184_希望の花々に結末を ④
聖女
“教会”
転生
太母
エル・エリオスタ
そのすべてのはじまりを──ニケアは口にしていた。
暖かなぬくもりに満ちた花畑の中、滔々と彼女は語ってくれた。
「え、え……! それって、つまり」
間に挟まれたキョウが目を見開いている。
語られた彼女の物語が、あまりにも突飛で、すべては理解が追いつかなかったのかもしれない。
「つまり、ニケアさんが、願ったことが全部叶えられていたってことなんですか?」
それでも、そこだけは明確だった。
聖女ニケアの物語は、すべて──彼女の願いから始まっていた。
「ああ、そうだよ。すべての“はじまり”、元凶なんだ、私は」
彼女は、そう静かに語った。
そこに感情の揺れはなかった。ただ果てしない葛藤の末にどこか擦り切れてしまったような、乾いた響きがあった。
しかし彼女がそんな様子を見せたのは一瞬だった。
すぐに真意の読めない微笑みを浮かべて、
「──ふふ。とりあえずは説明したぞ? タナカクン」
「何も、していないだろ」
「ほう?」
「お前の物語はわかったよ。でもじゃあ──俺はなんだ?」
田中はニケアを見据えてもう一度尋ねた。
今しがた語られたニケアの物語。
そこに── 一切ロイ田中の名は出てはこなかった。
彼女がすべての元凶だというのならば、じゃあそこに巻き込まれた自分はいったいなんなのか。
「……ふふふ、そうだな。タナカクン。
それを語っていなかった」
ニケアはそこで一度目をつむった。
暖かな風が彼女の髪を揺らす。
そうしてまざまざとみると、彼女は、記憶の中の桜見弥生とそっくりだった。
他の聖女と同じように──
「──ねぇ、その話、向こうの世界に戻ってからしない?」
その時、聞き覚えのある声が花畑に鳴り響いた。
田中は空を見上げた。
幾多もの色彩が踊る空に手、ローブを身にまとい、竜の仮面を被った誰かがいる。
太母。
ニケアの──ニケアたちの母親が、そこにはいた。
「やはり来てくれたか、母上」
「ええ、もちろん。だって私は、あなたたちの味方ですもの。
ずっと前から、そしてこれからも、永遠に」
そう言葉を交わしながら、彼女はゆっくりとニケアの隣へと降りてくる。
田中は『ミオ』をぐっと握りしめた。キョウもまた緊張の面持ちで彼女を見据えている。
「そんな怖い顔しなくてもいいのに。
心外だわ。私、別に貴方たちと戦うも、害する気もないんだけど」
そう言って彼女は大きく息を吐いた
「ま、いいけど。とにかくニケア。そろそろ時間が整うわよ」
「そうか。それはよかったよ、母上」
「ほうら、見て」
太母はそこで指を、つい、と上げた。
途端、花畑に異変が起こった。
碧の花々はそのままに──芝生が透け始めた。
田中は驚き、キョウもまた声を上げていた。
「大丈夫、別に落ちないから」
太母の言葉通り、地面が消えたわけではなかった。ただその下にあるものが──見えただけだった。
「──東京」
足元に見えるのは、新宿の空だった。
灰幻想が渦巻き、幾多もの言語船が闊歩している。
そこは東京であり、田中にとっての“現実”であるはずだった。
しかし、今やもう“虚構”に飲まれようとしていた。
「……“現実”をぶち破り、“虚構”の世界へと舞い戻る。
それがアンタらの当面の目的だったな」
「あら、あの美少年君から聞いたの?
ええ、まぁ、ちょっと面倒なことになっちゃったから。リセットも兼ねてね。
そうあの人がいないこの世界で、ニケアの敵になれる存在はいない。
だから世界そのものに、この娘をぶつけることで、あちらの世界に舞い戻る、というわけ」
「ダメです! そんなの」
揚々と語る太母にキョウが声を上げていた。
彼女にしてみれば、それは許されることではないだろう。
「あら、ダメ?
だってこの世界、私たちからしてみれば、どうでもよくない?
ただの虚構の世界じゃない」
「何を言っているんですか。ダメなものはダメに決まっています」
「ふふふ……貴方はそうなの。そう言い切れるの」
太母はそこで視線を田中へと向けた。
「でも田中君、あなたは違うでしょう?」
彼女は手を広げ、眼下に広がる燃え盛る“現実”を示した。
「貴方、こんな思っていたでしょう?
こんな“現実”燃えてしまえばいい。崩れてしまえばいい。消えてしまえばいい、って」
「何を!」
「わかるわよ。だって──弥生も同じことを思っていたから」
その名に田中は言葉に詰まる。
あの病室で、周りから弾かれた場所で──あの時は二人は何を思っていた?
あの時、窓の外から見えた新宿の街と、今こうして見下ろしている新宿の街に──違いはあったか?
様々な思いが脳裏を駆け抜けていく。
かつて病院で共に小説を読んでいたあの時のことから、あの海で聖女に拒絶されたときのこと。
そしてその中には、崩れ行く新宿を、頬を紅潮させてみていた雪乃の姿もあった。
「……そう思っていたから、私は全部、やってあげたのに」
“弥生が“転生”して産まれたのが聖女。
あの娘の自己否定の結果として、この荒れ果てた世界に奇蹟が降り立ったのだから──”
あの時、“雨の街”での言葉がよみがえる。
弥生が──願っていたというのか。
かつて聖女ニケアが願ったように。
「本当にわがままな娘たち。でも、いいわ。
私はずっと味方だから、全部叶えてあげる。
ずっと“理想”の自分であり続けたいという願いだって、自分を“犠牲”にしてでも健やかな世界が欲しいということだって……」
やれやれ、とあきれたように彼女は肩をすくめるのだった。
あたかも子供のわがままに頭を悩ませる母親のような、そんな所作だった。
「……さて、ニケア。とりあえずここから戻りましょう。
すでに十分、幻想は溜まっているし、このまま放つだけでたぶん、戻れるわよ」
田中の葛藤を尻目に、太母はニケアへの肩を叩いた。
そんな太母に、ニケアは「ありがとう」と礼を言った。
「何時もありがとう、母上。
ずっと前から、何時だって私の味方をしてくれて」
「ふふふ……いいのよ、別に。だって私は、あなたの母親なんですもの」
「ああ、そうだ。
母上は優しくて、きれいで、私のわがままを聴いてくれたものな。
私の──味方として」
言いながら、ニケアは前に剣を携えて前に一歩出た。
そして『パルスマイン改・3rd』に猛然と光が収束していく。
その碧の色彩はバチバチと音を立てて迸り、花々の燐光を吹き飛ばしていった。
そして、ゆっくりと剣を掲げていく。
その様を前にして田中は動けなかった。キョウもまたその圧倒的な光の前に、動くのを躊躇しているようだった。
ただやみくもに突っ込んだところで、止めることはできない。
ニケアもだが、背後に太母が控えている。
キョウはそう判断しているが故の静止だろうが、しかし田中はまた違った。
「──さて、タナカクン。
私がこれを下にたたきつけると、何が起こるかわかるかい?」
その想いを見越してか、ニケアがそう問いかけてきた。
目の前で、あの“現実”が壊される。
ずっとかみ合わっていなかった、あの気持ち悪い“現実”が、一振りで破壊されようとしている。
それを──
「わかっているはずだ。この“現実”をつき破り、元の世界に戻ることができる。
父上という敵がいない今、最短で元の世界に戻る方法だ」
そこでニケアは──微笑んだ。
「ふふっ、気づいているかな? 実はもう一つ方法があることを。
父上のほかにもう一人だけ、私の敵たりうる存在がいることを」
その言葉と共にニケアはその剣を振り払った。
くるっ、とその身をよじり、彼女の後ろに立っていた──太母へと向けて。
「もう終わりにしよう──お母さん」