仕事があるので、当然、こんな場所には来ない。
キョウとホワイト。
二人はマルガリーテの指名でここまで連れてこられた訳だが、しかし何かしら仕事がある訳でもない。
だからこうして食堂で顔を突き合わせているのだった。
「何か、不満なの? 一応、これですべてが終わると思うんだけど」
「ああ、いえ、そういう訳ではないんです。
これで平和になるんですから──だったら、そのことに文句はないんです」
──そう。
マルガリーテがこの度“教会”にやってきたのは、聖女軍の“降伏”を告げるためである。
聖女ニケアを喪った聖女軍にはすでに“教会”へ対抗できる術はなかった。
元よりニケア一人によって支えられていたといっても過言ではなかったのだから。
だから聖女軍は“教会”へ降伏をすることを選んだ。
反“教会”勢力として、最大のものであった聖女軍が降伏すれば、この“冬”の地は完全に“教会”の一強体制となる。
無論まだまだ混沌とした情勢が続くだろうが、しかし新たな秩序構築へ向け、大きく進むだろう。
「……これが、マルガリーテさんなりの“無血”の結末だと思いますし」
もちろん、ここまで辿り着くのも、一筋縄ではいかなかった。
聖女軍の中には徹底抗戦を叫ぶ勢力もいた。ニケアを喪ったことで早々に軍から離脱した者たちもいた。
先日の人形劇場での、聖女フリーダとの闘いも、そうした流れの中にあったものだ。
だが──それでもなお、マルガリーテの一派は、“降伏”という選択をつかんでいた。
「マルガリーテさんは、この絵をずっと想像していたんでしょうね。
きっと、私に出会う、ずっと前から」
思えば、“たまご”で初めてマルガリーテと会った時、彼女は不思議な偽剣を使っていた。
『リリークィン・0』と呼んでいたあの偽剣は、聞けば元々“教会”の工房の試作騎だったという。
あの時期から、マルガリーテは“教会”と繋がりを持っていたのだろう。
そしてそれを強化しようと思っていた。
だからこそロイや4《フィア》に接触していた、ということらしい。
そういった根回しをしていたからこそ、マルガリーテたちはニケアを喪ったあと、迅速に動くことができた。
そして主導権を取り、こうして“降伏”という選択を見せた。
これでこれ以上の戦闘は起こらず、血は流れない。
新たな秩序構築を狙う“教会”としても、聖女軍と事を構えることは選ばないはずだ。
積極的に協力する動きを見せている以上、聖女軍側を不当に扱うこともしないはずだ。
「──これで、血が流れないなら、それは本当にいいことだと思います。
まだまだ大変でしょうけど、ね」
「じゃあなんで、そんな浮かない顔をしているの?」
ホワイトはそう不思議そうに尋ねる。
「……え? ああ、そうですね。ちょっと迷ってまして」
「うん? 何を?」
「ええと、ですね。その──」
そこでキョウは一瞬“教会”の塔を見て、
「ここのところ、いたんです。
この人、私がいないとヤバイ! って思ってた人が。
でもなんですかね? たぶん、もう、あの人も大丈夫かなって、そう思えてきてしまって。
だとすると──私、これから何をすればいいんだろうって」
えへへ、とそこでキョウは、気まずさを隠すように笑った。




