165_害獣
東京中に現れた無数の異形。
そして呼応するにように強まる偽剣の力と、聖女ニケア。
「……なるほどね、難しい局面じゃない」
女子寮の一室、カーバンクルの部屋の中。
一旦戻ってきた田中たちは、そこで顔を突き合わせて情報を整理していた。
しかし随分と男女比が偏ってしまった、と田中は醒めた思いで部屋を見た。
カーバンクルは立ちながら考えるそぶりを見せ、雪乃やキョウは流れるニュースにちらちらと視線を向けている。
画面の向こうでは「謎の害獣」として異形が報告されており、それに伴い外出を留めるよう何度も警告がなされていた。
一応現在は警察での出動で対応しているようだが、今後どういった方向に進むかは読めない。
「アップされている動画を見ると、異形……大分、映像が劣化しているみたいです」
雪乃がタブレットを操作しながら言った。
その画面には先ほどアップされたと思しき異形が暴れまわる姿が映っている。
その黒いもやのような何かが、腕のような何かを振り回し、破壊をしている──ようにかろうじて見える動画だった。
「……まだ完全には記録として残せていない、ということか?」
「でも同じじゃない? これだけ多くの人に見られていれば」
田中の言葉にカーバンクが応えた。
すると雪乃が言葉尻を捉え、
「いえ……まだ、ギリギリのところで常識の範疇になると思います。
実際に見ていない人には、あれが“現実”のものでないことは伝わらない。
危険な害獣が出回っている、というぐらいには思うでしょう。
ですがまだ──“現実”は壊れていない。まだなんです」
「…………」
雪乃の言葉に含まれたわずかな震えの意味を、田中はなんとなく掴むことができた。
だが、それを口にすることは敢えてしなかった。
「とにかく! 大変なことになっています」
代わりに割り込んできたのはキョウだった。
彼女はすっと立ち上がり、力を込めて言う。
その手にはいつの間にか『ネフェリス』が握られていた。
「私たちも、偽剣が使えるようになっています。
異形と戦いましょう。
見れば、今でも多くの出現が確認されているとか。
とりあえず戦える以上は、私も行きます」
キョウは迷わずそう言うのだった。
その瞳には何のうしろめたさも迷いも感じられなかった。
誰かのために“不殺”を掲げているわけではない。
それがキョウのありようだったが、しかしだからと言って誰かのために戦うことを躊躇うような人間でもなかった。
それはそう、田中もまたよく知っている。
「目立つから──とかは確かに言ってられないしねえ」
「そうです! 外に出ますよう! 私」
「あの……」
カーバンクルとのやり取りの最中、おずおずと声を上げるものがいた。
「あのさ、えと、これ、つまりどういうこと?」
金髪の少女、クリスはベッドから身を起こしつつ、戸惑いに瞳を揺らしていた。
「ここ、どこなの? なんか、正直意味がわからないんだけど。
なんで聖女軍のアンタが、“教会”の異端審問官と一緒にいるの?」
「クリスさんは寝ていてください!
まだお体に触りますので!」
「え、あ、まぁ、ぶっちゃけ身体調子悪いから寝たいんだけど……」
クリスの言葉を、キョウはぴしゃりと跳ね除けた。
「……はぁ、まぁ、また説明がいるかな」
カーバンクルが頭を抑えて言った。
このタイミングで現れたクリスにしてみれば、本当に何も意味がわからないだろう。
一応、交戦して敗れたことから、一度落ち着いているようには見えるのが幸いだった。
「キョウ、君はとりあえず彼女についていた方がいいだろうよ。
君が出てっちゃうと、この部屋に敵である私とロイ君が、クリスと過ごすことになるんだぜ」
「う、それは確かに……!
カーバンクルさんはともかく、ロイ君が一緒なのはちょっと危ないです」
何か声を上げようかと思ったが、反論の言葉が思い浮かばなかった。
「わかりました。とりあえず今晩はクリスさんの様子を見ます」
「……うん、ごめん、なんだかありがとう」
クリスは弱々しい声色で言った。
やはりまだ調子が出ていないのだろう。
とはいえ──このまま“現実”に幻想が増えていくのならば、いずれは彼女もまた聖別の力を取り戻すかもしれない。
そうなれば、注意が必要だ。
そう心の奥で田中は考えていた。
さらに同時に思ったのは、ハイネのことだった。
彼女はハイネを殺したいほど憎み、ハイネは彼女をすべてを賭けて守ろうとしている。
そのすれ違いには、果たしてどんな意味があるのか。
そのさなか、不意に田中のスマートフォンが振動した。
「え……」と声を漏らしたのは雪乃だった。
「田中さんの番号に電話? おかしいですね、ここにいる人たち以外知らないはずなのに」
「迷惑電話じゃないか?」
田中もまた戸惑いつつも、電話の画面を見たが、そこには見知らぬ番号が乗っているだけだった。
とはいえこのタイミングでかかってくるものがただの偶然であるとも思えなかった。
迷った末、田中は通話を選んだ。
『──もしもし。久しぶり、じゃない』
その声を、田中は忘れたことはなかった。
ある意味で、彼女のこともずっと求めていたのかもしれない。
聖女と戦う中で、ずっと幻影を追っていた、その開いて。
ああ、あの雨の音が聞こえてくる……
「太母」
『ふふふ、そう、私よ、私。
この“現実”なんかじゃない、ほんとうのわたし』
ユウカ・グレートマザーは続けていった。
『明日ってイヴよね。
再開するにはとってもいい日。
だから一回会わないかしら。
いいこと教えてあげるわよ……』