194_紅い、からっぽの彼女
【11】
【記憶の物語:前編】
【劇場内:見渡す限り続く本の海】
「司書さま、赤い塩の海の本はどこにあるのですかー?」
「そうそう、“嫉妬”の棚を探しても探してもなかったのだけど! どういうこと!」
「えーγちゃん、司書さんにお願いするときにそんな迫っちゃだめだよ」
「なんでよ! こんな可愛くない男、気を配る必要なんてないじゃない! 可愛いアンタとは違うの!」
人形γが頬を膨らませて言うと、人形αが「あはー」と楽しそうに笑って、
「ごめんなさい、司書さん。γちゃん、こんなのだけど、司書さんのこと、そんなに嫌っていないのです。
だから罪本を紹介してあげてください。お願いします」
言われたロイ司書は、さてどうしたものかと思ったが、不意に頭の中に言葉が浮かんできて、
「あの本は厳密に言うと罪本じゃない」
「えー?」「なんでよ!」
「あそこに刻まれているのは、地獄の話だからだ。
地獄は罰を与えるところ、これから君たちが行くところ」
「でも! 私あれを読みたいの!」
口をはさんできたγは言いよどみ、硝子でできた眼球を動かしたのち、
「だって、その、あれにはたぶん……私の名前が載っているから」
それを聞いたロイ司書は意図的に間を作って、
「そうか……じゃあ、“悲嘆”の棚に行くといい。
詳しい場所は──」
彼は何故か知っている場所を口にする。
するとαとγは顔を明るくして「行ってくる!」と行って走っていった。
この図書館で走るのはダメだ、というよりも早く。
「…………」
αやγだけでない。
他にも少女人形たちが本を探しているのが見えた。
一体や二体ではない。数十の人形たちが、己を人形だと気づくこともなく、与えられた役割を果たしている。
この多層神域図書館は魂の牢獄である。
かつて現世で罪を犯した魂たち。
しかし何が罪でわからなかったため、罰を受けることができなかった魂。
彼らに対し、天の意志は慈悲を示した。
この図書館に魂を誘った。ここにはあらゆる記憶が集っている。
その中から自らの罪を刻んだ本を見つけることで、彼らは外にいけるのだ。
そして、ロイはその図書館の司書を任されていた。
天の意志に誘われ、この図書館にて少女人形を見つけてあげる。
それが、彼の役割なのだった。
「……この演目は気に入った?」
不意に聞こえた言葉に、ロイははっとして身構えた。
鞘を意識。そこから偽剣『ニケア』を抜こうとするが──
「抜けない。神域の司書は、剣なんて持っていないから」
「そういえば、今の俺はそういう立場なんだったな」
「糸繰人形はすべてのものに役割と、台本を与える。
そうして演じられる舞台より、無数の幻想が自動生成される。
だからこそ、永久に舞台が続く……」
灰色のカソックもいつの間にやら消え去っていた。
彼は今、この奇天烈な立場に誘われ、着た覚えのない臙脂色のスーツなどを与えられている。
同行したカーバンクルもまたこの場にはいない。
加えてやっぱりついてきたキョウもまた、舞台に踏み込むと同時にどこかに消えてしまっていた。
あの扉をくぐったさきに、この舞台が待っていたのだ。
「台本から離れることはできない。
私たちは、舞台の上の糸繰人形と何ら変わらないから」
そう滔々と語るのは、碧の瞳をした少女。
あの東京に確かにいたはずの幼馴染と同じ顔をした誰か。
ロイが対面するのは六人目となる──聖女であった。
実年齢のほどはわからないが、一見して弥生と同年代ほどの年齢に見えた。
だが髪はばっさりと短くなっており、切りそろえられた前髪から除く碧の瞳は無表情そのもので、まるで人形のようだった。
否、この劇場に住まう人形たちの方だ、よほど感情豊かに動き回っていたようにも思う。
「何の用だ。聖女」
ロイは息を吐いて、そう問いかける。
だがまともな答えが返ってくることは期待していなかった。
この第三聖女は、今まで会ったどの聖女よりも言葉が通じない存在だということを、すでに悟っていたからだ。
「さぁ? 私はただ物語構造に、こうする、と書かれていたから、それに従ったまで。
私は貴方とここで会話することが見えた。
そしてそれが絶対である以上、私はそれに従わなければならない……」
「そういう迂遠な会話に付き合う気にはなれない」
「ええ、知っている。
だけど、あなたはここで私と会話し、衝撃を受けることになっている」
ほのぐらい図書館にて、第三聖女は口調を変えずに言った。
笑ってしまいそうな物言いだが、ロイは身を固くする。
耳に蘇るのは、ニケアの言葉だった。
あの闘いの最中、ハイパーネタバレ女、などと呼んでいた聖女がいた。
そしてそれこそが──
「さて、私はここで告げることになっている。
この舞台において誰がが主役であるのかと、この物語の主題を、この物語の結末を」
ロイはその言葉を遮ることも、耳をふさぐことも間に合わなかった。
「まずは結末、私はここで死ぬ。貴方に殺される」
言葉が続く。
「次に、この章における主人公は──あの紅い、からっぽの彼女。
アカ・カーバンクルアイ。
そう名乗っている、あの人」
言葉が続く。
「あの人が、ロイ田中と同じ“転生”した存在であることを示され、その正体が語られるエピソード……」
一切の感情の揺れを見せることなく、“未来”の第三聖女はその台詞を言い終えたのだった。