174_誰でもいいから私だけの ⑤
「…………」
「そう警戒するなよ。
別に売りとばしゃしないよ。
売る相手もいないような時代なんだぜ」
ははは、と彼女──アカ・カーバンクルアイは笑って言った。
初めてその名を聞いたとき、ヘンテコな名前だと、子供心に思ったものだった。
「いや、君なんか強いらしいんじゃん
いや、保護リストの備考見たら、妙に面白いこと書いてあったから来てみたんだけど」
「保護……?」
「うん? 保護だよ、捕虜じゃない。
別に君たちの村、“教会”の敵だった訳じゃないしね。
聖女が近くにいたんで乗り出したら、なんかお互い警戒して戦闘に入っちゃったってだけで」
それは──なんとなく察していた。
あの日、“教会”が村を襲いにきたわけではなかった。
聖女軍も“教会”も、村も、混乱の中殺し合ったというのが正しいのだろう。
そして村はあっけなく潰れてしまった。
よくある話だ。
善も悪もないこの時代、このようには溢れている話だ。
しかし、そのことを面と向かって告げられた時、ハイネは言葉にできなかった。
母も父も、もうすでにいない。守ろうとした妹だって──
「──でさ、君、これからどうするんだい?」
そこで、カーバンクルはこちらの心情を読んだかのように、
「だが今の君は宙ぶらりんの立場だ。
なんとなしに保護されはしたが、だからといって今後“教会”に君をどうしようというプランがある訳でもない。
今は治療中ということで、なんとなくこの病院にいることができるが、完治したあとどこに行けばいいんだろうな、君は」
カーバンクルはそこで、ふふ、と笑って見せ、
「だがしかし、君には剣の腕がある。
そして“教会”にはちょうど、常に人手不足の部署があってね。
正規軍とはまた違う、汚れ役だが、職場の雰囲気は悪くないよ、うん。
まぁさすがに君は子供だから、五年ほど下積みがいるかなぁ」
……そうして案内されたのが、異端審問官であった。
その誘いに抵抗がなかったといえば嘘になる。
直接ではないとはいえ、村が壊滅する切っ掛けとなった“教会”に力を貸すことになるのだから。
しかしその迷いも一瞬のことだった。
どんな手を使ってでも生き抜け。
かつて母が告げたその言葉が、ハイネの選択を後押ししてくれたのだった。
……それから、数年後にはハイネはもう灰色のカソックを身にまとっていた。
五年は下積み、と言われていたが、
彼はその倍の速さで、異端審問官として活躍することになる。
異端審問官は元より正規軍より成り手の少ない場所だ。
その有望なホープとしてカーバンクルが育てたというのも大きい。
子どもとして場に潜入し、諜報活動を行いつつ、場合によっては暗殺さえも行う。
幼さをむしろ武器として使いつつ、ハイネは“教会”内にて確かな地位を築いていった。
そうして、生きること、生き抜くことは問題なくできるようになっていった。
だが問題は──何のために生きるか、だった。
守ってくれた人も、守りたかった人ももういない。
手に入れたいものもない。権力も名声も、今の時代さして役に立つとも思えない。
だからといって安息の場所などもっとないだろう。
「……聖女戦線」
着実な地位を築き、異端審問官の2《ツヴァイ》という名を得たハイネは、カーバンクルに対し告げた。
「僕は第一聖女を討ちたいんです。
あの因縁の場所にいる。あの人を終わらせたい」
「それは……何故?」
「僕の過去を、終わらせるため。世界の秩序を乱す聖女を討つためです。“教会”が再び築こうとしている社会システムにおいて、邪魔な存在だから」
嘘だった。
第一聖女ニケア。
彼女への憎しみなど、正直なところ一切なかった。
彼女の存在がハイネの故郷を焼く遠因になったのは事実だ。
だがならば“教会”の方がよほど直接的にかかわっている。
そんなことは正直なところどうでもよかった。
だから本当のところは──未練だった。
聖女戦線。
雪降り続ける村を襲った戦争は、まだ続いていた。
そこにもう一度足を踏み込むことで、探したかった。
かつて失ってしまったものの残滓を。
もうすでに喪われてしまったものに、女々しくしがみつくように。
忘れるべきだと思った。
でも諦めることができなかった。
ハイネでない、本当の名前をまた誰かが呼んでくれることを──
──そして、奇蹟は起こった。
◇
「──お前なんか! お前なんか!」
クリスは叫びと共にハイネに襲い掛かっている。
彼が反撃してい来ないことを悟ったからか、彼女の剣戟は目に見えて雑になっている。
ひたすら力押しの、技の感じられない攻撃。
それは、彼女の感情の昂ぶりを示すような、乱れた剣だった。
「────」
だが、当のハイネはそれを淡々と処理するのみだ。
言葉一つ発してはいない。
彼はクリスを見つつ、同時にあたりにも気を配っているようだった。
それは恐らく、クリスに害をなすものが、横から現れないかを警戒しているのだ。
この異世界で、クリスと戦いながら、ハイネは彼女を守ろうとしていた。
その様を見たとき、キョウは一つ、決断を下していた。
ダッ、と跳躍の音がした。
「……っ! キョウ? アンタ!」
「もう、やめてください」
キョウは、気づけば二人の間に割り込んでいた。
『ルゥン』を『ネヘリス』で受け止めるキョウ。そんな彼女をクリスを見上げている。
「キョウ! 邪魔!」
「いい加減気づいてください。その人はきっと──」
背中にいるはずのハイネの表情は見えない。
きっと彼は表情一つ変えていないだろう。
そしてキョウが少しでもクリスを傷つけようとしたら、迷わず剣を向けてくるだろう。
その重みを背中に感じながら、キョウはクリスへと言葉をぶつけようとした。
「その人は──貴方の本当の家族なんです!」