160_公園の戦争
夕暮れの公園。
そこは都心にぽっかりと浮かぶ空白地帯。
どこまでも伸びる影を踏みつけながら、田中とクリスが剣を交わしている。
遊んでいた子供たちやランニングをする中年などが見える中、彼らの戦争がひっそりと再開されているのだった。
肉厚の『ルゥン』が振り払われる。
田中はそれを跳躍で回避、は敢えてせずに地面を蹴った。
やわらかい土を蹴りあげる物質的な感覚。
勝手が違う、と思いつつも剣を握りしめる手は緩めない。
「跳躍が、なんか」
クリスがつんのめるように態勢を崩している。
追撃のために跳躍を行おうとして、あらぬところに出てしまったらしい。
結果的に距離ができ、田中も追撃ができない。
──やはり、いろいろと不完全な状態か。
田中は不思議と得心が行っていた。
どういう訳か偽剣を再び握れるようになったが、跳躍は不完全。
またこの分では言語を読み解き、特異な力を発生させることも難しいだろう。
当然だ。
ここは虚構の世界ではない。
剣から光だとか、言葉だとか、そういう妙なものを出すなんてこと、起こりうるはずがないのだ。
「クッソ、厭! なんか不愉快なんだから」
クリスが叫びをあげて突っ込んでくる。
それに呼応して周りがぎょっとして顔を上げるのが見えた。
中にはスマホを取り出しているものもいる。
呑気なものだ。
こちらは一応、本気で殺し合っているつもりなのだが、まるで見世物のようだった。
──それも仕方ないか。
立場が逆だったら、あるいは本当の“ロイ田中”がここに居合わせたら、やっぱりそのような態度になっただろう。
少女がバカでかい剣を握って、学生服の男とチャンバラをやっているのだ。
笑わない方がおかしい。
田中はどこか醒めた心地でそう分析しながら、地面を蹴った。
今は跳躍にはあまり頼らない方がいい。
制御できないものに命を任せる気にはなれない。
素早く動ける『エリス』でひとまず敵を無力化する。
「このぅ!」
クリスが悔し気に顔を歪めながらも大剣を振り回してくる。
彼女も跳躍なことに気づいたのか、不用意には跳んでは来なくなった。
それ故に動きは鈍くなり、単調にもなる。
それが大型の『ルゥン』なら尚のこと。
ぶうん、と空を切る。
冷静に剣戟を対処しながら田中は追撃の機会を窺っていた。
「──うぅ、この」
そして、その機会は思ったよりもずっと早くやってきた。
「け、偽剣が、重い。
なにこの……身体が」
クリスの剣は、みるみる内にその速度を喪っていく。
その額には弾のような汗が浮かび、しびれるように自身の腕を抑えてた。
不調を悟ったか、向こうは地面を蹴りを距離を取ってきた。
「お前──何をした」
「何もしてないさ」
以前、偽剣『ミオ』の力でクリスを“堕落”させたことがあった。
その時の経験からクリスは田中を警戒しているようだが、実のところ彼は本当に何もしてはいない。
「ここは“現実”なんだ。
お前たちみたいな──俺たちみたいなばかげた虚構が、力を出せるわけないだろう」
田中は吐き捨てるように言った。
考えれば、単純なことだった。
偽剣や跳躍が不完全なように、クリスの聖別もまた不完全なのだろう。
聖女の力を疑似的に再現する聖別。
それによってクリスは力を得ていた訳だが、聖女戦線でないここでは上手く機能しないようだった。
「子供なんだよ、きっと。俺も、お前も、ここでは何もできない」
「意味のわからないことを!」
そう叫びをあげてクリスは突進してくる。
田中は目を細める。剣を握り、意識を集中させる。
今はクリスを討ち取る絶好の機会だった。
彼女とは聖女軍の精鋭であることは間違いない。
諸々の事情を置いておいて、撃破できるタイミングを逃すこともない。
──ハイネ。
ただ脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。
この“現実”に転移する直前、彼はクリスを明らかにかばっていた。
そして言った。妹なのだ、と。
果たしてその真意がどこにあったのか、尋ねることは叶わなかったが。
そして意識を沈めながら、田中とクリスの身体は交錯し、どさ、と倒れる音がした。
「…………」
田中は無言で、横たわるクリスの身体を見下ろした。
構えた剣はそのままだった。
突っ込んできたクリスは、その剣を維持することができず勝手に倒れていた。
彼女の息は荒かった。額には汗が浮かび、意識が混濁しているのが見えた。
不完全な聖別の中、無理に力を使った余波。
そう分析した田中は息を吐いた。同時に『エリス』がどろりとその輪郭を喪い、溶けていった。
「えと、その、ロイさん」
背中から雪乃の声がした。
困惑と緊張が窺える彼女に、田中は「もう大丈夫」と返していた。
「なべて世はこともなし。この現実に何も変化は起こってないよ」
「…………」
周りにはギャラリーができていたが、しかしそれも大騒ぎというほどでもない。
コスプレ少女が公園で剣を振り回していただけ。
何かのじゃれ合いだと思われたのか、半笑いでこちらを眺めている者が多く見えた。
雪乃はしばらく当惑したように瞳を揺らしていたが、
「ここの管理者から何か言われるかもしれません。
とりあえず、逃げてしまいましょう」
「……ああ、そうだな」
どこに、とは聞かなかった。
ロイ田中は、この“現実”に居場所はなかった。
帰ることができる場所は、雪乃が用意したカーバンクルの部屋しかない。
「ええと、この人も連れて行った方がいい……のでは?」
雪乃は困ったように言った。
その視線の先には、苦しそうに息を吐くクリスの姿があった。
田中は無言で彼女の身体を担ぎ上げるのだった。
公園での戦闘は、それで終わりだった。
人に見られこそしたが、血も流れず、誰も死ななかった。
……しかし、平穏かつ強固だったはずの“現実”が穏やかに軋みを上げ始めていた。