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虚構転生//  作者: ゼップ
虚構都市“東京”
157/243

156_俺は誰だ


そこにいたのは、ロイ田中だった。

その姿をした誰かだった。

間違えるはずもない。

17年にも渡って付き合い続けたこの身だ。

父と母の特徴を引き継いだあの顔を、何度恨めしく鏡の前で見たかわからない。


ああ、だからそう──そこにいたのは、間違いなく自分自身だった。


もう一人の自分は、田中の存在に気づくことなく扉を閉じた。

外の音に何かを打ちのめされる気になったが、


「──クソっ」


胸に湧いた異様な衝動に突き動かされるように、田中は駆け出し、その扉をこじ開けた。

鍵のかかっていなかった扉はあっさりと開いた。

「なっ」とその向こうにいたもう一人のロイ田中の声が漏れた。


突然の侵入者に面を食らっているようだった。

その隙だらけな彼に、田中は襲い掛かった。

その手で当て身を食らわせ、くら、と態勢を崩した勢いのまま相手を組み伏せる。


“虚構”で闘ったどの相手よりも容易い相手だった。

向こうでは子供だってずっとうまく抵抗するだろう。

同じロイ田中であっても、8《アハト》として戦った田中と、ここにいる彼とでは全く動きが違った。

動けば激痛が走るように組み伏せる。この態勢では大声も出せないはずだ。

そして感情を押し殺した声で彼は尋ねる。


「お前は誰だ」


こぼれ出たのはそんな問いかけだった。

お前は誰だ。そうここにいるのは、自分のはずだった。

しかし、ではここにいる、自分と同じ顔をしたこの男は──


「だ、誰だよ。クソ、ご、強盗」

「答えろ。折るぞ」

「あ、う……」


一瞬だけ痛みを加えた。厭な音がして、自分と同じ顔をした誰かが苦悶の表情を浮かべた。

もう一度訪ねる。「お前は誰だ」と。


すると、観念したかのようにその男は答えた。


「ロイ……ロイ田中だ」


と。

思わず腕に力が入った。「ぐうう」とロイ田中を名乗る誰かが声を漏らした。


「う、嘘じゃない。嘘じゃないんだ、親が外国人で、本名で──」

「知っている!」


田中は叫びを上げていた。

知っている。それが本名であることは知っている。

しかしその名は自分のものでなくてはならなかった。


「親が離婚したから! 仲がよかったあの人たちがあんなことになったから! お前はここにいるんだろう!

 知っているぞ! 

 お前が本当はあんな人たちから逃げ出したいことも。

 縁を切って、一人で生きていきたいことも。

 そのくせ! たった一人で生きていくことを何よりも恐れていることを!」


糾弾の声を漏らすたびに、まさに身が削られる想いだった。


「そして! 何よりそんな自分が大嫌いだったことも!」


田中の視界が歪んだ。

自分は果たして、誰に対して何を言っているのか、理解できない心地だった。

ただ次から次へ、言葉が胸の奥からあふれてくる。

それはきっと、あの“虚構”の世界で今まで忘れていたことで──


「──ち、違う」


その時、もう一人のロイ田中が声を上げた。

相変わらず苦悶に顔を歪めている。

だがその顔にはもっと別の感情の灯、意地のようなものが浮かんでいた。


「俺は、俺はもう逃げてない!」

「何……?」

「お前が何でそんなことを……知っているのかわからない。

 でも俺は、あの後──会ったんだ」


母さんと、父さんに。


そう彼は言った。


「俺は……確かに嫌いだった。みんなみんな。

 でも、このまま半端に生きていくなんか、できるわけないだろ。 

 だから会ったんだ。もう一度、あの人たちに、会って、話した」


田中は、この男が何を言っているのかわからなかった。

ただ呆然と、ロイ田中のような誰かの言葉にのめされていた。


「そりゃ厭だった……でも……俺はもう取り戻したんだ。

 うまくやっていけないなりに、話して、泣いて、そしてまた会おうって言った。

 母さんとも、父さんとも、また会うって、だから──」

「そんなこと!」

「嘘じゃない。嘘なわけないだろ! これは本当のことなんだ」


彼は、それだけは譲れない、という明確な意思を込めて叫びを上げた。


「俺はまたあの人たちと一緒に暮らしたい。だから! こんなところで」

「弥生は!」


田中は声を遮り、問いかけた。


「……何?」

「弥生は? 桜見弥生はどうしたんだ? アイツは? アイツの小説は?」


必死に田中は問いかけた。

蜘蛛の糸に群がる亡者のごとく、彼は懇願するように声を出した。

しかし、目の前にいる男は言った。


「──それは、誰だ?」


瞬間、田中は彼に一撃を食わらせていた。

ぐ、と厭な音が響くと同時に、彼は動かなくなっていた。


田中は息荒くその身を見下ろしていた。

死んではいないはずだった。殺意は湧いたが、それ以上の困惑がその手を鈍らせた。


だが──一つだけ、腑に落ちるものがあった。


「ははは」


田中は笑った。久々に声を出して笑っていた。

ひどく乾いた声が自分の家であったはずの場所で響いた。


三月と会って感じていた違和感。

三月そのものが田中にしてみればおかしな存在だった。

しかし、もっと先に気づくべきだったのだ。

田中が“虚構”に消えてから、おおよそ半年間の時が流れていた。


その間、田中は行方不明になっているはずだった。

だから仮に三月が弥生のことを忘れていても、ああも自然に田中に話しかけること自体おかしかったのだ。


“現実”において、ロイ田中は行方不明になどなっていなかった。

ロイ田中はずっと“現実”にいて、“虚構”になど行っていなかった。

であるならば──


「じゃあ──俺は誰だ?」




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