198_聖女戦線、その後
【5】
【どのようにして彼女は劇場までやってきたか】
【聖女戦線】
……聖女ニケアが倒れた。
“神隠し”にあった部隊が戻るや否や、その情報は瞬く間に全軍に伝わった。
そこから始まったのは大混乱は、当然というべきか聖女軍を機能不全に陥られせた。
聖女軍本営の摩天楼では、その日も怒号が飛び交っていた。
純正の人間から人狼、猫、小鬼など雑多な人々があちこちで口論を交わしている。
人種だけではない。ニケアの仲間やその家族、“教会”と敵対する武装組織、“春”の反王朝勢力と、それぞれの出自もバラバラだ。
彼らはみな聖女軍の軍服を身に纏ってはいる。
しかしその思惑、思想はまったく統一されたものではなかった。
彼らを曲がりなりにも一つに纏めていたのは、ニケアという圧倒的な力があったからこそだ。
“教会”と闘いうる最高戦力であり、軍全体の象徴であった彼女を喪った影響はあまりにも大きかった。
「…………」
そんな彼らを、キョウはフロアの片隅から無言で眺めていた。
フロアの片隅にもたれかかると、ひんやりとした壁の感触が背中越しに伝わってきた。
窓の向こうでは必ず雪が降り続けている。
あの“虚構”の都市、東京に酷似したこの戦場では何時だって雪が止むことはない。
この戦場がどうなってしまうのか、キョウにはわからなかった。
しかし、元々彼女は聖女軍の一員という訳ではない。
マルガリーテの手引きとニケアの一存によって食客のような立場で軍に編入されはしたが、立ち位置的には外様のようなものだ。
そしてニケアがいなくなったことで、彼女の立ち位置も不確かなものになっている。
YUKINO隊も現在解散状態となっている。
マルガリーテは事態の収拾に奔走している。ヴィクトルは彼女の専属の護衛として引っ付いているらしい。
もともと傭兵であったフュリアは一旦軍を離脱し、ゲオルクの下に戻った。
クリスは調整の名目でなかなか会えていない。精神的にも、あれだけのことがあった以上、すぐには戦線は復帰でない可能性があるとのことだった。
──私が……守れなかったから。
聖女軍の人々を眺めながら、今日は思ってしまう。
あの東京で、ニケアが討たれるのを止めることができなかった。
今日はあの場でもっとも彼女に近い場所にいた一人だった。
あの時、自分の行動次第でこんな未来は回避できたのだろうか。
悲嘆に満ちた聖女軍の人々をみると、どうしてもそう考えざるを得ない。
もちろん、あの場で自分がどうにかできたとも思えない。
彼女を討ち取ったあのロイ田中でさえ、利用されたようなものなのだ。
あの闘いは、ニケアとその母のものであった。
だが、しかし──
「──あら、どうしたの? そんな浮かない顔をして」
その時、不意にかけられた声にキョウはびくりと肩を上げた。
振り向くとそこには、白く美しい肌をした見知った女性がいた。
「あ、貴方は──ホワイトさん」
キョウは驚いて目を見開いた。
そう呟くと、彼女は思わず、どきり、としてしまうような蠱惑的な笑みを浮かべた。
「うふ、覚えていてくれてうれしいわ」
ホワイト。
彼女は高速旅団の劇団における唯一無二のスタアである。
キョウが一時的に高速旅団に身を置いていた際に知り合い、マルガリーテと共にこの聖女戦線を訪れたのだった。
「まぁキョウさんの気持ちはわかるわ。
だって私たち、居場所がないものね」
「……それは、その、私はそうですが」
急に話しかけられ、キョウはあたふたと慌ててしまう。
一応キョウも彼女と同じ舞台に立ったことはあるが、その立場は全く異なる。
ホワイトは主演を演じるスタアであるのに対し、キョウは単なる端役に過ぎなかったのだから。
一応、ヴィクトルは褒めてくれたが……。
「私もそうよ。
もともと劇団のパトロンだから一度聖女様に会いに来ただけだし。
何より次の演目も始まってしまいそうだから」
「あ、じゃあそろそろ帰るんですか?」
「ええ、本当はもっと前に帰るつもりだったのだけれど、おじさま方に引き留められてしまって」
そう言ってホワイトは苦笑を浮かべる。
舞台の上に立っているときの絶対的なスタアである彼女と、舞台外で見せるくだけた雰囲気にキョウは何時もギャップを感じてしまう。
あらゆる役を完璧に演じ切る彼女の、どの面がほんとうのものであるのだろうか。
「それで、キョウさんはどうするの?
私と一緒に高速旅団の劇団に戻る?
キョウさんが本格的に劇団に参加してくれるなら、みんなも歓迎してくれると思うけど」
「ええと、私は……」
キョウは目を泳がせる。
これからどうするのか。
そこに今まさに迷っているところだったからだ。
「……うふ、まぁ急に言われても困るわよね?
いろいろと、大変な時期だと思うし」
ホワイトはそう言って微笑んで、キョウの手を握った。
「まぁ、ゆっくりと考えてみて。
劇団に来るなら、私も歓迎するから」
「え、あ……はい! ありがとうございます」
キョウはホワイトに対し、頭を大きく下げた。
困り果てていたキョウだが、少しだけ胸が暖かくなる気分だった。
今後のことだが、やはりマルガリーテやクリスと話すべきだろう。そして──
「ああ、そうそう」
去り際にホワイトは、ふと思い出した、とでもいうようにこんなことを言ってきた。
「そういえば、もう一人、別の聖女様が見つかったようよ。
それも、人形劇場っていう、私たちの業界だと有名な場所に」
おじさまたちが言っていたの、とホワイトは続けて言う。
「彼女を聖女軍の新たなシンボルにしたらどうか、みたいな話が持ち上がったらしくてね。
傭兵ギルドから一人、特別な偽剣使いを送り込んだそうよ。
──“教会”の異端審問官より早く、聖女を捕まえるためにですって」
……ホワイトの言葉を聞いた瞬間、キョウは自分がどうするべきかが見えた気がした。