21_襲撃2
「知りません」
とりつく島もなく、アマネはそう答えた。
こちらを見上げる碧色の瞳。
その眼差しのなかに、一切の感情の揺れも確認できなかった。
「じゃあ、東京は?」
「……物語の中の街でしょう? 古くから伝わる」
「その物語に対して、何か特別なものを想うことはないか」
「ございません」
「物語を創ってみたいと思ったことは?」
「いいえ」
「物語の中に行きたいと思ったことは?」
「ありません」
「……すべてが厭になったとき、どこかに行ってしまいたいと思ったことは?」
「私は、聖女ですから」
「じゃあ……」
「…………」
アマネはしばらくこちらを、じい、と見つめていたが、田中に続く言葉がないと知ると無言で去っていった。
同時に和装に似た衣装は急速に乾いてく。濡れた長髪から水がするりと抜け落ちていく様は、まるでそれ自体が生き物のようだった。
その雨を弾く靴音が妙に耳に残り、田中の胸中に溜まった空虚を介して響き渡った。
田中は息を吐いた。やはりか、という想いであった。
しばらくここで生活してわかったことに、アマネはやはり弥生ではない、ということだった。
容姿こそ似ている。しかしエリスと同じく弥生のことも、現実についてのことも、何一つ感じるものはないようだった。
そして何より、弥生と最も違うのは――
「逢瀬というには少し淋しい気がするね」
背中からかけられた声に、田中ははっとして振り返った。
そこには見覚えのある顔が立っていた。
コートを羽織り、傲岸な微笑みを浮かべる彼女は「久方ぶり」と手を挙げて言った。
「カーバンクルさん。貴方、今までどこに」
「おや、私を探していてくれたのね。それは嬉しい」
そう言って愉快そうに笑う彼女はどこか上機嫌だった。
「私は別段問題なくやっているよ。そして君も問題なく潜り込めたようじゃないか。
あの不殺剣士ともうまく付き合っているようね」
カーバンクルは笑いながら、今しがたアマネが去っていった方を見た。
その視線に含められた害意を察した田中は、キッと彼女を睨みつけ、
「あの人を殺す気なのか?」
「もちろん。私は異端審問官だぜ」
当然、とでもいうように彼女は告げた。
「そして君もそうでしょう? 8《アハト》」
「違う」
田中は語気を荒げた。
カーバンクルの物言いに、胸の奥の鋭敏な部分をつつかれのような不快感が走っていた。
「俺は俺だ。彼じゃない」
「いいえ。彼は確実に、貴方の中に含まれている」
断言するように彼女は言った。
「あれはそういう術。身体という入れ物だけを引き渡すなんて物質的なことじゃない。
貴方という言語を、無理やり連結・上書きすることに等しい」
「意味がわからない」
「わかるさ。そのうち、いやというほど」
カーバンクルはそこで言葉を一度切り、
「それではまだ何も知らない田中君。貴方に幾つか助言をあげるわ。これは私がここ数日で調べていたこと」
「調べていた? 何を」
「この街のことよ。貴方にはわからないかもしれないけど、この街って明らかに変なのよ」
「俺からしたら、この世界のすべてが変だ」
物語の中の世界なのだ。現実から見れば、すべては奇妙でおかしく見える。
当然だ。そういう世界を二人で夢想していたのだから。
「その変な世界の中にあっても変ということだ。つまり貴方からしたら普通のことだったりするのかもしれないわね」
相変わらず彼女は、男性口調と女性口調の交じり合った妙な喋り方をする。
不思議な言葉使いだが、日本語ないしは物質言語とは、この世界においては外国語のようなものの筈だ。
そう考えると、多少変な言い回しになってしまうのも仕方のないことかもしれなかった。
「知ってる? この街ではここ毎日、子供が殺されている」
「え?」
「街の片隅で、宿屋で、酒場で、私は色んな死体を見たわ」
そんな話はタイボもキョウもしていなかった。
田中自身は部屋に籠って療養していた身だったので、聞く機会がなかったとも考えられるが。
「だけどね、このことは別に何もおかしくない」
カーバンクルはそう言い放った。
「今この時代、街で人が野垂れ死ぬことも無造作に殺されることも普通のこと。
問題はそんな普通のこの街に、何故秩序が構築されているのか」
ざざざざ……、と辺りの雨脚は強まっていた。
分厚い雲の下で延々と振り付ける大粒の雨は、他のすべてをかき消し、洗い流すほどの勢いだった。
そんなだから、外で話す以上、ただの会話であっても声を張らなくてはいけない。
「そしてこの街、妙に子供が多いと思わない?」
「……え?」
確かにこちらを世話してくれる者たちは、タイボを除いて全員子供であった。
「今この時代、子供が子供として生きていくのはそう簡単なことじゃないわ」
意味ありげにカーバンクルは言う。
その言葉に田中が戸惑っているのを見ながら、カーバンクルはふと気が付いたように、
「あら。もう来たの」
カーバンクルが声を漏らした。
振り返るとそこには目を引く仮面を被った呪術師、タイボがいた。
「誰かと話していたのですか?」
タイボは不思議そうに首を捻り、くる、と竜の面が傾いた。
田中ははっとして確認すると、今しがたまでいたはずのカーバンクルの姿が消えていた。
跳躍したのか。わざわざ隠れ潜むような真似をして、である。
「……タイボさん」
「はい、なんでしょうか、ロイ様」
田中は迷った末、口を開いた。
「アマネを狙っている人がいるかもしれない。場合によっては守らないといけない」
それは柔らかな言葉で隠してはこそいるが、田中にとっては明確な戦意を現していた。
カーバンクル。“聖女狩り”の異端審問官。
彼女が襲い掛かってきたとき、彼はこの街のために剣を抜くだろう。
そう明言した――まさにその時だった。
どん、と乾いた音がした。
次にびちゃびちゃと雨の中を駆け寄ってくる音。
絶え間ない雨の中、聞き覚えのある無機質な響きが耳朶を打つ。
身体が言っていた。それは偽剣を展開するときの音であると。
赤い髪が脳裏を舞う。
田中は怒りに似た感情に突き動かされ、彼は駆け出していた。
駆けながら田中はその腕に装着された腕輪に触れる。
異様な言語が刻まれたそれは偽剣に対応する鞘であった。
偽剣使いならば、とタイボに渡されたその鞘より、田中は『イヴィーネイル』をつかみ取る。
かつてカーバンクルが城でやってみせた剣の出し入れの再演だった。
つかみ取った『イヴィーネイル』は整備もロクにできず歪な刀身を晒しているが、今はこの剣以外に戦う術はない。
そう――戦うのだ。
結局あの城の時と同じ構図だ。“聖女狩り”を謡う異端審問官から、今度こそ聖女を守り抜く。
だがその決意の下に音の下に駆け付けた田中が相対したのは、予想外の者たちだった。
「待っていたよ。ブレードハッピー」
戦闘服に据えられたゴーグルがガチリと回り、こちらを煽るように剣を揺らめかせた。
その足元には無数の子供の死体がある。
彼らはこの雨の日々において、ずっと田中たちを世話してくれた子供たちだった。




