170_誰でもいいから私だけの ①
空では見覚えのある戦艦たちが並んでいる。
加えてぱらぱらと雪が降り始め、流れる空気には幻想が混じっていく。
「……崩れる時は、ほんとうに一瞬だね」
カーバンクルはぼそりと呟いた。
「方角としては新宿あたり……田中君が行った方向、か。
何がトリガーなのかかは、まぁ、なんとなく想像はつくね」
この東京が急速に聖女戦線へと近づいている。
実際、カーバンクルとてこの状況を想定していない訳ではなかった。
まず自分がこの地に転移し、次に異形が現れ、遅れて田中やハイネ、そして聖女がやってきた。
「だから、君たちみたいなのもやってきたのかな……いや、君たちからすればいい迷惑だろうけど」
その視線の先には、無数の兵士たちが倒れている。
聖女軍の紋章が刻まれた装備に身を包んだ彼らもまた、戦艦と同様に東京に迷い込んでしまったのだろう。
女子寮の前にて遭遇したカーバンクルは、一瞬だけ悩んだのち彼を叩きのめすことを選んだ。
「いくらなんでも説明している時間がなかったんだ。
暴力的だが、わかってくれよ? 雇い主」
カーバンクルは悪戯っぽく笑いながら、ふっ、と手に持った偽剣『リヘリオン』を消した。
すでにその剣の出し入れは自在にできるようになっている。
だからスマホなどもう使う必要もないし、比喩でない直接的な戦闘だって可能だ。
「…………」
雇い主こと六反園雪乃は、無言で倒れた人々を見つめている。
少し刺激が強かったかな、とカーバンクルは思う。
異形狩りよりも、よほどバイオレンスな光景なのだから。
一応、まだぎりぎり社会が生きている、ということで殺人まではしていない。
敵が量産型の劣化品しか使っていないということで、カーバンクルにしてみればその程度の手加減は簡単だった。
「これに懲りたらとりあえず外に出るなんて言わず、家の中にいな。
三十飯三十泊の恩ということで、私がとりあえず優先して守ってあげるから──」
「あは」
と、そこで雪乃は笑った。
「ははは……はは」
まずは地面に倒れ伏す兵士たちを見て。
次に戦艦が並ぶ空を見上げて。
うっとりするような笑い声を街に響かせていた。
「……やっと、やっと来たんですね」
雪乃は頬を紅潮させ、どこか喜ぶようにその身を抱いた。
待ち焦がれた場面に立ち会った、とでもいうようなその姿に、カーバンクルは、やれやれ、と肩をすくめた。
──なんとなく察してはいたけどね。この娘が本当は何を望んでいたか、なんて。
東京を守るためにパトロール、なんて言っていたけれど、実際のところ彼女が欲したいたものは社会の平穏やら、人々の眠りみたいなものじゃないらしい。
「カーバンクルさん。私を守ってくれるんですよね?」
「うん? ああ、言っただろう。恩には報いるさ」
そう聞くと「ありがとうございます!」と雪乃は昂った口調で言った。
そして、ぴっ、と新宿の方を指さして、
「じゃあ、私、行きたいんです! あそこに!
あの人、田中さんもあっちにいるんでしょう?」
楽しそうに言う彼女に、カーバンクルは、あー、と曖昧な返事をしてしまった。
── 一番の激戦地に行きたいとは。無理難題を言うよ。
先走るブレードハッピーや不殺剣士は置いておいて、もう少し様子を見ていたかったが、どうやらそんな余裕はないらしかった。
◇
「待ってくださいって! クリスさん、ここは」
「よくわかんないけど、やっぱりここ戦場じゃない!」
飛び出したクリスに対して、キョウは必死に彼女を押しとどめていた。
彼女にしてみれば初日以来の東京だったが、この数日ひたすらこの世界の情報を得てきたことが功を奏し、外に出てもさほど迷いはしなかった。
加えてクリスにもスマホを持たせていたので追いつくことはさほど難しくはなかった。
立ち並ぶビルの中、キョウは駆け出そうとする彼女の肩を必死に抑える。
空に現れた戦艦を見たクリスは、それが聖女軍のものだとわかるとすぐに戻ろうとした。
「戻らないと! 敵前逃亡だと思われたどうするのよ」
「大丈夫です。ここは聖女戦線じゃないんですから」
「何が違うのよ!」
口論を交わしつつ、ちら、とキョウはあたりを窺う。
猛然と駆け出したクリスは、自然と大通りに出ていたのだろう。
早朝という時間帯も人通りはそう多くない。加えてみなの視線は空の戦艦に行っている。
── 一瞬なら剣で押しとめられるますか。
偽剣がもう抜けるようになっていることは聞いている。
これからどう動くにせよ、まだこちらの世界のことを知らないクリスが暴れることは避けたかった。
下手すれば──この世界の人が傷つきかねない。
だからキョウはまず彼女を止め、そのあと田中と合流する、と努めて冷静に判断した。
そこからの彼女の動きは速かった。
鞘から『ネヘリス』を抜き、クリスへとその剣をふるう。
不意を突かれたクリスは反応できていない。不殺の剣による彼女は昏倒し、一瞬で剣を消す。
──その筈、だった。
「邪魔だ!」
どこからより跳んできた影が、キョウの剣を弾いていた。
金属が鳴り響き、キョウの瞳が見開かれる。
そのとき反射的に跳躍を選んでいなかったら危なかった。
ひゅん、と空を切る音がして、さっきまで彼女がいた場所に剣が薙がれていた。
──あ、跳躍。できるようになってたんですね。
やった後になってキョウはそんなことを思った。
そして次に、現れた影を確認した。
「傷は、つけさせない!」
鳶色の髪の少年だった。
そのりんとした声はあの聖女戦線で剣を交えたことがある者だ。
彼はクリスを守るように剣を構えて立っていた。
ここまで全力で駆けてきたのか、その息は荒い。
しかし鋭い戦意をその瞳に宿している。
「見つけた……こっちに来ていたのは、本当でしたか」
そうクリスに声をかける彼は──
「──お前ぇ! また!」
──そう、クリスが殺したいほど憎んでいる異端審問官。
ハイネというらしい彼に、背中からクリスが斬りかかっていた。