214_堕ちる
【26】
【救い】
【自由落下】
聖女フリーダの言葉と共に──最後の劇場は崩壊していた。
虹の色をした暴力的な光が轟音を呼ぶ。
倒れ伏す人形たちごと、未完成であった舞台は崩れていく。
「……私はこれで終わることができた。
ずっと、ずっと、“未来”という名の物語に縛られていた私の役目は、終わりを迎える」
その中心にて、聖女の声が響いてた。
その表情は、それまでぎこちなくものではなかった。
どこか肩の力が抜けた──人間的なものであった。
「私にとってこの世界は、断片のようなものだった。
過去も、未来も、イマも、順番がバラバラのまま、ただ確定したことだけが与えられる。
その流れに沿って、私は動かなくてはならなかった。
与えれた“未来”という指示を守るよう、この世界を導く必要があった」
その言葉は、果たして誰に向けて投げかけられたものなのだろうか。
その身を貫かれ、血まみれとなった彼女は、最後の光を放出している。
虹色の翅をここで使い切る。
そんな想いさえ感じさせるような──力の放出だった。
「だけど、その戦いももう終わり。
私は、私の役目を終えた。
ここであの人たちに言わなければならなかった事実を、言い終えた。
あとはただ──堕ちるだけでいいい」
力を喪い、堕ちて、その瞬間より彼女はただの肉塊になる。
“転生”することもなく、長らく持続されてきた記憶というくびきから、ついに解放されるのだ。
その事実に、とっくに擦り切れていたはずの胸に、暖かなものが溢れていた。
果たしてこれは幸福であるのか。
もしかすると、ただ、すべてを諦めただけではないか。
思えばそれを判断することはなかった。
このラストシーンだって、彼女は何度も視たことはあった。
しかし、それはただの情報・事実に過ぎなかった。
この最後を前にして、自分が何を想うだろうかというのは、実のところいざ本番がやってきて初めて考えた。
「……田中君、か」
そこで彼女は、その名を呼んだ。
その名が、聖女において何を意味するのか、はじまりの聖女であるニケアと同様、すべてを視てきた彼女もまた知っている側だった。
「君は……きっと救われる。
だって、この物語の、主人公だから
救いの手は与えられるはず。
この次、最後の聖女から与えられる物語を経て」
最後に視えた“未来”を想いながら、彼女は誰にでもなく告げる。
「……でも、その救いに──負けないでほしい。
私たちは、物語の奴隷かもしれない。
それでも……」
言い終えるよりも先に、その時が来ていた。
虹色の光が、ぷつりと途切れる感覚を経て、彼女は堕ちていった。
そしてその次の瞬間には、その身は奇蹟でもなんでもない、ただの肉塊へと変わっていた。
それで──終わりだった。
◇
聖女が見せた最後の輝き。
それによって舞台は破壊されていた。
きっとあれは、己に託されてしまった膨大な奇蹟を、すべて放出するためだろう。
その幻想の炸裂に巻き込まれたロイは、そのまま宙に放り出されていた。
瓦礫や人形、その破片たちが飛び散っている。
劇場の上層は破壊され、延々と続く階段がそこにはあった。
このままでは彼は地面に叩きつけられ、死を迎えるだろう。
ロイは思う。死んで、たまるものか、と。
それはふと胸に湧いた意地のようなものだった。
ここで死ぬことだけは認める訳にいかない。
それを認めるということは──あの人の死も認めてしまうからだ。
「死んで、たまるか」
崩れる世界の中、ロイは必死に生きる道を探した。
空中での跳躍はできない。
だが空に浮かぶ瓦礫を足場とすれば、無理やりだが跳ぶことができる。
取り回しの良い『エリス』に持ち替えつつ、彼は必死に辺りを見渡した。
何時もなら、彼一人だけ生き残るだけならば、『アマネ』を使えばよかった。
自らの死さえも否定する“理想”の奇蹟でこの場を切り抜けていただろう。
だが──それでは届かない。
自分だけ生き残っても意味がないのだ。
だからこそ、彼は必死に崩れ行く世界を跳んだ。
その視線の先には、堕ちていく紅の瞳の女がいる。
その女は、どこか茫洋な表情を浮かべていた。
崩れ行く世界をそのまま受け入れているような、そんな表情だった。
もうここで倒れるならばそれでいいと、暗に示しているかのような──ひどく見覚えのある顔だった。
きっと思っているのだろう。ここでもう死んでしまおう、と。
ずっとそのために生きてきた。
聖女への復讐と、己のルーツを知ることこそが、与えられた生きる意味だったから。
本当はここですべて、終わらせてしまいたかったのだろう。
「勝手に全部終わらせた気になって、勝手に一人で楽になるんじゃない!」
そのことは理解している。
そのうえで、その理想を否定した。
「俺の物語で、アンタの役割はまだ──何にも終わってない」
果たしてこの言葉は届くだろうか。
わからなかったが、それでもそう彼女へ言葉を口にした。
跳びながら、猛然と落下していく仲、必死に手を伸ばした
「許さないぞ!
あの時、死のうとしていた俺を勝手にここまで連れてきたくせに!
アンタだけ勝手に!」
その言葉を投げかけると、少しだけその紅い瞳が揺れた。
──「……なんでもいい」
──「俺を殺してくれ」
──そう懇願するも、カーバンクルは頭を振って、
──「私にメリットがないからダメ」
──そこで彼女はニッコリと満面の笑みを浮かべた。
……それはロイとカーバンクルが、最初に交わした会話だった。
あの時のことを、ロイは決して忘れないだろう。
何故なら、心の底から彼女を恨んだからだ。
終わらせてくれなかったこことに対し、理不尽な憎しみを抱いていた。
だからこそ、こんな──投げやりな終わり方、認める訳にはいかなかった。
「アンタ、あの時、言っただろう。死ぬのは怖いって!
だから──そんな簡単に、死んだりするんじゃない!」
その言葉と共に、ロイは手を必死に手を伸ばす。
だが届かない。
どれほど懇願しても、どれほど感情を燃やしても──
「──もしかして、今回の私、このためにここにいたんですか?」
──その瞬間、翼が舞っていた。
がっ、と二人の身体が持ち上がる。
細い、だが力強い腕で彼女は堕ちていく二人をつかんでいた。
「キョウ」
「うーん、なるほど。
聖女様が私をあの階段に張り付けておいたの、ここでロイ君たちを回収するためだったんですね」
合点がいった、とでもいうように不殺の剣士、キョウはにっこりと笑っていた。




