186_希望の花々に結末を ⑥
光の翅と共に、ニケアと田中は飛び上がっていた。
眼下にはキョウがいて、罅割れた仮面を被った太母がいて、その向こうには彼のよく知る東京の街が見える。
そんな中、二人はともに同じ空を飛んでいた。
「終わりにしろって、それは──」
「ああ、私を討つということだ。殺して、この身を貫く言語を抜き去ってくれ」
「そんなことを──」
「うん、何故躊躇うんだ?
ずっと君は聖女を殺して回っていたじゃないか。
それが自分だと、自分を示す唯一の個だと言い聞かせながら」
「気づいたからだ」
田中はニケアの顔を見上げて言った。
脳裏に浮かぶのは──ハイネの闘いだった。
「殺して、殺して、殺して回って、またアイツに会おうとする。
そんなものは、俺じゃない。それだけが、俺じゃない。
忘れている間に、俺は“現実”で帰る場所をなくしてしまった」
三月。夕香。
父と、母。
“ロイ田中”であり続けようとするなら、そこで悩むべきだった。
でも今まで──そんなことを考えようともしなかった。
「だからもう──いいんだ。
俺は、お前たちを殺したい訳じゃない。殺すために生きてきたんじゃない。だから!」
「──いや、違うな、タナカクン。
君は私たちを殺して回るために生まれたんだ」
「え……」と声が漏れた。
「先ほど、私は君のことを語っていなかったね。
だから教えよう。君は、私が創ったんだ──たぶん」
ニケアは再び淡々と語り始めた。
それは先ほど中断されてしまった、彼女の物語の続きだった。
「──私だって馬鹿じゃない。
聖女が生まれて、“教会”ができて、戦争が続いて、そうしているうちに、すべてが私が願ったことだと気づいたさ。
そして悩みもした。
私は今まで闘い続けてきた──だが、それは結局のところ、私自身が願ったものなのだ。
多くの人々を私は守ろうとした。でも、同じくらい、私は多くの人を傷つけている。多くのものを歪めてしまっている」
でも、と彼女は言った。
「私は闘いを終わらせることができなかった。
お母さんがいて、お父さんがいて、みんながいて……その日々を続けたいとも思っていた。
私が闘いの元凶なのに──それでも、私はみんなと一緒にいたかったんだ。
そんなことを続けていたら……もう百年も経ってしまった」
──だから、願ったんだ。
「私を、終わらせてくれる者が来てくれるのを!
この物語に結末を与えてくれる誰かを!
私は願った。ずっとずっと強く願った。
そしたら──君がきた」
繰り返される聖女の“転生”。
それが終わらない闘いを生み出していた。
だが、田中だけは違った。
彼は聖女を本当に意味で殺し──終わらせることができた。
「だから君は、私が創ったんだよ。君のような存在を私は願ったんだ」
「そんなの! 知るもんか!」
田中は思わず叫びをあげていた。
ニケアの想いはわかった。その痛切な願いも、過去も、理解はしよう。
でも──それがすべてだと認めたくなかった。
「そんなのは、お前の物語だろう。
お前にはお前の物語があるだろうけど、でも、俺は──」
“貴方には、貴方なりの物語があったのかもしれない”
“でも、私には、私の物語があって、現実があった。
だから、ここで貴方に殺されるのだけは厭”
あの海で告げられた言葉が、再び脳裏に浮かんだ。
「うん、そうだよ。
だから言ったんだ。私たちは、お互い利用し、利用される関係だと」
「そんなの!」
「だから──タナカクン。君は、私も使うんだ。
私の力を、私の奇蹟を使えば、君はあの街を守ることができる」
あの街──新宿。
何時もの病院の窓から眺めていた、灰色の街。
誰もかれもが遠くに見えたあの“現実”。
「私の奇蹟を、私のお母さんにぶつけてくれ。
そうすればきっと、私たち“虚構”の者たちはここから出ていくことになる」
「────」
「私のためじゃない。君のために! 私の剣をふるってくれ。
それが私の──最後のお願いだ」
そう語るニケアの瞳には、これまで聖女が決して見せたことのない、小さな輝きがあった。
その大きな瞳に映る──“ロイ田中”を見たとき、彼の中で何かが弾けた。
◇
眩い碧の色彩が空に渦巻いている。
圧倒的な破壊の光が乱舞したあとも、光の庭は顕在だった。
舞い上がる花々は永遠に咲き誇る。いかに散ってしまおうとも、ずっと花は咲き続けるのだ。
そう願われたがゆえに、この庭は在り続ける。
「ふふふ……来なさい。ニケア。
私がまた──抱いてあげるから」
その中心で太母は空を仰いでいた。
光の雲の向こうに、ニケアがいるはずだった。
そこから、彼女に向かって剣を突き付けてくるに違いない。
太母を討つべく、全身全霊をかけてやってくる。
ならばそれを──この腕で受け止めてあげたかった。
ぐにゃり、と空がゆがんだ。
光の重なりの向こうから、ひときわ大きな閃光がやってくるのが感じられた。
竜の仮面ごしに、ニケアの存在が感じられる。
力強い奇蹟の輝きがやってくる。
それをただ、不滅のこの身で抱きしめてあげればいい。そうすれば、きっと──
「──また、これからも、十年後も百年後も、ずっとずっと一緒にいてあげるから!」
その言葉と同時に腕を広げた。
そしてそこに──
「え?」
──やってきたのは、光り輝く大剣を手にした田中だった。
それは、見たこともない偽剣だった。
まっすぐと長く伸びた両刃の剣だった。
その剣身は肉厚で、決して折れそうにもない。
艶々と碧に輝く様は、一点も曇り感じられず、とても美しく見えた。
その姿を見た瞬間、彼女はその銘を悟った。
ああ、それは──
「『ニケア』」
そう口にした瞬間、彼女の胸に『ニケア』が突き刺さっていた。
鮮血が舞い、その刀身を赤く染め上げる。
完璧な剣について、初めての汚れ。それは──太母の血となった。
その血が舞う中、光が一斉に放出される──