192_1と8、何度目かな
【3】
【導入部:会話】
【糸繰人形劇場 到着前】
言語船に揺られながら、ロイは欠伸をかみ殺していた。
対面に座るカーバンクルもまた退屈そうに窓の向こう、幻想のきらめく空を眺めている。
「…………」
「……暇だ」
「うん、そうだねぇ、田中君。暇な時は仕事がうまく行っている証左という考え方もあるが、まぁそれと感情は違うのもまた事実」
第三聖女討伐の任務に繰り出されて既に一週間。
その間に三台の言語船を乗り継いだが、未だに目的地は辿り着かない。
このあと一度“教会”の別動隊と合流したのち、また別の言語船に移る必要がある。
その後、僻地の拠点にて降りた先は徒歩だ。
観測された場所を鑑みても非効率的な動きだった。
とはいえ“教会”全体のことを考えるなら仕方がない面もあった。
──聖女戦線での一大決戦と、同時に起こった怪現象、そして不可解な決着。
“はじまり”にして最強の聖女であったニケア。
“教会”側の最高戦力である絶世の騎士、エル・エリオスタ。
その二つの力の激突によって長きに渡る戦争に決着がついた。
結果的に聖女ニケアは討ち取られた。
彼女を核としてまとまっていた聖女軍は当然急速に勢力を低下。
今なお抵抗自体は続けているが、あちらとしても士気が大分下がっているのか、それまでと一転して講和の動きが出ているらしかった。
あの戦争は一つの決着を迎えたといえるだろう。
もっとも、その決着の仕方は非常に特異なものであった。
ニケアとエル・エリオスタの激突により層転移現象が引き起こされた、という報告が上がっている。
それはロイからすれば、あの“現実”への帰還を意味していた。
あの東京が何であったのか、ロイはいまだに答えを出しきれてはいない。
少なくとも彼が最初にいたはずの、桜見弥生という少女がいた東京ではなかった。
しかし非常に近しい街であり、そこで彼は“ロイ田中”とも出会った。
そして、結局こちらの世界に帰ることになった。
巻き込まれたのはロイたちだけではなかった。
両陣営共に三割近い行方不明者が出たという話もある。
その混乱は非常に大きかったが──しかし先述のようにニケアの討伐によって、事態は半ば強制的に収束していった。
この“現実”に返ってきた以上は、起こったことを受け入れるほかないのだ。
「……第一聖女が消えた以上、“教会”のシステムもまた大きく変わると思うよ」
不意にカーバンクルが口を開いた。
視線は窓に向けたまま、ロイのことを見ることもなく彼女は言葉を続ける。
「“教会”の対聖女戦力は聖女軍、つまりは第一聖女にほぼ向けられていた。
それが収束した以上、組織が大きく再編されることは間違いない」
「……再編して、どうするんだ」
「そりゃ新しい秩序構築よ。そのために“教会”は存在してるんだから」
「そのお題目、本当だったのか」
「さぁ、誰も信じちゃいなかったかもしれないけど、それ以外やることないんだから、まぁやるんじゃない」
やる気なさげにカーバンクルは言い、そして再び場に沈黙が訪れる。
元々は部隊のブリーフィング用として存在したであろうフロアだ。
二人ではいささか広すぎる。
異端審問官に与えられたこの一室に、正規軍が近づくこともない。
「……もうじゃあ、“聖女狩り”は終わりか」
「うん?」
ロイが呟くと、カーバンクルは顔を上げた。
「すでに“教会”は“聖女狩り”の次に目を向けているということだろう?」
「うん、まぁね。
残っている聖女のうち、第七は既に“教会”が確保しているし。
あとは何かとしぶとかった第三を討てば、それでおしまい。
あ、まだ第四が“転生”してくる可能性もあるのか」
「いや、それはどうだろうな」
「うん?」
第四聖女。
“正義”の奇蹟を体現するあの聖女は、確かにロイは逃してしまった。
手首に巻かれた鞘には彼女の言語だけは刻まれていない。
それゆえ、再びあの奇蹟の力がこの世界に降り立つ可能性は確かにあった。
だがロイは、あの東京にてニケアが告げたことを思い出していた。
「……もう聖女は“転生”しないかもしれない。
たとえ、俺が終わらせなくとも」
「ほう、それはなんで?」
「……もう誰も、それを望んでいないからだよ」
そして、それを叶える太母の存在も既にない。
もちろんそれが理屈になっていないこともわかっていた。
あの東京でニケアが語った“はじまり”については、結局誰にも報告していない。
どこまでほんとうで、どこまでが虚構なのか、誰にもわからなくなるような、そんな話だったからだ。
なので当然、カーバンクルはロイの言葉の意味を理解できなかったはずだが、しかし彼女は、ふむ、と漏らし、
「聖女専門家の田中君の見解が言うなら、まぁそうなのかもね。
とはいえ万全を期すためにも、第三聖女は殺してもらうよ。
まぁ君の場合、言わずとも勝手にやってくれうだろうが」
「それ、もう、止めたよ」
「え?」
「田中のこと」
ロイはそこでふっと微笑んだ。
「田中って、こっちの世界じゃ変な名前だろう?
だからもう、止めた。新しい名前を考えるのも面倒だし、とりあえず今後はロイで通していくよ。
こっちで生きていくと決めた以上は、割り切った方がいい」
「……ふうん、なるほどね」
「それと──」
彼はそこで一瞬言いよどんだ。
あらためてこれを口にすると、どうしても笑ってしまいそうになる。
「聖女との闘いの後もことも、考えないとな。
聖女を皆殺しにして──それで全部終わりじゃないんだから」
そう言うとロイは、少しだけ、穏やかな心地になっていた。
あるいはもしかしたら、もう聖女を殺すことなどないかもしれない、と思うほどに。