202_ネタバレ①
【12】
【再び、記憶の物語】
【アカ・カーバンクルアイについて】
「アカ・カーバンクルアイって変な名前だと思うでしょう……」
多層神域図書館にて、ロイは聖女フリーダと相対していた。
あたりでは人形たちが己を罪を探し回っている。
彼らには彼らの物語、台本が存在している。
そこに取り込まれる形で、今のロイ田中は舞台に立っているのだ。
そんな舞台において、この聖女だけが一切の物語的なしがらみのない位置に立っている。
そういう意味で、彼女はこの場においてもっとも自由な存在とさえ言えるのかもしれなかった。
「変な名前にも、変なりの理由と物語があった……」
だが、表情一つ変えず淡々と言葉を口にする聖女の姿は、ここにいる少女人形たちと何ら変わらないようにさえ見えた。
台詞を諳んじるかのように紡がれるその言葉には、どこか嘘くさい響きがある。
だがこの“未来”の第三聖女が語る言葉、すべて真実なのだという。
あるいは、すべてが視えているからこそ、彼女の存在自体が現実離れした、虚構のものに感じられるのかもしれなかった。
──アカ・カーバンクルアイが“転生”した存在である。
聖女が、先ほど口にした言葉。
あまりにもあっさりと告げられたその言葉には真実味などなかった。
しかし、彼女が聖女である以上、無視できない台詞となってしまう。
「カーバンクル、か」
剣を抜くことのできないロイは、それでもまっすぐと聖女と相対した。
「俺は、この世界においては、普通の名前だと思っていたよ。
あの人と会ったのは、こっちに来てから初めも初めだったから」
「それは、ある種のミスリードだった。
アカ。物質言語の赤の音をそのままというのは、やはり変。
そして姓にあたるカーバンクルアイだって、そう。
紅色瞳なんて、そんな身体的特徴を名前が示すなどということは、やはり奇妙」
──奇妙といえば、最初から全部奇妙だ。
最初は、この世界のことすべてがおかしく見えた。
今ではこここそが現実だと受け入れているが、それにしたところで意味があるとも思えない。
そんな言葉が脳裏によぎるが、しかし振り払う。
情報通り、この聖女とまともにコミュニケーションを取ることは難しそうだった。
「……アカ・カーバンクルアイというのは、偽名、コードネームのようなものだと」
「それに、近い。
しかしほんとうの名前は──」
そこで少しだけ、聖女の表情に動きがあった。
口元をぎこちなく吊り上げ、笑いに酷似した、しかしどこかぎこちない何かを浮かべた。
「──フリーダ、というのかもしれない。
一時期、彼女は本当にそう信じていた」
フリーダ。
それは第三聖女の、今の名前であるはずだった。
そして同時に、カーバンクルがかつて探し求めていたという、誰かの名前。
それが意味することは──
「でも、違うのかもしれない。
フリーダとは、別に彼女のほんとうの名前ではないのかもしれない」
聖女は、あっさりと言葉を翻した。
煙に巻くような物言いに、ロイは苛立ちを覚えている。
「お前はすべてを視えているんだろう」
「視えてはいる。
だけど、これはそう、解釈の問題。
私は語り紡いだことを、聞いたものが解釈する。
その結果、その当人にとっての真実が発生する」
一拍置いて、
「それは貴方だったり」
さらに一拍置いて、
「あのカーバンクルだったり」
間。
「そして私自身の真実が生まれる。
それはさながら、同じ台本でありながらも、同じ舞台が一つとしてないような……」
ロイは頭を抑えた。
話にならない。この聖女と話していると、頭がおかしくなりそうだった。
一体何が視えているのかはわからない。
たとえそれが絶対的に正しいことだったのだとしても、ロイは理解できそうになかった。
「御託はいいよ」
ロイはだから、問いかけることにした。
脳裏に浮かぶのは、この世界に来た時からずっと共にいる、不可思議な雰囲気を持った紅い瞳の彼女だった。
「俺にとってのあの人、ほんとうの名前なんてどうでもいいことだ。
少なくとも、あの人は俺の味方でいてくれた。
それ以上に知りたいことは、俺にはないよ」
「そう、ここでそう言う。
貴方にとってはどうでもいいことだと。
だけど──少し先の未来で、アカ・カーバンクルアイはそうでなかったことがわかる。
胸に未練にも似た、拭い去れぬ感傷を持っていることを。
“フリーダ”という名前を、どうしても忘れることができないことを、彼女は湖で見せる……」
意味の分からない言葉にロイは頭を振った。
彼女に返す言葉が思い浮かばない。何を言いたいのだ──コイツは。
「アカ・カーバンクルアイは、彼女が後から自分で名乗った名前である。
そして彼女が求めていたものは──ほんとうの名前」
不意に。
不意に聖女が何か、核心に近いことを言った気がした。
「彼女は自分の名前がわからない。
自分の存在が、ほんとうに確かなものかわからない。
なぜならば──彼女なんてものは、存在しないのかもしれないから」
聖女は言葉を続ける。
「アカ・カーバンクルアイは、“転生”した存在。
その正体は、百年近くも前、とある魔術師が、虐殺されたおびただしい数の死体を“転生”させて創り上げた何かである」
── 一体、彼女は何を視ているのだろうか。
ロイは、これまでの聖女には感じなかった類の恐怖を、その時、彼女に対して感じていたのだった。




