151_赤い塔、つまりは東京タワー
闇夜の街に、ぼう、と浮かび上がる碧色の瞳と、翅。
その翅は、キョウがリューより受け継いだ霊鳥の翼とは全く違うものだ。
蝶の翅に酷似した、柔らかな美しさの中にどこか妖しさを孕んだ、異様なものである。
翅を持つ聖女、ニケアがテレビ画面の中に居た。
その外見は聖女戦線でのものそのままだ。
異様な色彩に光り輝く瞳や、肩まで伸ばした髪は当然として、衣服もそのまま。
聖女軍の紋章が刻まれた戦闘服に、あちらこちらに刻まれた特殊な言語。
偽剣こそ出現させていないが、“現実”には全くそぐわない。
そんな彼女の外見を見て、撮影者と思しきものの甲高い声が動画内に入っていた。
構図的に明らかに自撮りではないし、誰かが聖女ニケアを撮っているようだった。
伝わってくる空気として、明らかに撮影者はニケアのことを面白がっているようであった。
「ふふふ、そうちやほやするな。すごいのはこれからだぞ、この虚構都市の住人たち」
ジャージ姿のキョウは何故か「はー」と感心するように言った。
田中とカーバンクルは顔を見合わせていた。
カーバンクルは困ったように首を傾げた。その顔は言っていた。「私が聞きたい」と。
「随分と身体が重いが……しかし、行けるのさ。聖女なら」
ニケアは得意げにそう口にし──飛んだ。
蝶の翅を広げ、光と共に彼女は空へと駆け上っていく。
その動きは“現実”の物理法則とはまったく合致しないだろう。
しかしそれでも、彼女は悠然と闇夜へ、赤い塔、東京タワーへと飛んでいった。
途端、撮影者たちの声が漏れる。
「マジ?」「やばくない?」「ワイヤーでしょでしょ!」困惑を孕みつつも、どこか楽しさを含んだ声が入りつつ、そこで動画は終わった。
「……二時間ほど前にアップロードされた動画らしいです」
雪乃がスマホを覗き込んでいった。
意外なことに彼女が一番冷静に見えた。
「東京タワー近くで配信者が面白がって投稿したようですね。
CGだとかなんとか言われていますが、見ての通りインパクトがあるので、そこそこ話題になっています」
「そこそこで済めばいいんだけどなぁ」
カーバンクルが頬をかきながら言った。
「……あれは本物なのですか? 私には今一つ実感がないのですが、あの異形のような」
「異形がプラスチック爆弾なら、アレは核ミサイルみたいなものだよ」
カーバンクルは現代風の比喩をさらりと使いこなしている。
「カーバンクル。何故、聖女だけは力を使えてるんだ」
田中も困惑しつつも、会話に参加した。
「さぁ、私に聞かないでくれ。何でも説明できるわけじゃない。ただ……」
「ただ?」
「聖女サマがこちらにいる理由はわかる。というかそちらの方が自然だからだろう」
「それはわかる。何せニケアあの転移の中心にいた」
「そう、そして何故聖女様が力を使えるか? だが恐らくそれは彼女が聖女だからだ。
“教会”の分析によれば、聖女はその身から幻想を創り出すことができるらしい。
外部の力を使うのではなく、その内からエネルギーを持ってこれるのさ」
田中たちが偽剣を使えないのは、ひとえに“現実”に幻想が存在しないからだ。
しかし聖女にはそうしたくびきはない。
どこであろうとも、聖女は聖女であり続けることできる──ということなのか。。
「無論、全部仮説だよ。私は魔術師じゃない。
とにかく聖女はここにいるということだ」
◇
港区芝公園。
東京タワー。
この街の象徴ともいえる塔にニケアは佇んでいた。
幻想のひどく薄い空では思ったように翅は機能しなかったが、それでも墜ちることなどあり得ない。
“希望”と名付けられた無尽蔵に近い奇蹟がこの身にはあるのだから。
夜、塔の上で吹きすさぶ風の勢いは強い。ばさばさとはためく髪が少し邪魔に感じられた。
入り組んだ鉄骨にもたれかけ、ニケアはしばらく夜の街を眺めている。
まばらに明かりがついた神殿。行きかう無骨な自動車。どこかくすんだ色をした人々。
塔の付近には、あたりには広々とした公園があり、無数の神殿の中で、そこだけぽっかりと穴が開いたようにさえ見る。
──ミナやリクはもう行ってしまったかな。
彼女がこの“現実”にやってきたのはつい先ほどの話だ。
どこか見覚えのある、しかし全く違う場所にやってきた彼女を、通りかかった若者が面白がって撮影した。
無論、その言葉の多くの意味はわからなかった。
しかし楽しそうに笑う彼らを見ていると、それだけである種満足であった。
蝶の翅を広げたときの、彼らの顔を思い出し、ニケアは「ふふ」と少し微笑んだ。
「……この街も、お母様の悪戯だろうか。それともあなたの攻撃かな? お父様」
誰でもなくニケアは語りかけた。
彼女からすれば、突然の異世界への“転移”でありながら、特段取り乱すことなく平静を保っていた。
「それで、君は君でいったいどうしたんだい?」
だから風を受けながら、待っていた。
塔へと猛然と上ってきた、一人の敵軍兵士に対して。
鉄骨を蹴り上げて、その灰色のカソックの少年はやってきた。
息を切らし、汗をぬぐいながら、彼はどこからかか調達したらしい物質の棍棒をニケアへと向けた。
「聖女……ニケア」
「うん、異端審問官じゃないか。大丈夫だ、ニケアちゃんは逃げないよ」
ニケアの言葉を無視し、その鳶色の髪の少年は、鬼気迫る表情で口を開いた。
「僕は2《ツヴァイ》、異端審問官“十一席”のハイネだ」
取引がある。
夜の風が吹きすさぶ中、彼はニケアへとまっすぐにそう告げた。