172_誰でもいいから私だけの ③
刃と刃、幻想と幻想が衝突する不快な音が鳴り響いた。
クリスは肉厚の大剣『ルゥン』を、ハイネは片刃の長剣『ピュアーネイル』を、それぞれ交わしている。
「アンタ! 今日! ここでっ!」
クリスはその瞳に烈火のような怒りを灯していた。
突如として現れた異端審問官に、細かい状況の把握が追いついていないようだった。
「────」
対するハイネは黙々と彼女の剣戟をいなしていた。
怒りと憎しみを燃やすクリスに対して、ハイネは感情を窺わせない、冷たい無表情を張り付けていた。
偽剣の音が東京の街に響き渡る。
空の戦艦に目を奪われていた周りの人間たちも、剣を振るう彼らに気づいていき、声を上げて離れていくのが見えた。
キョウはそんな中、どう動くべきか決めあぐねていた。
聖女軍の戦艦たち、ハイネやクリスによる偽剣戦、徐々に溢れ出る幻想。
──ここも、私たちの世界みたいに、なっちゃうんですね。
どこか諦観に近い想いがキョウの心の中に溜めていった。
だが今はそれどころではない。まず目の前の事態、クリスとハイネについてどうにかしなければならない。
仮にどちらかが、どちらかを殺そうとするのなら、キョウは迷わず介入するつもりだった.
ただ、この闘いの間には深い因縁があることも──彼女は知っていた。
そして、それはずっと複雑に絡まってしまって、もはや解けないほどのものであることも……
“だから……あの灰色。異端審問官。私は、絶対にアイツを許せないの”
聖女戦線、言語船『リーンアーク』内での会話が、脳裏を過る。
あの時、クリスは深い憎しみを込めて、その言葉を口にしていた。
キョウは思い出す。
あの船にて、彼女が語っていた──絶対に許せない敵のことを。
“……教えてあげる。私と、あの異端審問官の因縁”
YUKINO隊が異端審問官に最初に敗けたあと。
それまでつっけんどんだったクリスが、初めて心を開いてくれた。
まずキョウの話をした。
喪ってしまった家族のこと、翼のこと、田中を追ってここまで来たこと。
隊の一員として、キョウはなるべく包み隠さず伝えた。
すると、その想いが通じたか、クリスもまたその過去について教えてくれた。
“アイツは、あの異端審問官は私の名前を知っていたんだ”
クリスはその時、淡々としたトーンで語っていた。
“私の──昔の名前。
戦場であった私に対してさ、突然なんか言ってきたの”
■■■■■、と彼女は言った。
クリスが口にするその音はひどく上滑りしていて、どこか聞いたことのない言語のようだった。
そのあと、クリスは語ってくれた。
クリスティアーネ・ブランミッシェルという名は、あとから自分でつけたものだということ。
彼女が闘う理由を。彼女を救ってくれた過去を。彼女がその名を自ら名乗ることへの覚悟を。
そしてそのうえで──言うのだ。
知ってたんだ、と。
“アイツ、あの異端審問官は、私の昔の名前を知っていた”
戦場で初めて交戦したとき、あの異端審問官はその名を告げてきたのだという。
“私だけじゃない。私の……ほんとうのお母さんとか、お父さんとか、みんな知っていた”
“それは……”
“殺したからよ、アイツが”
クリスは重ねるように言う。
“アイツがみんなを殺したから。
だから知ってる。異端審問官が知っている理由なんて、それ以外にないでしょう”
クリスはそのとき、あくまで静かな口調で語っていた。
顔をわずかに俯かせ、その瞳に一切の感情の色は見せず、ここにいない誰かを突き放すように、言うのだった。
“みんなを殺した。
そのうえで、クリスじゃない私の名前を、私の消えてしまった過去を、これ見よがしに突きつけてくる。
許せない。許せない──絶対に……みんなを殺した奴を!”
クリスはそう語っていた。
だが──キョウは同時に知っている。
クリスが憎む敵、ハイネという異端審問官が、確かにクリスを守ろうとしていたことを。
少なくともキョウが見てきた範囲で、彼は敵であるようにふるまいつつも、決定的な瞬間では迷わずクリスを助けようとしていた。
さっきだってそうだ。
力づくでクリスを止めようとしたキョウを、猛然とやってきた彼が止めていった。
だったら、それはきっと──
キョウの瞳が迷いに揺れる中、クリスとハイネは剣を交わし続けている。
と、いってもハイネは一切攻撃をしていない。
ただクリスが憎しみを持って剣を振るっているだけだ。
「……間に合わなかったか」
そんな中、不意に聞き覚えのある声がした。
「田中君」
「クリスの居場所を伝えれば、すぐに跳んでいったよ」
ロイ田中。
アスファルトの上を跳躍してやってきた彼は、偽剣『エリス』を握りしめている。
「そしたら──やはりこうなったか」
「ロイ君、知っているんですね。クリスさんたちのこと」
「……大体、になるが」
その口調に田中もまた、迷っていることが掴めた。
それはきっとクリスたちのことだけではないだろう。
こちらの世界に来て、田中に何があったのか、キョウは掴んでいない。
だがその表情を見れば、その懊悩を推し量ることはできた。
「ハイネは言った。手を出すな、と」
田中は目を細め、キョウと並んでクリスたちの闘いを見ている。
「……きっとアイツにとっては、絶対に譲れないものなんだ。
そこを否定されたら、自分が自分でわからなくなってしまうほどの──」
その言葉が届くことなく、ハイネはただクリスの刃を受けている。