178_犠牲と希望
田中はキョウをまっすぐと見据えていた。
その色素の薄い瞳から目をそらさぬよう、じっと見据える。
「…………」
彼女に対し、余分な言葉は通じないだろう。
元より理屈で動く人間ではない。
もっと単純で、わかりやすく、そして厳しい。
そういう人間だということを、彼はもう知っている。
そうなんだから──まぁ、信じてもらうほかにないのだ。
キョウは田中のことを、そのままじいっと見つめたのち、
「うん、わかりました!」
あっさりと承諾してくれた。
「まぁいいですよ。あそこまで飛んでいけばいんですね?」
「……簡単な奴だ」
「なんですかその反応は! 全部私とリューの厚意に感謝してください」
「いや感謝はしている。よくこんな危ない奴の言うことを聞くなと思っただけだ」
「信じたというか、危なくなったら後ろから殴って止めればいいやって」
キョウの言葉に、田中はどこか自虐的に笑った。
なるほどそれは力強い言葉だった。
「こほん、二人で楽しそうにやってるとこ悪いんだけど」
と、そこで口を挟んだんはカーバンクルだった。
彼女は空に渦巻く碧の核を指さして、
「あれ、たぶん、君の翼じゃいけないぜ?」
「え!? 本当ですか?」
「ああ、あれたぶん、聖女を中心に幻想純度がとにかく上がってる。
疑似的な障壁にもなってるんだろうな。突破することは難しいよ」
覚えいるかい、とカーバンクルは田中へと語り掛けた。
「第六聖女エリスが創っていたあの街のようなものだ。
聖女自身が放出される幻想を基に、中に空間を創っている状態だろう。
第一・第六以外にも、第三あたりで観測されたことのある現象だ」
「それで突破法は? あるんだろう」
「もう少し焦ったようなフリをした方がいいぜ、可愛げがあった方が私が喜ぶから」
カーバンクルはそう軽く言いつつ、告げた。
火力だよ、と。
「あの障壁自体はひどく単純な仕組みだから、幻想を一気に放出する技で、一瞬でも穴を開ければいい」
「火力……」
「おそらく私やそこの不殺剣士の偽剣じゃ無理だろう。
生半可なフィジカル・ブラスターじゃ突破できないはずだ」
その言葉を受け、田中はこの場に集った者たちの装備を見る。
キョウ、カーバンクルが無理だとすれば、ハイネの『ピュアーネイル』も難しいだろう。雪乃は当然剣など持ってはいない。
聖女戦線で見せたクリスの『ルゥン』ならばあるいは、と思うが、肝心の使用者が倒れてしまっている。
この場で剣だけを突貫で使ったところで上手く行くとも思えない。
となれば、残されたのは田中の偽剣だ。
聖女たちの奇蹟を、物質として堕としたこの剣だが──
「『アマネ』や『ミオ』では無理だ。突破できるような力はない」
「だがもう一振りあるだろう?」
カーバンクルの言葉に田中は言葉に詰まった。
あと一振り、その銘は『エリス』。
彼が今手にしている三振りの偽剣のうち、最初に手に入れながら未だその奇蹟を開放したことはなかった。
「“犠牲”の奇蹟を使えば、きっと道は開けるはずだ。
あれ、ちょっとした記憶を食わせるだけで閃光撃ちまくってたくらいだしね」
“さかしまの城”での一幕が思い出される。
それはもはや遠い過去のことのようだった。
あそこからすべてが始まった。
記憶を“犠牲”にしていた、あの聖女エリスとの出会いから。
「“犠牲”か」
田中は己の握りしめた『エリス』の刀身を見据える。
美しくも儚い、片刃の剣。
幅広の刀身は向こう側が見えそうになるほど薄く、それ故に鋭利さと脆弱さを同じ刃の中に同居していた。
その白い装飾に彩られた黄玉の色彩は──“雨の街”と同じく、この東京ににあっても異様なまで映えいる。
そう、田中が今までこの剣の奇蹟を使わなかったのは──ひとえに恐れていたからだ。
何かを喪うこと。何かを忘れてしまうこと。これ以上、自分を削ってしまうことを。
だが、今こそ──
「──待ってください」
不意に田中の逡巡を遮られた。
「その役目、僕にお願いできないでしょうか?」
ハイネ。
それまで口を噤んでいた彼が顔を上げ、田中へと告げる。
「……“犠牲”は僕が差し出します」