17_雨の回廊
「……ここは街の中心に続く回廊です」
アマネに手を引かれ、田中は灰色の街を誘われていた。
画一的な外観の建物が続く街並みの中、曲がりくねった道に沿って雨よけが造られている。
雨よけは石造りのアーチになっていて、土砂降りの雨にあっては心もとなかった。
しかし前を行く少女はそんなことをさして気にしていないようだった。
「そこには私の祈祷場があり、タイボがいます。
彼女に聞けば色々なことがわかるでしょう」
平坦な、機械じみた口調で語る彼女の背中を、田中は見つめていた。
アマネ。
自らを巫女と名乗った彼女は、あの雨の中で自分に手を差し伸べた。
あの朽ちた城でエリスと初めて会った時と同じ構図であった。
それを田中は手に取った。手に取ってしまった。
自分でも状況を理解できないままだった。しかし、それ以外の選択肢はないように思えたのだ。
「…………」
「…………」
二人は言葉も交わさず、どこか不思議な緊張感の下、並んで歩いていく。
そうしていると田中は奇妙な点に気づいていた。
ずぶ濡れだったはずのアマネの衣服がもう乾き始めていた。
その様はまるで生物の代謝を思わせる。髪はつやを取り戻し、衣装に描かれた花の文様も元の乾いた姿を取り戻していた。
聖女、とアマネは名乗っていた。
それはエリスが名乗っていた肩書きと全く同じものであり、その彼女は犠牲と引き換えに物質を創り上げるという超常の力を披露していた。
あの奇蹟のような力を、アマネもまた宿しているのかもしれなかった。
そして何より、その容貌もエリスとうり二つだった。
無論、違う点も多くある。
まず見たところの年齢も、アマネの方が上に見えた。
背丈も伸びており、その佇まいと合わせて、エリスと比べてずっと大人びて見えた。
また最も大きな違いは、その長く伸びた髪だ。
膝ほどまでに伸ばされたその髪は、雨を弾き飛ばすにつれ、つやと柔らかさを取り戻していき、目を引いた。
碧の瞳を始めとするその顔つきは酷似しており、エリスが数年成長したらこうなる、という図を見せつけられているようでもあった。
とはいえそんなことはあり得ない。
エリスはあの朽ちた城で確かに手にかけた。ほかでもないロイ田中がそれをなしたのだ。
だから彼女はエリスではないし――無論、弥生とも違う。
「その、アマネさん」
迷った末、田中は彼女の名前を呼んだ。
「何故、俺を助けてくれたんだ?」
「聖女ですから」
そう尋ねると、彼女は振り向くことなく答えた。
「聖女として、この街に住まわせていただいている者として、当然の行いです」
そっけない答えを受け、田中は逡巡しつつも、
「その、聖女って一体なんなんだ?」
……そう尋ねた。
“教会”の異端審問官は、聖女のことを発狂した少女と語っていた。
だが、本当にそうだったのか。
確かにエリスはおかしな少女であった。そしてその奇蹟によって異様なものを創り上げようとしていた。
それでも田中は知っている。彼女の微笑みを、彼女が本当に人のことを想っていたことを――たとえそれが虚構だったとしても。
田中はごくりを唾を呑む。
自分がエリスを殺害してしまったことの意味を知ることを恐れていた。
弥生と同じ顔をした彼女たちは、一体なんだったのか。
ざざざ、と雨の音がする。地面に落ちた雫が飛び散って、足元を濡らした。
アマネはそこで立ち止り、田中を見上げた。
灰色の世界の中、光り輝く碧色の瞳で見つめられ、田中もまた足を止める。
「……私も、本当のところはよくわかっていません。
聖女とはなんであるのか。四季女神が去ったのち、なぜ私のような力を持つ少女が表れたのか」
ゆっくりと、アマネは語り始めた。
そして田中はこの立ち位置に強烈な既視感を覚えていた。
それはこの異様な世界を訪れる前のこと、確かにあったはずの、新宿の病院での思い出だった
“……人間時代も12世紀にもなるとね、かつて世界を守っていた女神様はどこかに行ってしまって、世界は荒れ放題なの”
「ですが、私は信じています。
私たちは、かつて世界にいたという女神様の代わりに、この奇蹟を授かったのだと」
記憶の中の弥生が語っているのか、今目の前にいるアマネが語っているのか、区別がつかなかった。
弥生はたまに、こういう落ち着いたしゃべり方をするときがあった。
そして田中は思い出していた。
聖女とはそう――弥生が創り上げた虚構の存在だったことを。
この世界もひいてはすべて、彼女が創り上げたもののはずだった。
「聖女とは人を救うものなのですよ。
だから私は貴方を助けた。そういうことです」
ひどく茫洋とした口調で紡がれたその言葉に、一切の感情の揺れは感じられなかった。
「そして聖女は決して人を憎みもしませんし、害することもありません。
そういう存在であるのが、理想ですから……」
それで話は終わりだと言わんばかりにアマネは田中から視線を逸らし、再び歩き出す。
田中は戸惑いつつも彼女のあとを追った。
とにかく彼女こそが、この虚構の世界で鍵になるのは間違いなかった。
雨の勢いは弱まることなく、むしろどんどん強まっているように思えた。
他のすべての音をかき消すように雨音が、街全体を包み込むように響き渡っていた。
ざざざ──
「ここが私の祈祷場になります」
回廊を抜けた先に、ぱっと視界が開けた。
そこは街の中枢に位置する石造りの広場だった。
女神の像が四方に据えられた広場には天蓋はなく、降り注ぐ雨を遮るものは一切なかった。
その場所は、エリスの城において祈りを捧げていた場所と酷似していた。