204_ネタバレ③
【21】
【決戦前】
【ロイとカーバンクル】
びゅうびゅうと風が吹いていた。
カソックをはためかせる風を浴びながら、ロイとカーバンクルは並んで最後の舞台へと望んでいた。
舞台は、今にも雨が降りそうな、曇天の中にあった。
最上層、天蓋の取り払われた舞台こそ、この劇場の中枢であった。
この舞台のクライマックスを演出するために、数百年かけて建造された舞台だ。
完成したころにはすでにこの劇場から人間は去っていた。
がらんとした無数の客席は、結局一度も使われることもなかった。
人形たちと踊り終えたのち、糸繰人形劇場における、最大の劇場において、二人は今、第三聖女と相対しようとしている。
下の階層では不殺剣士のキョウが、あの人形遣いの偽剣使いと交戦しているはずだ。
彼らが闘っている間に、すべてのケリをつけてしまいたかった。
「……覚えているかい?
“たまご”の第二聖女のこと。
あの聖女さ、私を見て変なこと言ってただろ?」
「なんだったっか。よく覚えていないな」
ミオ。
第二聖女。
不意にカーバンクルは懐かしい彼女のことを話に出した。
半世紀以上に“たまご”のなかで渡って歌い続けた、あの穏やかな聖女のことを。
「いやだからさ。
あの聖女、私を見て言ったろ?
どこかで私に会ったことないかって」
「……そんなこともあったような気がする」
それを人違いだと、カーバンクルは切り捨てたはずだ。
「あれね、まぁ、そのなんだ。半分くらい嘘なんだ、実は」
「…………」
「私のこと、もう知っているんだろう?
半世紀以上も前、あの聖女が“たまご”に籠る前に、私はあの聖女の討伐に向かったことがある。
“教会”の一員として、1《アイン》──“十一席”の1《アイン》に連れられて、第二聖女ミオを殺そうとした。
だからあの聖女の記憶違いではないんだ。
ただ殺し損ねて、五十年越しに再会していたんだよ、私はあの時。
アレだぜ。ちょっと実年齢を言うのが恥ずかしくてね」
それは奇妙な表現であった。
ロイの知る1《アイン》とはカーバンクルのことであった。
だがその口ぶりでは、まるでその当時には別の1《アイン》がいたかのようだった。
“我らが1《アイン》殿はね、その昔は第三聖女に異様に執着していた時代があったのさ。
そうだな──あの紅い女が先代の人形だった時代は特にそうだ”
出発前に聞かされた、3《ドライ》の下品な言葉が脳裏によぎった。
「ただまぁ、半分はやはり本当だな。
そのときの私は──人形のようなものだったから」
カーバンクルはロイを見ようともしなかった。
ただ淡々と語るべきことを語る、といった風な口調だった。
何時もの不敵で、楽し気な彼女の口ぶりとはまったく趣が異なるように、ロイには感じられた。
……舞台の最上層では、故障した思しき無数の少女人形が転がっている。
精緻に創られたモノでも、数百年も稼働し続けていれば、どこかで綻びが出てしまう。
彼らは幻想の風に救われることもなく、半端にカタチを残し、今日まで至っている。
そんな彼らを踏みつけながら、ロイとカーバンクルは並んで歩くのだ。
「……虐殺され、死んだ街すべてをひとまとめにして“転生”した少女がいた。
紅。
そう名付けられた少女は、しかし、最初まともな意識などありはしなかった。
あらゆる自我をぐちゃぐちゃに混ぜたところで、当然それらは反発する。悲鳴を上げる。無限の苦しみを発露する。
虐殺という地獄から生み出された少女。その器の中身も当然、地獄だっただろうよ。
君も──覚えがあるだろう」
“転生”の苦しみは、ロイ自身よく知っている。
彼は思わず己の胸を抑えていた。
8《アハト》。あの人斬魔が自分に施した“転生”。
それによってロイは己に眠る全く異なる個性に苦しめられた。
今でこそ落ち着いているが、あの自分自身すべてが揺らぐ感覚は、これからも忘れることはできないだろう。
たった二人の人間が混ざり合っただけでも──そうなのだ。
千もの自我とその死を一つのモノに詰め込めば、果たしてそれはどうなるのか。
自我や意識、と呼べるものは、そこに生まれるのだろうか。
「……よく、覚えていないんだ。
人形だったころの私が何を考えていたのか。何を語っていたか。何を想っていたか。
目に見えるすべてがぐちゃぐちゃでさ、矛盾してるんだぜ?
空は青いとか、ここはどこかとか、アイツは許さないとか、全く繋がりのない連想が絶え間なく溢れてくるんだ。
死にたいとすら思わなかっただろう。いや、思っていただろうが、その自殺衝動すら、圧倒的な雑音にかきけされるんだ。
当時の私は、意味の分からない言葉しか喋らなかったらしいよ、本当に。
それも出てくる声色が毎回違う。
獣のようなうなり声を出したり、ヒステリックに甲高かったり、逆に突然理性的な喋りをしたり……」
この癖は、未だまだ克服できてないんだ。
カーバンクルはそう、男性口調で言った。
「私が気になるのは、あの人──先代の1《アイン》がそんな私を見て、何を思ったかだ。
悲劇を悲劇として認められず、無様な延長戦を望んだあの人は、私がどんな人になると思っていたのだろう。
どんなモノが顔を出すと思っていたのだろう?
その期待に──私は答えられたのかな?
いや、冗談でも言ってやろうかと思ったんだ。お父様、とね。
言ったらどんな顔をしたか! それを妄想するだけでも楽しかったのに、その前に奴は死んだ。
聖女に殺された。悲しい話だね、まったく」
淡々としていたはずの彼女の口調は、いつの間にか激しいものになっていた。
饒舌な、しかし何時もの余裕を持った喋り方とは全く違う話し方だった。
「私を拵えたあの人が、私を守ろうとしたのもお笑い草だ。
生み出してしまった以上は、責任を取らなくてはならない。
とんだ──とんだ善意だよ、まったく!
あの1《アイン》が、エル・エリオスタ様と出会った。
そして異端審問官、“十一席”が生まれた。
──私のためにだ!」
かつん、かつん、と靴音を立てながらカーバンクルは続ける。
「私に虐殺の遠因になった聖女を殺させることで──アイツは私を救おうとした。
虐殺という悲劇を、復讐譚として無理やり続けさせようとした!
それで一応のハッピーエンドだろうと! そう思ってだ」
その言葉と同時に、舞台の中心に、パシン、と音を立てて照明が灯る。
赤、青、黄、橙、と重なる色鮮やかな色彩たち。
幻想によって作られた光の中心にて、聖女がその碧の瞳でカーバンクルを見下ろした。
“未来”の第三聖女。
彼女に対し、カーバンクルは与えられた台詞を言うのだった。
「私はね──どうやらそのために生み出されたらしいんだ。
そんな物語を背負わされてここにいる。
それが私の生まれた意味で──ほんとうの、私なんだ」




