表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構転生//  作者: ゼップ
虚構都市“東京”
181/243

180_私だけのお兄ちゃん


光だ。


幻想が渦巻く新宿の街に吹き荒れる風を、一筋の閃光ビームが切り裂いていた。

一筋の駆け抜ける言語テクストが、混沌とした空を一閃している。


「────」


その光を、クリスは混濁する意識の中、見上げていた。


無理して聖別の力を使った反動だった。

手足がしびれ、身体は鉛のように重くなっている。

『ルゥン』はすでにカタチを喪い、視界もまたひどく不安定だった。

少しでも気を抜けば、完全に意識を手放すことになるだろう。


それでも彼女は、何かを求めるように空を仰いでいた。


「碧の──」


崩壊していく街。猛然と燃え上がる炎。

さまざまな悲劇が駆け巡る戦場において、迸るその色彩をクリスは覚えている。


「聖女様の、光」


……そう忘れるわけがないのだ。

それは■■■■■が死んだあの日、雪降る村の記憶において、唯一はっきりと覚えている光景だった。


あの時降臨した奇蹟の光は、今でも目蓋に焼き付いて離れていない。


「────」


その瞬間、彼女は聖女の姿を幻視した。

碧の色彩をまとい、戦場にて剣を振るう彼女が、クリスの目の前にいた。

あの時と同じ力強さに、彼女は自然と手を伸ばしていた。


「あ──」


──しかしそこに、ふっ、と別の光景が立ち現れていた。


力強い聖女の姿と加算るように、代わりに一人の少年がそこにはいた。

同じように碧の色彩を纏い、同じように剣を振るってはいる。

だが、その表情はまるで違うものだった。


翅広げる聖女と対称的に、その少年はひどく小さく、弱々しく見えた。

目元は赤く腫れており、涙こそ流れていないものの、しかし寧ろそれが必死にやせ我慢しているようにも見えて──


──その時、彼女は知らない自分を見た。


それは幼く、未だ自分で立つことすらままならない頃の自分だった。

まだ自分が誰かに守られていることに気づいていない。

安全で暖かい家の中だけが世界であり、無邪気に笑って、泣いて、眠っていた頃の自分。


もうずっと忘れていた。

そうだ。

確かに自分は、こんな家の中で生まれてたのだ。


お母さんと、お父さん。

そしてもう一人いる。

彼は両親が不在の間、彼女の守りを任されている。


彼は、よく彼女と遊んでくれた。

ある日は積み木のおもちゃを広げたし、剣に見立てて棒を振り回したこともある。

もちろんお伽話だって読んでくれた。具体的にどんな話だったかは思い出せないけれど、その時確かに自分は笑っていたように思う。


そして彼は──あの日だって。


「……手、手を」


クリスはどこか、誰かに向かってに手を伸ばしていた。

もはや重なる光景のどちらが現実で、どちらが過去なのか、うまく判別がつかない。


ただずっと胸の奥で堰き止められていた何かが、溢れ出ようとしている。


そうだ、確かにあの日──手を伸ばしたんだ。


雪降る街が炎に包まれたあの日、ずっと彼女はずっと泣いていた。

自分の足で歩くことのできない彼女は、何も理解できないまま泣きわめくことしかできなかった。

そんな彼女の手を──彼はずっと握っていたんだ。


──待ってて、絶対に、守るから。


誰かの声が、忘れていた過去の声がした。


──ここに隠れていれば大丈夫。あとは僕が闘うから安心して。


その声はかすれていたことを覚えている。

彼は煤にまみれていて、服だってボロボロ。額には玉のような汗が浮かんでいた。

でもそんな彼は、決して弱々しくは見えなかった。

むしろそう、あの時の聖女様と同じくらいに強く、頼もしかった。


その声が聞こえたから、あの日も安心していられた。

恐怖に心が歪むことなく、不安と飢えを苦しむことなく、聖女様を待っていられたのだ。



「──ごめんなさい、■■■■■。お兄ちゃんは、君を守ることができなかった」



過去と現在が入り乱れる視界の中、その少年はそう口にした。

その瞳からはずっと我慢していたであろう涙が流れていた。

本当に、寂しそうな表情を浮かべながら──


「あ、ああ──」


その時、クリスは声を上げていた。


──お兄ちゃん、と。


伸ばした手の先に、かつて確かにあったぬくもりの感触が、蘇っていた

まだ歩けなかったこの手を引いてくれた誰かがいた。

ずっと忘れていた。

当たり前すぎて思い出すことができなかったもの。


「違うの。確かにあの時、お兄ちゃんは私を守ってくれたの」


声を上げると同時に、少年がこちらを振り向いた。


その瞬間、少女は彼の名前を呼んだ。

それはこの十年の間、誰にも口にされたことない音だった。

もはや覚えているものは二人以外誰もいない。

少年はその名をもう使ってはいなかったし、少女はその名を頑なに拒絶していた。


だけど──忘れてはいなかった。


「ずっとずっと前、とっくの昔に! もうお兄ちゃんは私を守ってる!」


そうだ、彼がいたから、クリスとしてもう一度生まれることができた。

新たな名を手に入れてたからこそ、目を向けることができなかった思い出。

それを、彼女は今取り戻していた。


「だから、もうそんな顔しなくていいの。

 お兄ちゃんはもう、十分、■■■■■を守ったん、だから」

「──君は」


聖女の色彩たる碧の奔流の中、少年と少女は言葉を交わしていた。


「君は──何?

 僕は君がわからない。

 何よりも大切だと頭の中で声がするのに、でも、わからないんです。

 どんどん曖昧になっていく。僕にとって、君が、なんだったのか──」

「あ──」


彼は今、何を喪い、何を取り戻そうとしているのか。

自分は今、何を取り戻し、何を喪おうとしているのか。


「────」


光の中で突きつけられた現実に対し、彼女は精一杯の微笑みで返した。


「大丈夫。

 もう、私に謝らなくていいから。

 忘れちゃっても、大丈夫だよ。

 だって私はもう一人で歩けるようになったから。

 あなたが守ってくれたおかげで、大切な人たちと会うことができたから」


そう、微笑みだ。

苦しそうに、寂しそうな顔を浮かべる彼に対し、笑ってみせた。


「私も、あなたのことを許さなくていい。

 そして憎まなくても、いいんだ」


たとえ涙で視界が覆われようとも──


「──さようなら、お兄ちゃん」


きっとその呼び方は、これ最後になるだろう。

そう思いながら、クリスティアーネ・ブランミッシェルは彼へ別れを告げた。


……最後に、少年もまた笑い返してくれたように思う。


あの時とは何もかも変わってしまったけど、でも、もう一度だけ──




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ