185_希望の花々に結末を ⑤
碧の極光が世界を貫き、空を抉る音がした。
穏やかな風はすでに遠い彼方に消えている。
代わりに世界の果てから吹き荒れる風が嵐となって光の花畑を駆けて抜けていく。
その中心に剣を交えているのは、光輝く翅広げるニケアと、竜の仮面を被った太母だった。
「ニケア、あなた、どうしたの?」
杖のような偽剣でニケアの剣を受け止めながら、彼女は心底不思議そうに首をかしげていた。
「また何時ものわがまま? 最近はだいぶ収まっていたというのに、もう」
「ふふふ、そうだな……お母さんには、ずっと迷惑をかけ続けていた気がする。
きっと、お父さんが出ていったあの日から──」
「いいのよ、私はあなたの味方なんだから」
剣と剣とがぶつかり合う嵐の中、碧の花弁が一斉が舞い上がる。
その花を散らしながら──美しく。
「それで、何?
貴方も厭になったのかしら、あの東京の人たちを犠牲にしちゃうことが。
わかったわ。だったら別の方法考えるから、ちょっと待ってなさい」
太母の言葉に対し、ニケアは首を振って、
「──いいや、違うよ。そんなわけないだろう?」
「うん? 何が言いたいの」
「そっちはたまたまそうなるだけだよ、お母さん。
正直なところな、そっちは私の物語じゃないんだ」
その一瞬だけ、ニケアは田中を見た──ような気がした。
「私の願いは──貴方を敵とすることだ」
その言葉と共にニケアは力強く剣を振り払った。
途端、光の奔流が花畑に走った。キョウの悲鳴が聞こえ、田中もまた飛ばされそうになる。
それでも必死に地面に掴まりながら、彼は二人の会話を聴こうとした。
「私が……敵?
何を言うの。
私はあなたの味方。あなたたちの永遠の味方。
どんな願いもかなえてあげる。どんな想いも包んであげる」
光の向こうより太母はあらわれた。
ニケアの放った光を受けながらも、当たり前のようにその存在を維持している。
ただ──仮面に罅が入っていた。
おどろおどろしい竜の仮面に亀裂が大きな亀裂が入っている。
それは明確にニケアがつけた、太母の傷といえた。
「ああ、そうだよ、お母さん。
そのお礼は言葉にもし尽せないほどだ。
この光の庭だって──きれいなものが見たいといった私の願いを叶えてくれたのだろう?
百年以上前、幼い子供だった私のわがままを聴いて」
ニケアは昔懐かしむように、目を細めた。
「久々に創ってくれいったら、あっさり出してくれるんだ。
ほんとうに、何でもしてくれたよ、あなたは」
「そんな他人行儀になる必要はないわ。
私はずっとあなたの母親なんだから」
「そうかな──そうだったのかな?」
ニケアは翅を広げながら、問いかけた。
「ねえ、お母さん。
一つだけ教えてほしい。
ずっと怖くて聞けなかったことだ。
もしかすると、あなたも、お父さんだって知らないかもしれないが、それでも聞かなくちゃならない」
「なぁに? 答えてあげるわよ、ニケアちゃん」
「すべては──私のせいなのか?」
僅かな怯えを滲ませて、彼女は尋ねた。
「お母さんが、そうなってしまったのは、私が願ったからか?
厳しいお父さんなどどっか行ってしまえと思ったから、優しいお母さんにはずっといてほしいと願ったから。
あなたたちは──そうなってしまったのか?」
ニケアの語った“はじまり”の物語。
すべて彼女が願ったことがカタチとなっていった。
あまりにも単純で、大きなスケールの奇蹟。
太母が彼女の願いをすべて叶えてくれたのだろうか。
それとも、母がすべての願いを叶える者であってほしいと、願われたがゆえに太母となったのか。
「どこからどこまでが、私の願いだったのか、わからないんだ。
そこだけは怖くて──考えられなかった」
絶大な力を持つ彼女は、その時、確かにおびえていた。
自らが、もしかするととても大きな罪を犯してしまったのではないかと──
「──ふふふ、馬鹿ね」
そんな彼女の言葉に対し、太母はそう短く返した。
「母が、子の願いを叶えようとするのに、何か理由がいるかしら?」
そう語る彼女は、あまりにも堂々としていた。
罅割れた仮面をつけながらも、決してニケアを恐れてはいない。
慈しむように、穏やかな声で語り掛ける。
「だから、ニケア。貴方はとりあえず寝ていなさい。
すべて私に任せて。きっと貴方は疲れているだけだから。
私はずっと貴方の味方だから」
「──そう、か。そうだな。
うん、確かにそこは聞くだけ野暮だったかもしれない」
そう頷くニケアに対し──世界そのものが牙をむいた。
舞い上がる花々が、閃光となって彼女へと襲いかかる。
空に瞬く色彩が、赤が、青が、黄が、すべてが彼女へと向かっていった。
田中は思わず「ニケア!」と彼女の名前を呼んでいた。
だがその光の余波で田中の身体もまた飛び上がっていた。
ぐるりと一回りする視界に苦悶の声が漏れる。そこにキョウの声が聞こえた。
翼をもつ彼女は、先回してこちらを受け止めてくれようとしている。
「──ふふっ」
だがそこで、不敵に笑って見せた者がいた。
翅広げての長距離の跳躍によって現れたニケアは、宙を舞っていた田中をつかんでいた。
華奢であるが──異様なほどに力ある手で田中の身は持ち上げられる。
「あ、ロイ君!」
「ちょっと借りるぞ、マルガの友達!」
「え、あ、ダメです! あと私はキョウです!」
反射的に叫びをあげるキョウに微笑みを投げつけた彼女は、返答することなく翅を広げた。
そして再び連続しての跳躍。キョウを置いて空へと舞い上がった。
「さて、タナカクン。出番だよ」
そしてこちらの顔を覗き込みながら、ニケアはそんなことを言うのだった。
「私を終わらせてくれ」
──ウインクまで添えて。