176_誰でもいいから私だけの ⑦
「でも、いや、だからこそ──許せないの! みんなを殺したこいつが!」
え、とキョウの口から声が漏れる。
クリスは、キョウからぶつけられた言葉から逃げることなく叫びを上げる。
そこに浮かぶのは怒りの表情であり、憎悪の表情でもあり、そして悲しみの表情であるようにも見えた。
「────」
その表情を見たハイネは何かに打ちのめされたかのように、目を見開いていた。
「殺したって……! でもこの人が兄なら、クリスさんの家族を殺すって、そんなこと……!
「私が怒ってるのは、そんなことじゃないの!
私が言っている“家族”は、私が言っているみんなは──」
なんでわからないの、とクリスは漏らす。
そう告げる相手は、キョウなのか、あるいはハイネなのか。
「私が言っているのは、今の私の家族!
私を、クリスティアーネ・ブランミッシェルを創ってくれた私の家族」
「それは……」
「全部忘れたわけじゃない。
執着していないわけじゃない。
でも今の私が、私であるために一番大事ことは、あの人たちなんだ!
メロン将軍、レイリー、ティムおじさん……私がすきなあの人たち!」
クリスは言う。言い続ける。
ハイネに向けての、心の底からの糾弾を。
「戦場で初めてコイツと会った時、私だって……! わかったんだよ?
家族だって──ずっと忘れてた家族だって!
もううっすらとしか覚えていないと思ってたのに、わかったの。わかっちゃったの」
今度は、ハイネが顔を歪める番だった。
忘れられた。だから拒絶されたと彼はかつて語っていた。
だがそれは──間違っていた。
「でも、コイツ! 私と再会した時、コイツ、何をしたと思う?
こいつは──聖女軍の兵士を斬ってた。
悪戯好きのリックと、私より力持ちだったエミリィを殺した。
血はつながってなかったけど、でもあの人たちだって、私の家族だった!
私が愛した人たちだったんだ!」
また会えてよかった。
本当に、本当に良かった。
生きていてくれて、本当に幸せだ。
■■■■■。
「そんなことを、あの人たちの死体を踏んづけて言うんだ。
いいよ、戦場で人が死ぬのは、別にいいよ!
私だって、あの人たちだって、それくらいのことは覚悟している。
でも、こいつは嬉しそうだったんだ。
本当に幸せそうな顔をして、血まみれで、そんなひどいことを……!
こいつが、幸せそうな顔をして、殺してた。
私のだいすきな人たちを、私の家族を──そんなの、だから!」
クリスの瞳からは、すでに聖女の碧の色彩は消えていた。
代わりにあったのは、ただ一人の少女の、涙だった。
「それなのに……コイツ、笑って言うんだ。
よかった。よかった。
幸せだ、奇蹟だって……言った。
……やだよ。
そんなの、私は何も幸せじゃない。幸せなんかじゃない!
だから言ってやった! お前なんか家族じゃないって……!」
同時にキョウへと向けられる剣は徐々にその力を喪っていく。
「そしたら何?
私が、全部忘れてると思って、守ろうとしてきた。
敵なのに戦場でストーカーみたいにくっついてきて、危なくなったら勝手に守ってくる。
すぐに気づいた。
勝手に一人で納得して、勝手に一人で傷ついて──それでいい気になってるんだって!」
クリスはすでにキョウを見ていなかった。
その向こうに立つハイネに向かって、剣よりもずっと鋭い言葉を投げつけている。
「そんなに傷つく自分が気持ちがいいの!?
私を守るって言って、私の家族を殺し続けて、あなたはそれで満足だったの?
私のことを── 一度でも見た?
闘う理由になるのなら、誰でもよかったんじゃないの?」
「……っ! それは!」
ハイネはうめくように言った。「違う」と。
「僕は、違う。
僕はお前を守るために──そうでもしないと生きていられなかったから」
「ほらやっぱり、私のためじゃなかったんだ!」
「たとえそれが誰のためでもいい!
お前にはただ──生きていてほしかったんだ!」
「うるさい!」
そう叫びをあげて、クリスは再び剣をふるった。
キョウがそれを阻もうとするが──しかし、それをハイネが背後から襲った。
「──え?」とキョウは声を漏らす。
予期せぬ方向からの攻撃に態勢を崩し、クリスの突破を許してしまう。
「死んで! お兄ちゃん!」
そう叫びをあげて『ルゥン』が振るわれる。
その刃に向かって、ハイネは飛び込むように跳躍してた。
その瞳には何も映ってはないない。
これまでずっと闘い、苦しんできた彼は、その瞬間、すべてを捨てようとしたのだ。
「やめろよ」
──その行いこそが、田中には許せないことだった。
ずっと事態を傍観していた彼の足は、その時自然と動いていた。
『エリス』を抜いた彼は、ハイネを庇うように前に立つ。
「お前! 異端審問官!」
「……やめろよ」
ハイネはもしかすると、気づいていたのかもしれない。己の行いが決してクリスのためではないことも。
だがそれでも、きっと彼は闘い続けるしかなかった。
すべてを喪った彼が、彼として生きるためには、他に道はなかった。
クリスがハイネを許せないのもまた、当然のことだった。
彼女にはもう過去とは違う、新たな生き方があって、そのためには譲れないものができていた。
それを踏みにじる者を許すことはできないだろう。
ハイネとクリス。
彼らのどちらが間違っていたのか、あるいは何が間違ってしまったのか。
田中は言うことはできない。きっと誰にも言う権利はない。
「それでも、お前たちはまだ、同じところに立っているんだろう」
だから、田中はその胸に渦巻く複雑な想いを押し殺す。
ただそれでも、言わなければならないことがあった。
「確かにぐちゃぐちゃで、捻じれてしまって、目を背けたいだろうけど!
でもお前たちは、まだ終わってないだろう」
母がいて、父がいて、自分がいて。
その物語は、気づかないうちに終わりを迎えていた。
この東京という現実に、田中の居場所はなくなっていた。
しかし彼らはまだ、何もかも終わったわけじゃないはずだ。
「 ハッピーエンドでなくてもいい。大団円なんて気軽に言うもんか。
でも──こんなどうしようもない結末に逃げ込むのだけは、やめてくれ」
その声音は、懇願に近いものに聞こえた。
崩れる“現実”の中で、彼はせめてもの願いを口にしていた。
「そう、ですよ」
立ち上がったキョウは静かに語り掛けた。
「クリスさん、ハイネさん。
貴方たちがつらいのはわかります。
でもここで全部おしまいにしてしまうなんて、やっぱり駄目ですよ。
だって、私が許しませんから。
そんな簡単に終わらせるなんて、私が許さない」
なんて理不尽な言葉だろう。
だが、そうエゴイスティックな言葉と共に『ネヘリス』を向けるキョウは、どこまでも強く見えた。
「キョウ、アンタ」
クリスはかすれた声でその名を呼んだ。
「……クリスさん。
言ったでしょう? 絶対に殺させないって。
私がいる以上、ここで全部終わらせちゃうなんて無理なんです。
だから、諦めてください」
「そんな、理不尽──」
「理不尽ですよ! でもそういうもんじゃないですか! 今までだって、これからだって!」
そう強く語るキョウを動かすことは無理だろう。
田中は知っているし、きっと同じ隊にいたクリスだって知っている。
どれほどここで終わらせてしまうことを望んでも──許してはくれないと。
からん、と剣が落ちた。
『ルゥン』がクリスの手から滑り落ちていた。
「……じゃあ、一体どうしろって……」
そしてそのまま彼女は倒れ伏した。
元より疲労困憊だったのだろう。
気が一瞬抜けただけで限界が来て、動けなくなってしまったようだった。
「────」
そして、もう一人の少年は──