193_四季姫
【2】
【出撃直前、“教会”工房での出来事】
【四季姫】
「うふ、どうしたの? そんな怖い顔をして、異端審問官サマ」
用意された椅子に腰かけながら、彼女は楽しげに笑っていた。
整えられた漆黒の睫毛と、深い湖のような黒い眼。口元は花の絵柄が描かれた扇子に隠されていた。
不意に呼びかけられたロイは、自分が呼びつけられたことに気づくことに一拍遅れた。
「────」
だが彼女が、パシン、とどこか不機嫌そうに扇子を閉じるのを見て、ロイは向き直り礼をした。
「……非礼を、失礼しました」
「ふふふ、気を付けた方がいいぞ。
私は仮にも、君の雇い主、主人にあたる人間なのだから」
彼女はゆっくりとそう語り、再び扇子を開いた。
──四季姫。
“教会”が有する姫であり、大義名聞であった。
この暗黒時代に奇蹟をふりまく狂った聖女を罪であると示すために、“教会”がこしらえた“救世の巫女”。
“夏”の文化に近い衣装──ロイからすれば、それは和服のように見える──を纏ったこの小柄な姫と、こうして直に会話するのは初めてのことだった。
「私は力を持っておる。
たとえ何一つ奇蹟を持たぬ、偽りの聖女であろうとも、な。
この椅子に座っている限り、そしてお前が“教会”の人間である限りは、多少は力を見せることができる」
彼女、四季姫がその実、何の力を持たないただの人間であることは、“教会”において公然の秘密となっていた。
狂った本物の聖女に対抗するために、エル・エリオスタはなんでもない偽物の聖女を用意したのだ、と。
そうした立場を四季姫自身がどう思っているのかは、言葉に滲む自暴自棄な響きが示していた。
「とりあえず頭を上げるがいい。どうせ敬意など何も抱いてはいないのだから」
「……いえ」とロイは弁明の言葉を述べようするが、四季姫はこちらの言葉を遮って、
「お前は異端審問官、8《アハト》。名はロイ。
間違ってはいないだろう?
灰色のカソックを着ていて、美少年でなければ女でもなく、中年でもない」
「名を覚えていてもらえるとは、思っていませんでしたよ」
「そりゃあ覚えるさ。聖女殺しの英雄だぞう?
聖女を封じる力をもってして、百年にわたる聖女勢力との闘いを終わらせた。ふふふ……そりゃあ覚えるさ。私は姫なんだから」
そこで乾いた声を上げて笑う四季姫に対して、ロイの胸に白々しさと居心地の悪さが到来した。
聞いていて胸が痛くなる。彼女はそんな笑い方をするのだ。
だがそうした態度は、この時代、この世界においては何も珍しくないものであることを、すでに彼は知っていた。
「さて! 聞こうか、聖女殺し殿。
この工房に何の用で来た?
お前はこれから今、第三聖女討伐の任務の出撃をするのだろう?」
随分と調べられていたようだった。
ロイは何と答えたものかと悩みつつも「装備を整えるためです」と本当のことを告げた。
あたりの魔術師たちはこちらに近寄ってはこない。
何人か顔なじみはいるが、四季姫にしろ、異端審問官にしろ、“教会”においてあまり触れたくない存在なのだろう。
「出撃前の準備。それだけではないだろう?
嘘ではないが、本当のことでもない」
「……ええ、もう一つ、目的はありますが」
そこで四季姫の手が伸びてきた。
ロイの手首に巻かれた鞘に、彼女の細い指先が絡みつく。
「ここに刻まれた聖女たちの言語。
それを繋げる計画を進めているそうだが」
「了承は得ていますよ」
「ああ、知っているよ。了承したのが私だからな。
もちろん──私に回ってくる頃には選択肢などなかったが」
「…………」
「これをつなげて、一つの物語にして、果たして何にしようというのか?」
再会のため、とはロイは言いはしなかった。
「聖女の奇蹟の解明ができます」とカーバンクルと相談して決めた表向きの理由を彼は口にした。
「第四こそ逃しはしましたが、七の奇蹟のうち、五つの言語があれば大まかな復元は可能と聞いています。
あと一つ、第三聖女を討伐すれば、この百年に起こった奇蹟がなんであったかも、つかめるかもしれない」
「七のうち、五つか……ふふふ。
ならばもう──揃っているではないか?」
四季姫はそこで、その表情を歪ませた。
酷薄な笑みであった。投げやりな、しかしひどいねちっこい執着も同居した──嗤い。
「“虚構”の第七聖女。
“教会”が大切に、大切に、私以上に大切にしているあれを使えば、もう揃うぞ、お前」
その言葉を聞いたとき、ロイは察した。
彼女がわざわざ工房までやってきた理由は、そこにあるのだと。
ロイが聖女に執着していることを知り、そして“教会”にいる以上どうしても手が出せない、七番目の聖女について、彼女は取引を持ち掛けようというのだ。
「ふふふ──まぁ、答えは帰ってきてからいいさ。
だがこの任務、何なら失敗してもいいのではないか?
第三聖女をあえて殺さない、という選択肢もあるぞ。
そんなことをせずとも──お前は手に入れることができる」
……そんなやり取りを済ませたのち、ロイはカーバンクルと合流し、言語船に乗り込んだ。
糸繰人形劇場に陣取った“未来”の第三聖女を討ち滅ぼすために。