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虚構転生//  作者: ゼップ
虚構都市“東京”
158/243

157_私も、誰でもない人間ですから


……それから田中は、部屋を後にしていた。


“ロイ田中”を暴行してから、それ以降の記憶はあいまいだった。

どうやら気絶した彼を放置して、失意のうちに部屋を後にしたらしい。


それから彼はよろよろと知らない街を歩き続けていた。

そこは東京であり、彼がよく知っているはずの街だった。

しかし、ここは彼の知らない“現実”だった。


無節操に群がる人々も、走り続ける車たちも、どこからか鳴り響く電子音も、すべてが遠い彼方のものに感じられた。

ここにいる誰かと、それを見る自分の間には、一枚の分厚い壁があった。

見えない壁であった。

つい先ほどまで、そこにあることに気づかないほどに。


間違っているのは、果たしてこの“現実”なのだろうか。

それとも──この自分こそが間違っているのだろうか。


“現実”のロイ田中の席はどうやらもう埋まっているらしかった。

となれば8《アハト》として血にまみれていたこの身は、ただの“虚構”だとでもいうのだろうか。


笑いたい気分だった。

あまりにもばかげている。おかしな考えだった。

しかしそれを笑い飛ばすことはできなかった。

寧ろ自分がおかしい・狂っていると考えた方が、よほど正しいとさえ思っていた。


それからふらふらと歩き続けた。

どこにも行く当てはなかった。当然、帰るべき場所もなかった。

青かった空は徐々に赤へと染まっていく。

夕暮れ、夜が近づていくる。

真っ暗で、誰もいない、静かな夜。

もしかすると自分はそれを望んでいるのかもしれない。


そんなことを、ぼんやりと考えていると、いつの間にかベンチに腰かけていた。

疲れていたのだろう。

水も飲まず、ふらふらと歩いていて、自然とここに座っている。

しかし座ったのか、ここはどこなのか、全くわからなかった。

すべてがあいまいで、どうでもよいものにも感じられたのだった。


「…………」


寒々とした風の中、彼はたった一人だった。

木々が植えられた公園では、遊んでいる子供たちやウェアを着て走り込んでいる人々がいる。

しかし彼らは田中のことなど知らない。

知らないまま、すべてが過ぎ去っていく──そのように思えた。


「あの」


だが、不意に呼びかける声がした。

最初はそれが自身に向けられたものだとは気づかなかった。

だからもう一度「あの」と声をかけられて、ようやく田中は顔を上げた。


「すいません、その、先ほどは突然……」


そこにいたのは、雪乃であった。

彼女は白い息を吐きながら、田中を見下ろしている。


「少し、取り乱してしまって。まさかあそこにみっちゃんがいるなんて」

「……いや、別にいいよ」


田中はひどく投げやりな口調で答えた。


「その、電話をかけても出られないので、勝手ですがこちらで探させてもらいました。

 カーバンクルさんから、一応、眼を離すなと念押しされていたので……逃げたのは私の方ですけど」

「ああ」


田中は声を漏らした。

先ほどから胸元でなっていたスマホを無視していた。

とはいえこのスマホも元々は雪乃が用意したもの。

アカウントの設定などをしておけば、バッテリーが生きている限り、位置を探知することは容易だろう。

だから見つかった。見つかってしまった。


「……何か、会ったんですか? ロイさん、何か様子が」


雪乃が荒い息を落ちつけながら尋ねてきた。

やはり今の自分は見るからにおかしいらしい。


雪乃の問いかけに、どう答えるべきか迷っていたが「ははっ」とそこでまた乾いた笑い声が響いた。


「どうやらね。俺はロイ田中じゃなかったらしい。勝手に俺がそう思い込んでただけみたいだ」


その時、彼はひどくくだけた口調になっていた。

言葉にすると本当に意味がわからない。

眼の前の雪乃も顔をぽかんとさせている。


「俺は、誰でもなかったんだ。

 帰ったら──いたんだよ、“現実”の俺が。

 あれはもうあっちの世界で闘っている俺とは、別の俺だった」


あの“ロイ田中”は弥生のことを知らない。

それが自然のことのようだった。

桜見弥生なんて人間はいなくて、ロイ田中は桜見三月とだけ幼馴染。

その母、夕香とも自然と交流がある。

そんな人間関係だったとすれば、今日のことはごくごく自然な形になる。


この“虚構”のロイ田中の居場所は──ここにはいない。


「母さんも、父さんも、嫌いだった俺はもうこの“現実”にいないらしい」


そう告げた時、雪乃の表情に変化が起こった。


昨日までの自分は、なんと牧歌的な考えをしていたのだろう。

帰ることを厭だと思いつつも、仕方がない選択肢だと考えていた。

だが、それは自分に帰る場所が残っていると、無条件に考えているからこその悩みだった。


「笑えることにさ。俺がいない間に、全部の問題が解決してたみたいなんだ。

 俺がいないこの“現実”で、俺が悩んでたことは全部終わっていた。

 俺が向き合わなかった物語は、何時か来ると思ってたすべては、俺がいないところで、いつの間にか終わってしまっていた」


雪乃には何のことかさっぱりわからないだろう。

説明する気のない言葉、誰でもない壁に喋る、独白のようなものだ。


「……だから、俺は誰でもない人間なんだ。“虚構”の、単なるキャラクターのような──」

「わかりますよ」


しかし雪乃はそう口にした。


「わかります……だって──」


その漆黒の瞳で田中を見据えて、告げるのだった。


「──私も、誰でもない人間ですから」






ちょっと次の投稿まで1~2週間開くかと思います。

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